第20話

 捜査本部は映像の解析に着手した。Nシステムや国道に設置されたライブカメラの映像は基より、コンビニエンスストアやガソリンスタンドの防犯カメラまで対象を広げ、被害者の上村有希也の実家と事件現場を結ぶ道沿いを調べ上げた。


 そのうちのいくつかが上村有希也の姿をとらえていた。黒いフルフェイスのヘルメットを装着し、黒のレザージャケットを着てホンダCB400Fを運転していた。ナンバーが確認できる映像から本人と特定された。


 しかし並走する車両は認められなかった。複数の映像を確認しても、上村有希也のバイクを先導する、あるいは追走する車両は見当たらない。上村有希也は単身帰路についていて、運転中の映像からは犯人につながる情報は得られなかった。


 殺害現場は遺体発見現場の上の自動販売機周辺と特定された。凶器は現場に転がっていた石。野球のボール大で、抽出されたDNAが被害者のものと一致した。凶器が石であることからやはり計画性のない、突発的な犯行であると推定された。


 加害者の指紋やDNAは検出されなかった。事件当夜の大雨が指紋を洗い流したととみられる。現場に残った血痕が被害者のものだけだったことから、加害者は出血を伴う負傷をしておらず、不意打ちのような形で犯行に及んだと考えられた。


 事件の状況が少しずつ分かってきたが、捜査の行く手は靄に包まれたままだった。


 上村有希也は、なぜ事件現場に立ち寄り、誰と会い、何が起きたのか。何一つ判っていない。


 姿が捉えられたのは22時7分の国道20号のライブカメラが最後。その後国道を外れ、周りに住宅も店もない、辺鄙な事件現場に立ち寄った理由は何か。翌日は朝から仕事で、当初は高速道路を利用する予定であったと母親が証言している。国道なら時間が嵩むため家路を急いでいたはずだった。携帯電話に通話履歴はなく、人と会う約束をしていたとは考えにくい。


 何らかの理由で上村有希也が事件現場に立ち寄り、偶然居合わせた犯人とトラブルになり、殺害されたと推定されるが、カバンや財布には手が付けられておらず、頭部の損傷以外に争った形跡はなかった。


 不良グループの犯行という線も考えられなくはないが、周辺にそういったグループはなく事件当夜に騒音を聴いたという情報も入っていない。通り魔のような無差別な犯行の可能性もゼロではないが、人気のないところを狙うとは考えにくく、凶器を用意していない点からもその可能性は極めて低かった。


 現場で、どのようなトラブルが起きたのか。唯一左利きと推定されること以外犯人像は全く見えてこなかった。


 東京に飛んだ捜査員が職場や友人をあたり、怨恨や金銭トラブルを洗っているが、犯行現場や状況を考慮するとその線は薄く、今のところそういった情報はもたらされていない。


 捜査本部にはいくつかの目撃情報が寄せられた。バイクを運転している上村有希也らしき人物を見た、というものが多く、それはすでにカメラの映像で確認されているもので、目新しいものではなかったが、寄せられた情報の中の一つが捜査員の注目を集めた。


「事件当夜、足を引きずっている男を見た」というものだった。


 車を運転していた男性が見かけたもので、日付がちょうど9月25日に変わる頃、その男は大雨の中を傘も差さずに片足を引きずって歩いていたという。


 証言した男性は地元の人間ではなく、カーナビが故障して道に迷い、雨の降る中周囲を窺いながら運転していた時に見かけたと言い、ちらっと見ただけではっきり覚えていないし、「男」と言うのも顔を見たわけではなくそういう印象を受けただけ、小柄で白っぽい服装だったと思う、と話した。


 深夜に大雨が降ったのは最近ではこの日だけで、雨が降り始めたのは24日の23時頃、日時は一致する。見かけたのは事件現場に続く通りから一本奥に入った、現場から2キロほど離れた歩道だった。


 この証言が関心を集めたのは「足を引きずっていた」という点だった。被害者は180センチ近い大柄で、高校時代はラグビー部の副キャプテンを務めた元ラガーマン。トラブルになった際にタックルを見舞い、加害者を負傷させたのではないか。


 この推測は捜査会議で賛同を集めた一方で、たまたま同じ時刻に歩いていただけ、という見方も少なくなかった。


 事件現場から足を引きずった男が目撃された現場まで約2キロ。目撃現場付近に男の住居があったとしても往復で4キロあり、徒歩なら1時間近くかかる。土地柄クルマやミニバイクを所有する人も多く、その距離を歩くのは不自然。雨脚は急に強くなったため傘を持っていなかったとしても不自然ではなく、雨で滑って転倒し負傷したのではないか、という見解だった。


 それには、行きはバイクか自転車等で行ったが負傷したため運転することが出来ず、どこかに隠して徒歩で帰宅し、後から回収したとも考えられる、と反論がなされた。


 殺人を犯した以上一刻も早く現場を離れたいのと物証を残したくないのとで痛みをこらえて運転するはず、負傷した足で2キロの道を歩く方が難儀だ、とさらなる反論もあったが、他にめぼしい情報がなく、行き詰っていた捜査陣は足に怪我を負った人間の情報を求めて聞き込みに当たった。


 事件から時間が経ち、すでに回復しているかもしれないが、引きずるほど足を負傷したのであれば周りの人間は覚えているはずだ。


 聞き込みの対象となったのはまず病院。事件以降、足の怪我で治療に訪れた患者はいないか。医者や看護師に聞いて回る一方、松葉杖をついている人がいれば話を聞いた。


 薬局も対象になった。目立たないよう病院には行かず、自宅で療養しているとも考えられる。湿布薬や塗り薬を買った客に該当するものはいなかったか。自分で行かずに使いをやったかもしれないが、不審な客はいなかったか。


 事件現場近くを避ける可能性もあり、範囲を広げて駅やバス会社、マッサージ店など、少しでも情報がありそうなところに足を運んだ。


 犯人が逮捕されないことに不安を抱く近隣住民の多くは率先して聞き込みに応じてくれたが、「事件後に足を負傷していた人物」の情報は上がらなかった。


 ほどなくこの件での聞き込みは打ち切りとなった。目撃現場周辺を担当した捜査員が「アパートの隣の住人が足に障害を持っている」との証言を得たからだった。

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