第7話

 消印が昨日だから、今日届いたものか。白い封筒の表面には、ここの住所と津原保志様という宛名が手書きされ、下には「株式会社××加工」と印刷されていた。住所と宛名は女性事務員が記入したと思われる柔らかな文字だった。


 千切られた封の口から、折りたたまれた便箋が覗いていた。


『先日は面接にお越しいただき有難うございました。残念ではありますが、今回はご希望に添うことができず、誠に申し訳ありません。つきましては履歴書を返送致しますのでご査収下さい。』


 最後に採用担当者の氏名が記され、無機質な印刷文書は終わっていた。

 

 ××加工という会社の就職面接に落ちたことを知らせる手紙だった。


 この手の連絡は一日二日では来ない。郵送であることを考慮しても、面接を受けたのは早くても三四日前。一週間、十日経っているかもしれない。


 津原保志は仕事を探していた、ということだ。それは何を意味しているのか。考えられるのは二つ。現在無職であるか、もしくは職に就いているが転職を考えていた。


 足に障害があるとはいえ25歳の男。ここでの生活には相応の金が必要だが、この部屋に他人が出入りしている形跡はない。誰かの援助を受けているというより、労働収入を得ているとするのが妥当で、面接を受けていることからも働く意志があるのが分かる。


 『履歴書を返送致します』とあった通り、履歴書が同封されていた。津原の素性を知るにはこの上のない手掛かりになる。薄汚れた布団の上に履歴書を広げると舞い上がった細かな埃が蛍光灯の下で浮遊した。汚らしい粉雪だ。


 まず目が行ったのは写真。駅やコンビニに設置されているスピード写真で撮ったものだろう、青色を背にした津原保志がこっちを見つめている。髭は剃られ、頭髪もそれなりに整えられているが、目は虚ろで、口を閉じてはいるものの口元にどことなくだらしない印象を受ける。なにより表情に覇気が感じられない。


 就職面接なのだから自分をアピールする必要がある。障害があるのだから尚更そのはずだが、やる気は伝わってこなかった。窓ガラスに反射していた笑顔とは対象的だった。

 面接でのやり取りは知る由もないが、自分が面接官ならこの写真を見ただけで不採用に傾いてしまう。


 文字も同様で、下手と言えばそれまでだが、丁寧に書く意志が感じられない。採用して下さいという意欲のこもらないぞんざいな字だった。履歴書の記入などやっつけ仕事と言わんばかりで、気持ちは分かるがあからさまに過ぎる。


 名前の読みは漢字どおり『つはらやすし』。保険証で確認済みの年齢は、老けて見えるが有希也と同じ25歳。同じテレビやマンガを見て、同じ社会問題に触れて育ったと思うと、自分を殺した人間にわずかながらも親近感を抱いてしまう。


 電話番号欄に1つだけ書かれた番号は、部屋の隅に置かれた固定電話のもので、携帯電話は持っていないのか。足が不自由ならあった方が何かと都合よさそうだが、この部屋から交友関係の狭さが窺える。趣味を示すものもないし、固定電話で間に合いそうだ。


 問題は学歴だった。学歴欄に記入されているのはたった一行。「新潟県××市立××中学校卒業」。


―中卒かよ―


 身も心も津原保志として生きていかなければならないとしたら、左足同様ハンデとなるが、障害を勉強でカバーしようと思わなかったのか。

 せめて学歴だけは。自分が障害者だったらそう考えて一生懸命勉強するが、勉強が苦手だったのか。


 学歴の下は職歴で、中学校を卒業した年の4月に「有限会社××」に入社している。「ミシンを使用しての縫製作業」と業務内容が記入されているから、中学卒業後縫製工場に就職したということか。足が不自由だから、事前にその手の技能を身に付けていたのかもしれない。

 そこに4年勤務した後「一身上の都合により退職」し「株式会社××」に転職している。業務内容は「プラスチック製品の加工」。ここには3年在籍し「一身上の都合により退職」。2年半前に「有限会社××製作所」に入社。業務内容は「アクセサリーの製造」。そこを3か月前にやはり「一身上の都合により退職」している。


―現在は無職ということか―


 日付が変わって今日は月曜日だが、仕事に行く必要はない、ということか。知らない職場に出社できるわけがないし、安否確認の電話がかかってきても応えようがないからその面では助かる。


 しかし3か月無職なら当然その間無収入で「××製作所」の給料が一般的な月末締め翌月払いとすると、およそ2か月収入が途絶えていることになる。


―それで金に困って、あの封筒を奪おうとしたのか―


 財布の中身は4000円ほどだった。冷蔵庫は空同然で、この部屋の様子からも生活が逼迫していたのが見て取れる。でなければ人を殺してまで金を奪おうとしない。有希也は自分が殺された理由を知った。


 それならば、××加工以外にも面接を受けていそうなものだが、他も不採用だったのか。それにしたって、金が必要なら食いつなぐために短期アルバイトでもすればよかったのに。


 そう考えてから、はっと視線を落とした。


 この足なら出来る仕事は限られ、働きたくても簡単には見つからない。年齢や学歴のように誤魔化すことは出来ず、面接すら受けられないこともあったのではないか。まだ都会なら選択肢も広がるだろうが地方は厳しい。職歴は、縫製、プラスチック加工、アクセサリー製造。おそらく手先を使う作業で、座り仕事であるか、立ち仕事だとしても移動の少ないもの。面接を受けた××加工も同様だろう。


 事務員など、座ってできる仕事は他にもありそうだが、学歴がネックなのかもしれない。計算したり、重要書類に記入したりする仕事だと、中卒は敬遠されそうだ。


 それにしても、とまた疑問が沸いた。障害があるのに、なぜ中学を卒業してすぐに働いているのか。障害は大人になってから負ったものなのか。


 志望動機欄に答えがあった。


「子供の頃に事故にあい、左足に障害が残りました。歩行には支障をきたしますが、その代わり手先は器用です。よろしくお願いします」


―津原保志は子供の頃に足に障害を負った―


 子供の頃なら遊び盛りで、失ったものは片足の機能にとどまらない。遊びまわることも走り回ることも出来なくなる。生活は一変し、全ての行動に苦痛が伴うようになり、通学も一苦労。遠足や運動会といった楽しいはずの行事も参加は困難だっただろう。


 そして青春を謳歌する高校時代、有希也が仲間たちとラグビーボールを追い駆けていた頃、すでに津原保志は不自由な足を抱えて働いていた。


 それがいかに大変か、今まさに身を持って思い知らされているところだ。


 最後に、扶養家族数が0人、配偶者が無に丸が付いているのを確認して、有希也は履歴書を畳んで封筒に戻した。


 履歴書は、津原保志のことを教えてくれた。紙に書かれた細切れな足跡に過ぎないが、津原の幻影が、出口の見えないトンネルをたったひとり片足を引きずりながらさ迷い歩いているのが見えるようだった。


 津原保志についてもっと知りたくなった。知らなければならなかった。

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