【赤】ギルド・アカデミア



 それなりに昔々のこと、ある国の王様が、これからはもっと賢い民を増やしたいというので、学校に行くためのお金を全部免除なさいました。しかし、それで困ってしまったのは、それまで大金を払って大学に通っていた人々です。彼らは多額の奨学金の支払いができなくなって、結局、奴隷たちに混じって働くことになってしまいました。


「不公平だ! 何が免除だ。元はといえば、全部俺たちの金じゃあないか!」


 結論から言いますと、学生生活の間じゅう、キリギリスのように遊んで暮らしていた者たちは、宮殿の前でさかんに抗議を続けました。けれども、近衛も警察も、彼らをいちおう取り押さえてみるだけで、特段何をするでもありません。叫ぶ歌うしか能のない団体というのは、失敗したからといって何を改善することもなく、基本的には同じことしか繰り返しませんので、勝手にじりじり飢えて死んでいくのが、誰の目にも明らかだったのです。


「ああ、悲しいことだ。今の学舎では、子供達に『学ぶことの意義』でさえ、ろくに教えていないのに。枯れた土壌を突き回したところで、何の果実が実ることがあろうか」


 そして、ごくごくわずか、アリのように真摯に学んでいた者たちは、その至高の頭脳からくる繊細さがゆえに浮世を儚み、こんなことならいっそ皆で命を絶ってしまおうという話になりました。

 古代の知恵者・ソクラテスにあやかって、皆で毒杯をあおろうとしたまさにその時、ひとりの男がふと手を止めて言いました。


「待った。私は大学で錬金術を専攻していた者だ。そういえば不死の術の中に、試したいものがある。長らく禁忌とされていたので、今まで思いつきもしなかったのだが、こんな事態にあっては禁忌も神鬼もない。もし君らさえ構わなければ、ひとつ、それをやってみるというのはどうだい?」

「うーん、興味を惹かれる話ではある。だが禁忌とは尋常じゃないな。私は音声学を修めただけの凡才だが、子孫代々にまで代償が伴うとか、苦しみだけ残って死ねないとか、自殺より酷いことになるのはごめんだよ」

「その点は問題ない。錬金術というのは、悪魔契約なんかとは違うのだ。純粋に生命の根源を究めるだけの道で、その術が禁忌とされていたのは、単に『世を乱すから』という一応の但し書きに過ぎない」

「なるほど。しかし不死を招くほどの術だ、それなりに準備が要るのだろう? それは一体、どんな術なのだ?」

「それに、どこの誰が発案したかも重要だ。発祥地域や流派による違いみたいなのはあるのか?」

「先行研究にはどんなものがある?」

「あのう、ちょっといいかな。私の専門は天文学で、生命学方面にはてんで素養がないときていて……もしよろしければ、基礎からご教示いただけないだろうか?」

「勿論だとも。教えるのは昔から得意なんだ。天文学の講義もぜひお伺いしたい」


 なんということでしょう。ほんとうの賢者というものは、生きるか死ぬかの状況になっても、学ばずにはいられないのでしょうか。賢さとは、全く、一種の狂気に過ぎないのかもしれません。


 とにかくそんなわけで、彼らは禁忌の術に手を染めまして、それほど時間もかからずに、血の色に輝く『賢者の石』を創り出してしまいました。


 しかし、驕ることこそ全ての破滅の始まり。彼らはそのことを歴史に学び、自分ごとのように理解していましたので、慎ましく市井に紛れて生きること、そしてこの不死の原石を、苦しむ他人のためだけに使うことを決めました。誰しも永劫の時を生きていれば、苦しみの記憶は薄れ、他者の痛みにも鈍感になりがちなものですから。

 そして自分たちの集まりを、大学制度に対する皮肉を込めて、「学究組合ギルド・アカデミア」と名付けました。



「ギルド・アカデミアへようこそ。君の悩みを歓迎しよう、君の憂いを血肉としよう。さあ、そこの翡翠の椅子におかけなさい。君の話を聞かせておくれ」



 さて、錬金術師たちの暗躍の一方、国の明るいところでは、よっぽど絶望的なことばかりが起こっておりました。

 学ぶ意味も、その有り難さもわからないまま、それでも皆が大学に入るのは、ひとえにより多くのお金が儲けられるからです。そして人によっては、いい学校に入学した——それだけでなんだか自分が人より偉く貴族になったような気がするのでした。


「我々はこの世の栄華全てを手にした!」


 女子供は虐げられ、老人は打ち捨てられました。まるでブレーキの壊れた蒸気機関車のように、ひたすら……ただひたすらに富と栄光を求めて疾駆したその果てに、彼らはふと気付きました。


「……。これほど何もかもを手中に収め、ヒトより優れたヒトになったというのに。なぜ命は延ばせない? 我々より長く生きるに値する者など、この世のどこにもいないのに。国のより良き未来のため、我々こそが生きるべきだ——たとえ赤子の魂を継ぎ接ぎしてでも!」


 そうして彼らは噂に聞く、錬金術師たちの持つ賢者の石を探し始めました。


 しかし錬金術師たちも、やはり聡明でありまして、やすやすと捕まりはしません。神秘の術を駆使して、敵を欺き、目を眩ませ、うまいこと逃げていくのです。ついに業を煮やした彼らは、王の宮殿へと出向いて、こんな風に進言しました。


「我らが偉大なる王よ。禁忌に手を染めた錬金術師たちが、巷を騒がせております。彼らは不死の力をほしいままにし、王の権力でさえ愚弄する、この上ない悪業に耽溺しているのです。奴らを打ち倒すため、どうかお力をお貸しください」


 これを聞いた王は、ただちに兵士を動員し、全国に布令を出して、錬金術師たちを探させました。こうなると、さしもの賢者たちも逃げきれず、全員捕らえられてしまいました。


「錬金術師よ。最期に言い残すことはあるか?」


 絞首台の前に並ばされた彼らの一人が、重たい口を開きます。

「我らはすでに亡霊だった。不死の魂など、結局全て亡霊にすぎない。我々にできたことの精いっぱいは、止められなかった同胞の愚行の犠牲を贖うことだけ。ここで首を吊られようが、今更何を思うことがあるだろうか。もう何もかも、過去のことだ」

 王は「死刑執行の前に、進言してくれた臣下を称えよう」と言って、言葉を求めました。


「この錬金術師の言い分に、賢いお前たちならどう答える?」


 彼らは根回しこそ得意中の得意ですが、この無茶振りは完全に予定になかったので、突然のご指名に慌てふためき、「お前がやれ」「なんで俺が!」と面倒な役目を押し付け合うばかり。そんな滑稽な様子を見て、王は笑いました。


「学舎の教師がお前に教えたのは、強きにおもねることだけか。大した教養だな」


 そしてそう言うや否や、臣下全員の首を掻き切ってしまいました。

 とうの昔に、本物の王は死に、隣国のスパイが王様に成り代わっていたのです。

 かくして国は終焉を迎え、錬金の秘術と賢者の石は、機密として隠蔽されることとなりました。処刑の光景を見た者は、隣国の科学技術で記憶を消され、やがてほとんどの人が、学究組合なんてものがあったこと自体を忘れてしまいました。


 能ある鷹は爪を隠すといいます。


 けれどもし、鷹という存在そのものが忘れ去られてしまったら、一体どうなってしまうのでしょう。自慢の爪を見せることもできず、承認欲求に飢えて苦しむでしょうか。あるいは浮世の縛りを離れ、自由に空を舞っていても、誰にも気付かれないのかもしれません。それはそれで、案外悪くない話かもしれませんね。

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