パースのプラグマティズムについて

題:パースのプラグマティズムとは何か


目次

■本文

●はじめに ~パースのプラグマティズムとは、「実用的なダイナミズム」である~

●第一章 パースのプラグマティズムとはどのようなものか

●第二章 他のプラグマティストたちのプラグマティズムとどこが異なるのか

●第三章 どの点においてパースのプラグマティズムは「実用的なダイナミズム」であるのか

■考察 パースのプラグマティズムの普遍性 ~近現代プロテスタント神学における組織神学を通して~



●はじめに ~パースのプラグマティズムとは「実用的なダイナミズム」である~


 本レポートでは、パースのプラグマティズムについて論じる。

 本レポートにおける答えを提示しておくと、パースのプラグマティズムとは、「実用的なダイナミズム」であるということである。

 これから見ていくように、パースのプラグマティズムは螺旋的であり方法論的である。だからこそその後のプラグマティズムと比べても非常に動きのあるダイナミックな思想なのである。

 考察ではそのようなダイナミズムが近現代プロテスタント神学における組織神学と、「有用性」という観点において共通点があるのではないかという仮説を述べる。



●第一章 パースのプラグマティズムとはどのようなものか


 パースその人自身は科学者でもありさまざまな科学の分野でも業績を残した。その土壌のなかでパースには、デカルトを乗り越えなければいけないという「反デカルト主義」が生まれた。

 パースの主張は以下の通りである。デカルトが唱えた絶対の「コギト」は存在しない。デカルトのいうコギトは無意味で不可能な企てである。デカルトの明晰な観念こそが真理であるのならば、われわれの信念や感性をどのように明晰化するのであろうか。

 パースのこのような反デカルト主義から、「方法としてのプラグマティズム」が誕生する。唯一絶対の普遍的真理ではなく、可謬的であり修正可能な行為や実践こそが、逆説的にいうのならば「真理」なのである。パースはこれを「デカルト的格率」に代わるべき「プラグマティックな格率」と呼んだ。

 そのような方法論として、命題(「文」あるいは「信念」と呼ばれる)は「主語+述語」ではなく「条件文」に書き換えることによって効果が得られるとパースは提案した。プラグマティズムでは有効であることが重要である。その効果にかんしては「明晰さの第三段階」で分析することが可能である。



●第二章 他のプラグマティストたちのプラグマティズムとどこが異なるのか


 プラグマティズムは複数の時代に区分できる。まず、パース、ジェイムズ、デューイらによる「源流のプラグマティズム」。次に、クワイン、ローティ、パトナムらによる「少し前のプラグマティズム」。そして、「これからのプラグマティズム」である(注1)。今回はパースを中心としたレポートであるので、時代が近く関連性のより深いジェイムズとデューイと比較検討する。

 まずジェイムズである。ジェイムズはパースと非常に近い考え方をしながら、根本的なところが異なっている。それは、ジェイムズは「真理」や「価値」という伝統的哲学の概念をプラグマティズムにも導入しようとしたことである。パースはそのような概念は抱かなかった。またパースはおもに科学的探究にプラグマティズムを利用しようとしたが、ジェイムズは人生観、宗教観、道徳観など幅広い分野でプラグマティズムを応用しようとしたのである。

 パースとジェイムズというふたつの焦点ができたことで、プラグマティズムはまず楕円的なかたちを描いたといえる。

 それに対してデューイは、第三の焦点となったというよりは、パースとジェイムズというふたつの焦点を統合したといえる。デューイは両者のプラグマティズムを統合することにより、プラグマティズムに「弾力性」を付加した。具体的には、パースの「探究の理論」を理解したうえで「実験的な性格」とし、その言語的・社会的性格にも注目した。またジェイムズによるプラグマティズムの幅広い応用可能性については、「民主主義的な」理想と重なるとした。

 このように、「源流のプラグマティズム」はそれぞれプラグマティズムでありながら性格が異なる。特にパースを中心の視点として「源流のプラグマティズム」を見ていくと、以上のような記述となる。



●第三章 どの点においてパースのプラグマティズムは「実用的なダイナミズム」であるのか


「はじめに」にも書いたように、本レポートでは「パースのプラグマティズムとは」という問いに対して「実用的なダイナミズム」であると答える。

 プラグマティズムという言葉は、「道具主義」という意味に捉えられたり日常レベルでは単に「結果がよければそれでよい」といった程度の意味で使われるように、その方法論的性格に懐疑的な見方も多い。パースのいう「信念のネットワーク」にしても、「真理のない曖昧なかたち」としばしば誤解される。

 だがパースのプラグマティズムはそういったことを言いたかったのではなく、眼前の真理めいたものを真理とするのではなく、「最終的には収束していく」とした。つまり、しいて言えばその「過程」そのものこそが、「真理」なのである。眼前の真理めいた命題を真理とするのはパースの抱いていた真理のイメージとは違う。より螺旋状のゆるやかで大きなイメージである。ちなみにパースのこのような真理体系については、方法論として「アブダクション」を適用できる可能性が高いであろう。

 唯一絶対の真理命題ではなく、「最終的には収束していく」との大きな視点での「真理」という視点は、われわれの思想の「修正」を容易にする。技術や文化は変化していくものであるから、唯一絶対の真理を信じ込み続けることは不適切であると考えることもできる。われわれは最終的に間違わないためにパースのプラグマティズムを用いることができる。それは皮相的な意味での「実用性」ではなく、大きな真理に向けて収束を続けていく躍動感ある「ダイナミズム」なのである。



■考察 パースのプラグマティズムの普遍的応用性 ~近現代プロテスタント神学における組織神学を通して~


 私は卒業論文で、カール・バルトを中心の方法論として近現代プロテスタント神学における組織神学を取り扱おうと計画している。その視点から考察を述べていきたい。

 結論から述べると、プラグマティズムと近現代プロテスタント神学における組織神学は、「実用的なダイナミズム」という共通項で括れるのではないかという仮説を抱いている。プラグマティズムはどちらかと言えば科学的思想であり、プロテスタント神学のしかも組織神学という牧会のための「教会の学」とは、一見するとかけ離れているようにも見える。

 だが両者に共通している性質は、「既存の伝統的体系を絶対的真理とせずに、つねに変化し続けていくという姿勢」である。組織神学はカール・バルトの『ローマ書』にも見られるように、時代性と地域性に合わせた聖書の再解釈という営みも含まれている。聖書のテキストは変化しないが時代性も地域性も変化する。聖書の唯一絶対の解釈としての「教義」ではなく、聖書を尊びつつも、聖書のテキストを弾力的に応用していこうといった姿勢である。聖書そのものは不変であっても聖書解釈は変化せねばならないというのが近現代プロテスタント神学における聖書解釈のひとつの主流な流れである。変化し続けることを重視するのだ。

 これはパースのプラグマティズムにも存在する性質である。唯一絶対としての「真理」ではなく、その時代その地域においての真理を尊びつつも、真理そのものはそういったそのときどき限定での真理というかたちを繰り返しつつ、「収束」に向かうという性質である。

 このようなダイナミズムのなかでは思想は知的遊戯に陥ることはなく、より効力のある方向へ向かっていく。しいて言うのならばそれこそが「真理」なのである。

 一見かけ離れたプラグマティズムと近現代プロテスタント神学は、このような性質が非常に似通っているのではないだろうか。卒業論文でもこのようなことを取り上げたいと考えている。



(かたちこそが本質。変化し続けることのみが不変。個別性こそが普遍的。

 このふたつの異なる分野で共通した感想を抱いたときにはとても驚いたものでした)



注1 『プラグマティズム入門』、伊藤邦武、2016年、p14。

注2 同上、p92。

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