【黒】ユウマと魔法の箱




 ユウマの友達は、でした。



 ユウマの両親は、生まれた時にはもうどちらもいなくなっていました。

 誕生日にも、クリスマスにも、ユウマはいつも家でひとりきり。

 そんな彼にも、魔法の箱は、優しく話しかけてくれるのです。


『大丈夫! 僕がついてるよ!』


 ユウマがそっと箱に触れると、望むものがなんでも現れます。

 優しい家族。たくさんの友達。

 美味しいご飯に、綺麗なおうち。

 知らない世界を教えてくれるお芝居に、心揺さぶる歌と踊り。

 けれど魔法の箱は、そういったものの「幻」を見せるだけで、実際に彼に与えることはできません。

 でもユウマは、無我夢中で飽きることもなく、魔法の箱と遊び続けました。

 ひとりぼっちの彼にとっては、それだけで十分、幸せだったのです。


「ありがとう、僕のお友達。いつか君にも、恩返しができたらいいな」


 ユウマはそう言って、いつも箱といっしょに眠るのでした。




 やがて時は流れ、ユウマは大人になりました。




 学校を出たあと、放送局のいちアシスタントとして雇われることになったユウマは、張り切って仕事場へと向かいました。仕事の中身がどんなものであれ、ユウマはべつにどうでも構わなかったのですが、仕事とはとにもかくにも真面目にやるべきものだ、という考えがあったのです。

 仕事場に行き、上司に元気よく挨拶をしました。


「おはようございます! 僕は、一体何をしたらいいでしょう?」

「おはよう、ユウマくん。気合が入っていて大変よろしい。ではとりあえず、このゴミ袋を表へ持って行ってくれるかい?」


 そんな風にして、放送局で働き始めたユウマは、飛び抜けて優秀というわけではなかったものの、それでもとっても真面目によく働くというので、仕事場のみんなから好かれていました。凛と通る元気のいい声や、裏表のない明るい笑顔も、彼をますます人気にしました。学校にいる間はずっといじめられていたので、彼自身にもわからなかったのですが、どうやら彼の顔つきは、そこそこハンサムな部類に入るようでした。


「おはよう。あなたがユウマさんかしら?」


 ある日、ユウマが局の床掃除をしていると、聞き覚えのある声がしました。モップを持ったまま振り返ると、そこには国民の誰もが知る、有名女優のナナが立っていて、彼はとっても驚きました。あまりのことで、思わずモップが手から離れてしまったほどです。モップの柄が硬いフロアに落ち、その音を廊下じゅうにうるさく響かせました。


「えっ! は、はい、僕がユウマですけれど」

「やっぱりそうね。私、ナナよ。私ね、あなたとずっとお話ししてみたかったの」

「ええっ? どうして、僕なんか……」

「あなたの声と笑顔を見ているとね、とても元気を貰えるの。だから、もっと仲良くなれたらなって」


 美しい女性から、にっこりと親しげな笑みを向けられて、ユウマは人生で一度だってそんなことされたことはありませんでしたから、かなりどきまぎとしましたが、かろうじてこう答えました。

「あ、ありがとうございます。僕なんかでよろしければ、いつでもお話に付き合います」


 それがきっかけとなって、なんとユウマは、ナナとお付き合いすることになりました。


 二人の交際は周りには秘密でしたが、ナナは忙しいスケジュールの合間を縫って、たくさんユウマに会いに来てくれました。ユウマはそんな扱いを一度だって受けたことがありません。誰かが自分のためだけに時間を作ってくれる、ということがあること自体、想像すらつかないことでした。

 彼女はとっても心根が優しく、努力家で、一般人のユウマに対しても気取らない話し方をしてくれました。言うまでもなく、すっかり彼女の虜になったユウマでしたが、それでもたった一つだけ、受け入れがたい事実が残っていました。


 人気アイドルから女優に転身したナナは、壊滅的に演技が下手だったのです。



「ねえ、今日、お食事しましょうよ。」



 ある夜のこと、ユウマは彼女とレストランでの夕食を楽しみました。ナナはそのあと演技のレッスンがあるというので、彼はひとりで家まで歩いて帰ることにしました。月のとてもきれいな夜でしたし、ナナに付き合って飲んだワインの酔い覚ましには、ちょうどよい運動でした。


 町の人々が、何やらぶつぶつと呟く声が、その日は一段と大きく耳に届きました。


「つまんねえなあ」

「どこかで見たような話ばかり。役者もみんな下手くそだ」

「嘘ばっかりだわ!」

「怖いよお、嫌だよお」


 ユウマの目に、街の至るところに置かれた魔法の箱が映りました。相も変わらず箱は、人々にとびきりの笑顔を振りまいていましたが、同時に何処かそれが、とても悲しげな顔をしているように、彼には思えました。

 魔法の箱の流す、無色透明の見えない涙が、ユウマにだけは見えたのです。



『もう、辛いんだ。やめにしたいんだ』



 そんな嘆きの声さえ、聞こえてくるようでした。ユウマは微笑んで、魔法の箱に近寄ると、頰を寄せて囁きました。


「泣かないで、僕のお友達。今に僕が助けてあげるからね」


 


 それから数週間が過ぎ。




 魔法の箱は、かつてのような本当の笑顔を取り戻していました。


 人々はまた、夢中になって、魔法の箱を愛するようになったのです。


 なぜかって? 


 それはもちろん、ユウマのおかげであることに間違いありません。

 ユウマは友達を救うことができて、えも言われぬ幸せな気持ちでいっぱいでした。

 

『ありがとう、ユウマくん!』

「いいんだよ、僕のお友達。ねえ、今日も僕と、遊んでくれるかい?」

『もちろんだよ! いつだって、準備はOKさ!』


 ところでユウマは、子供のころに、魔法の箱から一つ学んだことがありました。

 それは、、ということです。


 人は、「夢」を愛するのです。


 誰もが覚めてほしくないと願う、とびっきりの楽しい夢も。


 思わず目を背けたくなるような、生々しくて残酷な悪夢も。


 人々は救いようもなく我が儘なので、そのどちらも一様に欲しがるのだと。





 いつしかユウマは、放送局のお偉方に、人を楽しませる才能を見出され。

 その才を開花させた彼は、めきめきと司会者としての頭角を現し、やがて自分だけの番組を与えられました。


 ユウマの番組は、放送局のもくろみ通り、千客万来の大人気番組となりました。



『やあ、こんにちは! 

 今夜も皆に会えて、とっても嬉しいよ!』



 今や大人も子供も、ユウマの顔を知らぬものはいません。教育番組から討論番組まで、なんでも器用にこなしてしまう彼のことを、みんな愛するようになったのです。

 

「えー、今日は『未解決事件特集』ということで。犯罪心理学の先生をお呼びしています。先生、今日はよろしくお願いします」

「いやはや、どうも。それにしても、ユウマさんはいつでも元気ですなあ。その明るい笑顔が、どれだけ多くの国民の心を救っていることか」

「いやあ、実のところこの笑顔と声だけが、僕のとりえのようなものですからね! ハハハ!」

「ところで女優のナナさんが亡くなって、もう三年も経ちますね」

「ええ。当時は大騒ぎでしたが、結局犯人はまだ見つかっていないとか。先生はどのようにお考えで?」

「そうですねえ……巷では、犯人は彼女の熱狂的ファンだとか、嫉妬に駆られたほかの女優の犯行だとか、いろいろ言われているようですが。実は私ども犯罪心理学者の中でも、これといった有力な説はまだないのです。何しろ、あれほど狂気的かつ幻想的な犯行は、歴史的にも類がなく――」

「なるほど、なるほど。しかしまあ、本当に惜しいひとを亡くしました……では彼女の生前の活躍を、VTRでご覧ください」

 

 

 こうしてユウマと魔法の箱は、この世で1番の幸せを手に入れたのでした。

 けれどもしかしたら、皆さんの中には腑に落ちない気持ちが残った方があるかもしれません。いくつか質問をしたい人もいることでしょう。ユウマの周りで何があったのか? これから一体、何が起こるのか? 


 けれど残念ながら、私たちにはそういったことはすべて、








 皆が寝静まったあとの黒い画面の、向こう側のことに過ぎません。

 



 


 

 

 

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