第31話

 面接予定時刻の30分前、午後1時半に甲府駅に到着した。10分前に面接地着と想定すると、このぐらいの余裕が丁度いい。有希也は子供の頃から母親に時間厳守を口酸っぱく言われたせいで、おおよそ遅刻とは縁がなかった。常に10分、15分前行動。今日のように相手がある時は早すぎても迷惑だから10分前を心がける。


 対して津原は時間にルーズな性格に思えた。足のせいで時間を食うのは仕方がないが、それを口実に時間を守らない、守れない。想像に過ぎないけれど、あながち間違いとも思えない。

 有希也は同情も抱いた。この足なんだから多少のとこは大目に見てやってほしい。それはいまの自分への望みではなく、過去の津原への慰めだった。


 自販機でホットの缶コーヒーを買い、ホームのベンチに座って一息ついた。アルバイトで就職活動で、幾度となく経験した面接も、津原保志になってからは初めて。まともに人としゃべるのも初めてで胸の高鳴りを感じる。テンションは高いぐらいの方が会話が弾んでいい方向に転ぶものだ。


 この身体の数少ない長所は丈夫な胃腸で、有希也は緊張した時などはお腹が緩くなり、口に入れるものにも気を遣ったものだった。この身体にその必要はなく、気兼ねなく缶コーヒーを飲める。この足で胃弱なら目も当てられないが、神様はそれぐらいの情けはかけてくれたようだ。

 飲み終わった缶をゴミ箱に捨ててホームを後にした。


 駅のトイレで用を足し、鏡に向かって身だしなみの最終チェック。朝ひげを剃ったし、鼻毛と爪は昨夜切った。耳掃除もぬかりない。最後に口の周りをポケットティッシュで拭ってトイレを後にした。


 服装は先日買った白のボタンシャツに黒のスラックス、足元は黒の革靴。アルバイト面接だからきっちりし過ぎても浮いてしまうが、25歳でラフな格好という訳にもいかない。

 履歴書を入れたカバンは、アパートの押し入れで見付けた黒のビジネスバッグ。スーツ量販店のワゴンセールに並んでいそうな、いかにも廉価品で、実際その手の代物だと思われる。使用は少ないようで傷みはなく、使わせてもらうことにした。


 15分前に会社の入るビルに到着し、7階で降りたのは1時48分、想定通り。

『テラスコーポレーション』と表示されたドアを開けると、すぐ目の前に番号キーの付いたもう一つのドアがあった。二つのドアの間のわずかなスペースに置かれた電話を取る。応募電話の際に教わった内線番号に掛けるとすぐに繋がった。先日とは違う声だが、要件は分かっている、と口ぶりから伝わってきた。


「2時から面接をお願いしている津原と申します」


「すぐ行きますので、待っていてください」と言って電話が切れた。


 以前の面接でもこの取り次ぎスタイルを経験したことがある。慣れているとはいわないが、戸惑うこともない。


「お待たせしました」

 30秒ほどで内側のドアが開いた。現れたのは長身の30代半ばぐらいの男性。濃紺のジャケットにスカイブルーのワイシャツは垢抜けた印象を受けるが、下がった目尻が親しみを抱かせた。


「よろしくお願いします」

 と頭を下げると

「あちらで面接を行いますので、どうぞ」

 とニッコリ微笑んで中へ案内された。自己紹介はそっちで、というところか。ドアを押さえて有希也を通してくれるあたり、細かい気配りができる人で、女性にもモテそうだ。


 ここは面接用のフロアなのか、パーテーションで仕切られた小部屋がいくつか並んでいた。白で統一されたパーテーションは清潔感があり、さりげなく置かれた観葉植物にもセンスを感じる。野暮ったいオフィスの期待は裏切られた。


 不意に前を歩く面接官が振り返った。電話で足の障害を伝えてある。具合が気になるようだが、ちらりと見ただけですぐに歩を進めた。じっくり見るのは躊躇われるのかもしれない。


 奥の小部屋に通され、テーブルを挟んで向かい合う。

「本日面接を担当させていただく佐藤です。よろしくお願いします」


「津原保志です。よろしくお願いします」

 はっきり通る声で名前を言って頭を下げた。どうぞ、と勧められ「失礼します」と椅子に座る。佐藤も座った。アルバイト面接では名刺交換などしない。


 登録会形式で、教室のようなフロアに十数人が集うこともあるが、ここは個別方式。東京ほど希望者が多くないせいかもしれない。足のことがあるから特別に、というわけでもなさそうだ。


「外はどうですか。今日は少し肌寒いんじゃないですか?」

 テーブルの向かいから佐藤が切り出した。天気とか、何気ない話題から会話をスタートさせるのはアルバイト面接ではよくあること。この人も面接慣れしているのが分かる。


「そうですね。シャツ1枚だと寒くて、上着を着てくればよかったです」


「今年の冬は寒いみたいですよ」


「その分お鍋が美味しくなるんじゃないですか」


 有希也は体育会系で礼儀正しく、大きな声でハキハキ話すから面接受けがいい。自覚もあった。日替わり週替わりで多種多様な職場に派遣されるシステムではコミュニケーション能力が重視される。訊かれたことに的確に返答することはいいアピールになる。


 佐藤は満足げに頷いてから、本題に入った。

「それでは履歴書を見せていただけますか」


 有希也はバッグから取り出し、両手で差し出した。続けてメモ帳とボールペンを机に置いた。これもアピールの一環だ。


「津原保志さん、25歳」

 佐藤は確認するように読み上げた。視線は手元に注がれたままでも、一応「はい」と返事をしておく。この手の登録制のアルバイトは主婦から中年まで年齢層は幅広く、25歳では色眼鏡で見られることはないだろう。


 履歴書の記入欄は氏名、生年月日、住所と来て次が学歴。応募条件に高卒以上と書かれていなかったから、電話では話していない。最終学歴が中学校卒業と知って驚いただろうか、引いたかもしれない。


 面接はあくまでも面接、受けたところで何が約束されているわけではない。合否は向こうの胸三寸で、足が不自由でおまけに中卒ならば不採用の理由には申し分ない。「合格の場合のみご連絡します」と体よくあしらわれることも十分に考えられる。


 有希也に出来ることは精一杯自分をアピールすること。それに全力をそそぐのみだ。

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