ひったくり

「きゃっ!……あ、ありがと」


 自宅への帰り道、隣の少女と交差点の信号で止まっていた時だった。

 後ろを自転車が通過したかと思えば、急に倒れこんできた彼女を慌てて受け止める。

 彼女の声には戸惑いが見えていた。

 ぶつかったのだろうか……いや。


「あっ鞄が無い!」


「……下郎め」


 ひったくりだ。

 彼女を慎重に立たせた後、過ぎ去っていった自転車に向けすぐさま走り出す。


「ちょ、ちょっと、どうするつもり!」

「待っているといい」

「待ってったら!危ないわよ!」

「我、邪知暴虐貫く矢とならん」


 外道のことを心配しているのだろうか。彼女の心は海より広い。


 だが俺は違う。

 必ず追い詰め、彼女に謝罪をさせる。地に頭をつけ、体には鉄塊を乗せ。その後は、五臓六腑をぶちまけ、魚の餌としてやる。法の裁きなど受けさせてなるものか。

 筋肉が奴を追い詰めるため限界を超えているのが分かる。普段は人は70%の力しか出せないだと?あの子に害を成すものを排除するためならば1000%の力さえ出して見せよう。

 自転車に追いついてきた。奴はやっと追いかける俺に気付いたようだ。ふざけた顔には戸惑いと恐れが見える。だが遅い。斜め前のガードレールに向かって飛び、蹴っ飛ばす。その反動で電柱を掴み、奴に体を向け最大限の力を込め、電柱を蹴りぬく。三角飛びの要領だ。


 気合で姿勢を変え、奴に足を向ける。

 吹き荒れる憤怒を推進力に、無限の闘志をつま先に。

 迫る怨敵、恐怖にゆがむ顔に向け一筋の矢と化した俺がゆく。叫ぶは決意。


「滅・殺・!」


「待てって言ってるでしょ!!」


 遙か後ろより彼女の叫びが聞こえた。それに気取られた俺は目標のわずか後方の地面へと着弾する。

 命拾いした三下は、俺の追跡を避けるためか彼女のバッグを投げ捨て走り去っていった。

 ……乱暴に扱ったな、また罪を重ねるとは。

 バッグを拾い、埃を払っているうちに彼女が追い付いてきた。




「バックは取り返した、あの野郎は逃したが。だが心配することはない、必ず追い詰めその身を八つ裂きに……」

「危ないって言ってるでしょ!」

「フッ、あんなことをしでかされてなお相手の身を案じるとは慈愛の塊か」

「バカッ!!」


 パチンッと乾いた音が響く、頬を張られた音だ。

 やはり仕留められなかったことに怒りを覚えているのだろうか。

 混乱した頭でそんなことを考えながら頬を抑えていると、彼女はその上から手を重ね、こちらの目をしっかりと見据え言葉を続けた。


「誰がひったくり犯の心配をしてるのよ。あなたが危ないの、やばい人だったらどうするの」

「それは、だが……」

「いい?私のバッグなんかよりあんたの身の方がよっぽど大事なの、ひったくり犯は

 警察に任せればいいじゃない」


 ああ、彼女は初めから俺のことを心配していたのだ。それに気づくことができないとはなんと愚かな。


「すまない、心配をかけてしまって。この償いは必ずや」

「悪いことなんてしてないでしょ、もう……でもバッグを取り返してくれてありがとね」


 頬から手を離した彼女はこちらにお礼を言って離れる。

 くるりと振り返り、歩き出した。

 む、まだ何かを言っているようだ。


「それに、私に慈愛なんてものはそんなに無いわよ、せいぜい一人に向けるので限界よ」

「何だ?何か言ったのか」

「ほら行きましょって言ったの!」


 こちらに顔だけ振り向き、そう言った彼女の微笑はやはり慈愛が満ちていた。

 俺は体の節々の痛みを無視し、彼女についていった。

 ん?……痛みが酷くないか?

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