第3話

 夏の熱気と湿気と、この舌三寸の作家の身勝手さに気が滅入りそうになりながらも、かの三毛猫の姿はないかと近所を捜す。しかしミケさんから散歩の行き先を聞いていたわけでもなし、彼女はそう簡単には見つかりはしなかった。

 猫には集会を開く習性があるとかないとか言うから、ミケさんはもしや、そこのところに出掛けているのでは――と訊ねてみたところ、先生の返事は「さあ」の二文字で迷宮入りに終わった。飼い主である先生が知らないのだ。まして、締切日や打ち合わせがある時に彼の家を訪れるだけの俺が知るはずもない。

 次に検討を付けたのは、先生の住居のアパートから五分ほど歩くと見える商店街。「猫といえば魚」のイメージが正確かどうかは知らないが、ミケさんへの餌遣りを先生宅での家事の一環としている俺は、彼女が魚介を好むらしいことを知っている。商店街の魚屋に足を運んだ可能性もあると見てそちらに赴いたのだが、結果から言えばその捜索も空振りである。

 これ以上の手掛かりは思いつかない。少しさびれて盛況さに欠けた商店街に、ふたり立ち尽くしていると――魚屋の店頭、年季の入った青い庇の下に並ぶ新鮮な魚介を眺めて、先生は不意に俺へと訊ねた。

「そういや新藤さん、新聞屋が商店街の売り物をサービスするとか、サンプルを見たとか言っていたけど」

「ええまあ。発泡スチロールん中に、野菜と魚のそれぞれ入ったやつが……」

 返事の途中で、察しが付く。俺のその様子に、先生もへらりと笑みを浮かべた。

「その魚を追っ駆けて行ったと?」

「優れた嗅覚というと犬のイメージがあるけれどね。人間に比べれば、猫も相当のもんだから。嗅ぎつけていったんじゃないかなあ」

 先生の推し測るところによれば、ミケさんは、うちに購読を勧めに来たセールスマンを追いかけて、新聞社にまで行ってしまったのだ。その新聞社は商店街を抜けた先の通りに建っているはずだ。歩いてもさほど時間は掛からない。

 そうと決まれば、一本道の商店街を通って新聞社の辺りを捜してみようと歩き出す。しばらく行くうちに、先生がおもむろに口を開いた。

「タヌキが主人公っていうのは案外、悪くないかも」

「その話、まだ引き摺ってたんですか」

「うん。悪行三昧だったタヌキが泥船に乗せられて、自分の状況を思い知るんだよ。そしてどうにか生きるために足掻こうとするところから始まる」

「足掻くってのは?」

「悪人だったタヌキは、それからは善いことをしようとするんだ。それでウサギに、改心したことを認めてもらおうとする。……あ、タヌキっていうのはものの例えで、これは人間に置き換えてもいいね。絶体絶命の立場に陥った悪人が、善いことしなくちゃいけなくなるんだ。例えば猫探しとか。これはコメディになるかなあ」

 先生は、判断を仰ぐようにこちらに視線を向ける。

「そいつはどうなるんです? 最後はウサギに善行を認めてもらえるんですかね」

「気になる?」

「まあ、そりゃ興味はありますよ」

「じゃあ、書こうか」

 けろりと言った先生の顔を見て、なぜか、まんまと乗せられたような気持ちになる。口車というよりは――彼の船に、といった方が正しいだろうか。帆が張られているかどうかも怪しいが、少なくともそれは、沈みかけの泥船ではなさそうだ。

「今度は嘘じゃないでしょうね」

「蓋を開けてみればタヌキに化かされた~って? あはは、それ傑作。あれ、でも泥船に乗せるのはウサギの方だっけ」

 まあいっか、と軽く言いつつ、商店街を抜けてすぐの信号を渡ると、新聞社の古ぼけた大きな看板が見える。その入口へと上るための階段に、見慣れた三毛猫が座っていた。セールスマンを追ってきたは良いものの、建物に入れてもらうことができなかったというところだろう。つまらなそうな顔をしているように見える。

 ミケさん帰るよ、と先生が呼ぶと、彼女はゆったりした足取りでこちらに歩み寄ってくる。

「締切から逃げに逃げた悪いタヌキだもんね。原稿書いて、善いことしたらウサギさんは許してくれるかな」

「……脱稿したら大目に見ますよ。とりあえずは」

 アパートへの帰路を行く先生は、なぜだか一仕事終えたような顔だ。一件落着どころか、小説執筆という名の、本当の仕事はまだ始まってすらいないのだから、今ここで達成感に浸られても困るのだが――なんにせよ船の針路は定まったというべきか。

 それに漕ぐ人の腕ならば心配はないのだからと内心に呟けば、俺の心情に同意するかのようなタイミングで、先生に抱えられた三毛猫が一声鳴いた。

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タヌキと猫と締切日 磐見 @Hitoha_soramitsu

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