第17話

 けたたましいサイレンがアパートの壁を貫いた。何台ものパトカーが先を争うように駆け抜けて行った。有希也は横っ面を引っ叩かれたように飛び起きたが、己の身体を再確認する必要はなかった。寝覚めの頭でもサイレンの意味を理解できた。


 死体が発見されたのだ。


 発見したのはジョギング中の男性だった。毎朝同じコースを走っているが、この日はおろしたてのシューズの履き心地が良く、天気も良かったため普段のコースを離れて距離を伸ばした結果たまたまあの現場にたどり着いた。一息つき何の気なしに柵の下を覗いたところ人が倒れているのを発見したとのことだった。


 そうでなければ、ただでさえ人通りの乏しいこの場所の、壁と雑木林の隙間に横たわった黒のレザージャケットに濃いジーンズの様相では発見が遅れ、腐敗が進んだ可能性が高かった。


 路肩に設けられた僅かなスペースにすぎない現場には規制線が張られ、警察関係者やマスコミでごった返し、普段は静かな田舎町が騒然としていた。


 朝のニュースでは、頭部に損傷のある男性の遺体が発見された、何らかのトラブルに巻き込まれたものと見て警察が捜査を始めた、と第一報を伝えていた。


 部屋にテレビのない有希也は情報に触れることは出来なかったが、サイレンの騒がしさから、自分の死体が発見されたことは疑いようがなかった。来るべき時が来たと腹を括るしかなかった。


―俺が被害者で俺が犯人だ―


 今頃テレビで俺の名前が流れている。現場にはバッグも携帯電話もバイクも残っている。財布には免許証も入っていて名前は容易に判明し、じき会社や両親のもとに連絡が行く。


 出社しなかった昨日、緊急連絡先にしてある実家に会社から連絡が行ったはずだ。無断欠勤などもってのほかで、入社してから現在まで一度たりとも経験はない。有希也が担当する取引先に損害が発生する可能性もあり、本人と連絡が取れなければ関係先を当たる。


 両親は驚き、実家からの帰路で何かあったと考えるに違いない。ラグビーの試合で、脳震盪で病院に運ばれた時にも泣いていた母親だ。昨夜は眠れなかっただろう。その上で殺されたと知ったら正気でいられるはずがない。余計な電話を掛けたと自分を責めるのは目に見えている。


 両親の事は考えないようする。有希也はそう決めていた。簡単なことではないが、他に何ができるわけではない。実家の電話番号は頭に入っているが、「俺は生きています」と電話を掛けたところで、津原の声では悪質ないたずら以外の何ものでもない。「生きている」と言い切れる状態でもなかった。


 両親は近いうちに冷たくなった息子と対面する。母親は半狂乱になるかもしれないが、この身体では会いに行けるはずもない。


 両親のことは、忘れることは出来ないがとにかく考えないようにする、それしかなかった。


 自分の事には怯えることもなく、むしろ冷めていた。何をすればいいか分からないというより何もしようがない。仮に捕まったとしても、上村有希也であることを証明すればいい、来るなら来いという心境。いまは上村有希也の死より、津原保志として生きることに懸命だった。



 山梨県警××署に捜査本部が設置された。


「被害者は上村有希也、25歳、会社員。9月24日夜、長野県内の実家から東京の自宅へ帰る途中に被害に遭ったと推定される。死因は鈍器で殴られたことによる頭部の損傷」


 司法解剖の結果、死亡推定時刻は9月24日の夜10時から25日午前2時。胃の内容物から推定された。


 被害者の母親によると、当日実家を出たのが夜8時すぎ。翌25日の朝6時頃には、死体発見現場上方の路肩にバイクが止まっているのを通りかかったタクシードライバーが見かけている。黒いバイクで、ミラーに黒いフルフェイスがかかったままだったとの証言が、現場に残されていた被害者のものと一致した。乗車記録から裏が取れている。


 高速道路で帰宅する予定が事故の影響で通行止めになり、一般道に変更しているため、待ち合わせ等があったとは考えにくく、母親もそのような素振りは見られなかったと証言している。


 現場に残されていた被害者のスマートフォンは雨で水没していた。通話記録には24日夜に連絡を取った形跡はなく、復元できたデータにも疑わしい点はなかった。ただし復元できたのはデータがバックアップされた時点までで、直前に交番の所在地を調べていたことは警察の知るところではなかった。


 犯行現場は、死体が発見された雑木林の上の自動販売機周辺と推定された。頭部以外にも複数箇所の骨折が見つかったが、いずれも生体反応が見られた。被害者は大柄で、他所で殺害してから移送するのは時間的にも困難であることから、犯人が同所で頭部に打撃を加えたのちに被害者を突き落としたとみられる。


 現場には、財布、スマートフォン、バッグ、バイクと被害者が所持していたものがすべて残されていた。顔の損壊、指紋の焼却等の身元を隠す処理もなされていないことから計画性は低い。


 以上の点から、被害者は帰宅途中に突発的な事件に巻き込まれ、殺害されたものと推定された。


 司法解剖の結果は、もう一つ犯人につながる有力な情報を捜査本部にもたらした。


 犯行は左利きの人間によるもの。


 被害者は前頭部、後頭部両側に大きな損傷を負っている。損傷の具合からまず後頭部を殴打され、次に前頭部を殴打されたと推測されるが、損傷はいずれも向かって左側。被害者が頭部をかばおうとして負ったとみられる怪我が右手であることから、犯人の利き手は左が有力だった。


 犯行状況がおぼろげながら見えてきたものの、いくつかの問題が重なっていることで、捜査の難航が予想された。


 現場付近は交通量が少ない。地元では幽霊が出るといううわさまであって夜間は極端に人通りが少なくなり、目撃情報は期待出来そうにない。


 突発的な犯行であれば物取りである事が多く、そこから足がつくが、本件は現金2万円の入った財布がバッグに残されていた。犯人は頭部の損傷で意識の低下した被害者を転落させたと見られ、財布を奪う機会があったにも関わらずそうしていない。物取りの可能性は低く、動機が不明である。


 被害者にとって不運だったのは手袋をしていたこと。こういったケースでは、もみ合っている最中に引っ掻いたりして相手の皮膚が爪に残り、そこからDNAが検出されることがあるがそれができなかった。


 何より事件当夜の大雨。証拠を流してしまう雨は捜査の大敵で、現場にあったはずの血痕や指紋を洗いざらい流してしまっている。


 捜査員の表情は一様に険しかった。

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