撫でる

「頭を撫でなさい」


 俺は目の前の少女に脅迫を受けていた。

 放課後の教室、俺は勉強という重労働を終え、放心状態であった。

 その前に彼女は決意を秘めた表情で現れ、冒頭の言葉を言い放った。


「な、なんだ、どうかしたのか」

「いいから撫でなさい」

「と、とりあえず訳を話せ」

「……罰ゲームよ」


 ちらりと教室の出入り口を見て、彼女はか細く囁いた。


「罰ゲームだと! 女性に傷つくことを命じるなど遊びの範疇を超えている! 誰だ、俺から物申して……」


 視線を辿った先には、クラスの女生徒たちが……


「な、生暖かい目」

「……友人よ」


 こちらをなんともいえぬ慈愛の眼差しで見ていた。

 たちが悪いことに悪意は感じられない。


 …………グッ!!


 こちらがしばらく見ていたら彼女らは一様にサムズアップをし、教室の外へ消えていった。

 ……何だったのだろうか。


「と、とりあえずは監視の目も消えたことだ、撫でられたということにしとけばいいだろう」

「それは嫌よ、せっかく……」


 俯きがちに言った言葉の後半部分は聞き取れなかった。律義なのだろうか。

 彼女はブツブツと呟いた後、バッと顔を上げた。


「それより!あんたの言ってた、女性が傷つくってどういうこと!」

「それはだなぁ」


 どうも彼女は俺が懸念していた部分が気になるらしい。


 ああ、男は一度は憧れるのだ。女の子の頭を撫で、喜ばれることを。

 そして同様に思い知るのだ。女性から見ればそれは犯罪級の嫌がらせであると。

 その事実を友人と共有したときは共に咽び泣いたものだ。


「いいか、一般的に特に気のない男から女性へのスキンシップはタブーであり、特に頭を触る等は創作作品での扱いとは裏腹に、セットが崩れる、それで喜ぶと思っているのが痛々しい等、親しい間柄でも……」

「こっちからお願いしてるのに?」


 こちらの言葉を遮り、彼女は言い放つ。

 何故かその声音は目つきと共に凍てついていた。

 何だ、どんどん機嫌が悪くなってないか。


「い、いやいくら頼まれどもおまえの嫌がることをするなど」

「立って、こっちきなさい」

「は、はい」


 立たされた。

 彼女は背丈の関係上、俺にとっては非常に撫でやすい位置に頭があった。

 ここから見えた髪は、光沢が繋がり輪のように見えている。天使の輪と呼ばれるものだろう。

 うっ、その艶やかな髪をなでみたい。

 しかし、俺は鋼の自制心で律する。


「頭を撫でなさい」

「いや、しかし」

「撫でて」

「な、撫でないぞ!」

「撫でろ」

「……はい」


 鋼は砕かれた。

 その気迫に押され、恐る恐る手を伸ばす。

 女性の宝物へと触れるのだ、緊張もすると言うもの。

 軽く1分ほどかけ、触れるかどうかの位置まで持ってきた。もう許してくれないだろうか。


「な、なぁ」

「はやくして」

「うぅ、殺生な……」


 意を決して触れる。


 ……なんだこれは。これほど触り心地のよいものなど他にあるのか。

 絹のよう、という形容句があるが、それとは比べものにならないだろう。絹を触ったことはないが。

 髪の毛の一本一本がその儚げな繊細さとふわりとした柔らかさを掌に伝えてくる。

 少し手を動かせばそのなめらかさが掌を滑らせる。枝毛がないのか、引っ掛かりは一切感じない。

 髪に触れたことで香りが広がったのか、仄かな柑橘系の香りが鼻まで届く。

 感銘を受けていると彼女がぎゅっと目を瞑っていることに気づく。


「んっ」

「す、すまない夢中で、いまやめ……」

「放さないで!……もっと強く触れて」


 彼女は離れようとした俺の腕をガッと掴み、自らの頭に押し付けた。

 うぅ、髪の弾力と体温まで感じられる。もうダメではないだろうか。

 俺はもういっぱいいっぱいであるが、彼女は違うようだ。

 先ほどとは打って変わって、穏やかな表情で目をつむっている。まるで何かに安心しているかのように。

 ええい、ままよ。覚悟を決め、彼女が満足するまで頭を撫で続けた。


 どれぐらい続けていただろう、気づけば窓の外は夕焼けで赤く染まっていた。


「お、おい、そろそろ」

「ん、もういいわ」


 名残惜しいが、手を放す。まぎれもない至福の時間だった。

 彼女は満足げに微笑んでいた。罰ゲームではなかったのだろうか。

 だが俺は覚悟を決めたのだ……。


 罪に対する裁きは受けねばならない。


「さあ、俺の罪を数えろ」

「どうしたのよ、ほら、帰るわよ」


 彼女はくるりと踵を返し、教室を出ようとする。


「まて、女性の頭に触るなど、万死に値することだ。お前には俺を断罪する権利がある」

「なにいってんのよ、もう」


 こちらを振り返り、あきれたように言葉を繋げる。



「最初から最後まで嫌な思いは何一つしてないわよ」



 そう言い放ち、機嫌よさそうに外へ出ていく。

 唖然としてる俺に外から声をかけられた。


「早くしなさい……あっそうだ、そんなに罰が欲しいなら帰りに私にあんたの頭を撫でさせなさい」

「なっ、ま、まて」

「きまりね!」


 帰り道、彼女と別れるまでずっと頭を撫で続けられてしまった。

 ふむ……悪くはないな。

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