【黒】教示の悪魔




 トトという少年は、悪魔に支配された国に暮らしていました。


 その悪魔は、国中の人の心臓を奪い、魂のしずくを啜って生きていました。


「人間の心臓は最高だ。とくに大人の心臓が一番うまい。子供の心臓は、いまいち味が薄くて食った気がしないからな」


 そこで悪魔は、生まれた子供は大人になるまでそのまま生かし、大きくなってから心臓を食らうことにしました。でも子供を生かすには、世話をする大人が必要です。そこでずる賢い悪魔は、からっぽになった大人たちの肉体に、偽物の魂を封じ込め、子育てをさせることにしました。


 そんな中で、トトは国の外れの貧しい村の、貧しい両親の下に生まれました。

 背丈も賢さも、人とさほど変わらない、平凡な少年です。

 でも彼には、他の子供と違うところが一つだけありました。


「ねえ、母さん。どうして空の色は、青、橙、紫、と変わっていくの?」


 トトは毎日、必ず一回は、周りの大人にこのような質問を投げかけました。

 ひどい時には日に十回以上、全く違う質問をすることもありました。


「どうして小麦は、太陽がないとダメになるの?」

「どうして魚は、水の中で生きられるの?」

「どうして月の光は、あんなにも綺麗なの?」

「どうして文字は、こういう読み方をするって決まっているの?」


 トトの周りの大人たちに入っているのは、偽物の魂でしたが、元々これは「悪魔の魂の一部」でもありましたので、悪魔はトトの質問攻めにくたびれながらも、少しだけ懐かしさを覚えました。なぜかというと、その昔——人間が悪魔たちを使役していた時代、彼は「」として、長いこと暮らしていたからです。


「空の色はね、お星様と同じで、急には動けないからだよ。だから、ゆっくりと少しずつ、のろのろ化粧直しするしかないんだ。それにせっかく化粧を直すんなら、いろんな色を試したいというのが女心だよ」

「小麦は太陽から、色々なことを教わるからだよ。太陽のようにふっくらとした温かいパンになる方法とか、陽気な気持ちにさせるビールになる方法とかね。それを教わることができないと、将来に絶望して死んでしまうのさ」

「魚は夢を見るのが好きだからだよ。お前も夢を見ている時は、水の中だって、火の中だって、平気で息をしているだろう? 魚は無我夢中で夢を見ているから、水の中だって平気なのさ。その代わり、沖に上がったら目が覚めて、ぐったりなっちまう」

「月は傲慢だからだよ。太陽は雲に邪魔されなきゃ、いつだって頑張って空に登るけど、月は雲が全然なくたって、完全な姿を見せないことがある。そんな気位の高いやつが、醜い光を一瞬だって人目に晒す訳がないよ」

「文字はエリート志向だからだよ。もしあれこれ読み方を変えちまったら、そのたびに文字を書いて説明しなきゃならん。文字が増えすぎたら、出世競争が激しくなって、そのうち文字同士が潰しあって消えることになるだろうね」


 トトの質問に答えている時だけ、悪魔は、その身を焼かんばかりに苦しめつづける、耐えがたいほどの飢えを忘れることができました。いつしか悪魔の城には、口をつけないままの心臓が積み重なり、魂から搾り取ったしずくの瓶は、ワインのように寝かして置かれるようになりました。


「やあトト。今日はもう聞きたいことはないのかい?」


 少年だったトトも、気づけば青年になっていました。ある日、悪魔がいつものように聞くと、トトは少し言いづらそうに尋ねました。


「どうして……悪魔は人の心臓を食うのだろう。心臓なんて、僕には、とてもじゃないが美味いものには思われないのだけれどな」


 悪魔はこれには答えられませんでした。そしてじっと考えました。言われてみれば、自分はなぜこんなに躍起になって、心臓を喰らうようになったのだろう。

 

「これは僕の考えだけれど、きっと、魂は美味いんだ。けれど、魂はきっと食えば食うほど、空腹になってしまう。孤独な旅人が渇きの果てに、海水を口にしてしまうようなものだ。癒されることは決してない」


 それを聞いて、悪魔はだんだん悲しくなってきました。もうこの青年は、子供ではなくなってしまった。自分で答えを出せるようになってしまった。だから、そろそろ——心臓を抉り出さなくては。

 

 教示の悪魔は、トトの胸の中心を、鋭い刃で刺し貫きました。


 何の疑問を呟くでもなく倒れ伏したその亡骸には、悪魔がどれだけ探しても、心臓はどこにも見つからず、そしてそのあと悪魔は、ほかのどの魂にも一切手を付けることなく、そのまま死んでしまったということです。

 

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