科学革命はどのようになされたか
題:科学革命はどのようになされたか
目次
■本文
●はじめに
●第一章 古代世界における科学観
1.アリストテレス的自然観 -古代セントラル・ドグマの背景-
2.古代天文学におけるセントラル・ドグマ
3.古代運動論におけるセントラル・ドグマ
4.第一章まとめ
●第二章 セントラル・ドグマを乗り越えるために(中世世界における科学観)
1.12世紀ルネサンス -近代科学の背景-
2.コペルニクス -天文学における第一セントラル・ドグマの破棄-
3.ケプラー -天文学における第二・第三セントラル・ドグマの破棄-
4.ガリレオ -運動論におけるセントラル・ドグマの破棄-
5.ニュートン -近代科学の集大成-
6.第二章まとめ
■考察 科学革命は「役に立つ」か?
■本文
●はじめに
本論文では、科学革命がどのようになされたかを時代を追って明らかにする。第一章では、アリストテレス的自然観からはじめ、古代ギリシアのセントラル・ドグマを論じる。第二章では、そのセントラル・ドグマを科学革命がどのように乗り越えたのか、具体的な人物名を挙げながら論じる。考察においては、現代において科学革命が「役に立つ」かどうかという観点で、科学革命を再評価する。
●第一章 古代世界における科学観
・1.アリストテレス的自然観 -古代セントラル・ドグマの背景-
古代メソポタミアや古代エジプトにおいても天文学の知識はあったが、体系的な理論化がなされたのは古代ギリシアにおいてであった。最初の哲学者であるタレスから、アナクシマンドロス、アナクシメネス、ヘラクレイトスなどの自然哲学者たちが後に続く。彼らの説はエンペドクレスの「四元素説」によって統合され、この説はアリストテレスに受け継がれることとなった。また、ピュタゴラスは「万物は数である」と主張した。
これらの諸説をまとめたのがアリストテレスであるため、ギリシア的コスモロジーは「アリストテレス的自然観」と呼ばれる。アリストテレス的自然観においては、天動説が常識であった。ここから、古代世界におけるセントラル・ドグマが生まれてくることになる。
古代ギリシアにおけるセントラル・ドグマは、天文学におけるものと運動論におけるものに大別される。以下、概観していきたい。
・2.古代ギリシアの天文学におけるセントラル・ドグマ
まず、古代天文学におけるセントラル・ドグマとは、以下の通りである。
(1)天上と地上の根本的区別
(2)天体の動力としての天球の存在
(3)天体の自然運動としての一様な円運動
これら古代天文学におけるセントラル・ドグマは、天動説の調和を守っていた。だが、いくつか問題点もあった。
大きなものを取り上げると、地球と惑星との距離が変化する、惑星が不規則に運動するなどのアポリア(難問)などである。アリストテレスはエウドクソスの「同心天球説」を採用し、解決を試みた。
しかし、地球と惑星の距離が常に一定に保たれ、観測事実と一致しないという問題があった。この問題に対しては、アポロニオスとヒッパルコスが提起し、後にプトレマイオスによって集大成される「周転円説」が答えている。「エカント」という仮定の点を用いることにより、「一様な円運動」という第三のセントラル・ドグマを守った。
「周転円説」は、コペルニクスが地動説を唱えるに至るまで発展を繰り返しながら保持される。
・3.古代ギリシアの運動論におけるセントラル・ドグマ
次に、古代運動論におけるセントラル・ドグマとは、以下の通りである。
(1)自然運動の原因としての自然的傾向
(2)強制運動の原因としての接触による近接作用
(3)物体の速度は動力に比例し媒質の抵抗に反比例する
これらのセントラル・ドグマにも天文学のそれと同じく、変則事象が見出されている。「投射運動」と「落体運動の加速度」においてである。
投射運動とは、ボールを打ったあとに、しばらくは動き続けるという現象を意味する。これは第二のセントラル・ドグマと矛盾する。この矛盾に関しては、プラトンが『ティマイオス』において「まわり押し理論」を唱えたことによって一応の解答を得た。
次に、「落体運動の加速度」だが、これは自由落下において物体の速度が次第に加速していく現象のことを指す。これに対するアリストテレスのひとつの説明は、故郷に近づくと足取りが軽くなるように物体も自然的傾向が増して速度を増す、といったものだった。
これらの説は、ガリレオやニュートンに至るまで保持される。
4.第一章まとめ
以上で見てきたように、当時の常識は現代の常識と大きく異なる。矛盾なども多く存在する。だが、これらの説のもとにおいて現在でいう科学が発展してきたことは否定できない。また、古代の天文学や運動論は非常に理路整然としており、千年以上の時を経ないと変えることができなかったほど、「科学的」だったのである。
●第二章 セントラル・ドグマを乗り越えるために(中世世界における科学観)
1.12世紀ルネサンス -近代科学の背景―
古代ギリシアのコスモロジーは、そのまま中世のキリスト教的世界に受け継がれたのではなく、アラビア世界を経て、ふたたびヨーロッパに受け継がれる。
ギリシア科学はどのようにして受け継がれていったのだろうか。紀元前四世紀ごろアレクサンドリアに伝わり、紀元後四世紀シリアでネストリウス派などが持ち込んだ書物によってさらに伝わり、バグダッドの知恵の館(バイト・アル・ヒクマ)においてギリシア語からアラビア語に翻訳され、保存されることになる。特に、アリストテレス、ユークリッド、アルキメデス、アポロニオスなどの科学が、重点的に読まれた。十世紀ごろにはデモクリトスの研究もなされていた。注釈書も作られた。十二世紀までギリシア科学を保存していたのは、アラビア世界だったのである。
この後、ヨーロッパにおいてアラビア語からラテン語への翻訳運動が起こり、この動きが「12世紀ルネサンス」と呼ばれる。
アラビア科学は、アラビア数字や六十進数、代数学、アルゴリズムなどを中世ヨーロッパにもたらした。また、ギリシア科学の実証精神とアラビア科学の実験精神も、中性ヨーロッパに引き継がれた。
12世紀ルネサンスが近代科学の土壌となったことは間違いない。
2.コペルニクス -天文学における第一のセントラル・ドグマの破棄-
科学革命はコペルニクスより始まった。それは、天動説から地動説へのコスモロジーの転換であった。コペルニクスの地動説は、古代天文学における第一のセントラル・ドグマである「天と地の区別」を否定することに繋がる。しかしコペルニクスは、第二のドグマ(天球の存在)と第三のドグマ(一様な円運動)というふたつのドグマに忠実であろうとしたために、このような仮説を呈示したのだった。こちらのほうがシンプルであり、「神の意図にかなう」としたのである。確かに、周転円を八十個も持つプトレマイオス体系よりも、地動説の理論が単純であることは指摘しておかねばならない。
コペルニクスは、「天球の存在」と「一様な円運動」という伝統的ドグマを守りたかったがために、地動説を唱え天動説に挑戦したのである。
3.ケプラー -天文学における第二・第三セントラル・ドグマの破棄―
ケプラーは、コペルニクスが囚われていた「一様な円運動」と「天球の存在」というセントラル・ドグマを打ち破ろうとした。
まず、前者に関しては、従来の円ではなく楕円を想定したのである。このことがケプラーの大きな功績である。ケプラーの第一法則は「楕円軌道の法則」、第二法則は「面積速度一定の法則」である。これにより、「円の魔力」からの解放がおこなわれた。後者に関しては、太陽系のすべて惑星の距離と太陽との関係を示し、結果的に太陽中心説を唱えることになる。ケプラーの第三法則である「調和法則」である。
ケプラーはまた、今日の重力的作用を「運動霊」に求めた。これには神秘的な側面もあるが、それを抜きにして考えれば、今日の重力につながる。
コペルニクスが「天と地の区別」というセントラル・ドグマを乗り越えたのに続き、ケプラーは、「一様な円運動」と「天球の存在」というセントラル・ドグマを乗り越えたといえる。
4.ガリレオ -運動論におけるセントラル・ドグマの破棄-
ガリレオは、「質的」自然観から「量的」自然観への転回を成し遂げた。ガリレオは『偽金鑑識官』で、「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」という一文に要約される文章を書く。これは、宇宙は数学により理解できるとしたガリレオの考えだった。
また、ガリレオは一次性質と二次性質を区別した。一次性質とは、形、数、運動、大小、時空位置などの、物体から分離できない実在的性質のことである。二次性質とは、味、匂い、音などの、感覚的性質のことである。前者を客観的性質、後者を主観的性質とした。その上で、前者のみが数学的法則に当てはまるとしたのである。この性質の区別が、自然を数学的に解釈できる道を開いた。
さらに、ガリレオは運動論においても大きな発見をした。重い物体のほうが先に落ちるというアリストテレスの運動論を打ち破った。まずはアリストテレスの運動論は二つの結果が導き出せてしまうとして矛盾があることを論証した。次に実験を行い、「真空中ではすべての物体は同じ速度で落下する(第一法則)」および「自由落下する物体の落下速度は落下時間に比例し、落下距離は落下時間の二乗に比例する(第二法則)」という法則を発見した。また、慣性の法則も発見した。
これらをまとめると、以下のようになる。
(1)アリストテレス的な「自然的傾向」「自然的場所」から解放され、量的自然へ。
(2)投射運動により、接触による近接運動の問題を解決。
(3)水平運動と垂直運動の合成運動により、落体の法則だけではないことを証明。
以上のようにして、ガリレオは古代運動論におけるセントラル・ドグマを乗り越えた。
5.ニュートン -近代科学の集大成-
以上のようにして、古代天文学におけるセントラル・ドグマはコペルニクスとケプラーによって、古代運動論におけるセントラル・ドグマはガリレオによって打ち砕かれたが、まだ重大な問題が残っていた。
それは、天上の運動と地上の運動を同じ法則により統一することである。
集大成ともいえるその著作『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)』において、ニュートンは定義と公理を掲げている。以下、その一例である。
・運動の法則
(1)慣性の法則
(2)運動法則(f=m×a)
(3)作用反作用の法則
・物体が楕円の焦点に向かう引力は距離の二乗に反比例する(逆二乗の法則)
ケプラーの解明した惑星の運動が、これらの定義と公理などにより説明可能になった。
また、ニュートンは「万有引力の法則」により、古代におけるセントラル・ドグマを最終的に打ち砕いた。万有引力は、遠隔作用の力である。これにより、アリストテレスの言った物体の接触作用が完全に否定されたのである。加えて、天上と地上には同じ力が働いており、量的自然として把握できることを明らかにした。
ニュートンはこうして、近代科学を完成に導いたのである。
●第二章まとめ
以上、科学革命を概観してきた。12世紀ルネサンスを背景に、科学革命はコペルニクスにはじまりニュートンに終わる。古代天文学におけるセントラル・ドグマを打ち砕いたのはコペルニクスとケプラー、古代運動論におけるセントラル・ドグマを打ち砕いたのはガリレオ、それらの集大成を築き上げたのがニュートンであるといえよう。
科学革命はこのようにして、古代のセントラル・ドグマを打ち砕くことにより成し遂げられたのである。
■考察 科学革命は「役に立つ」か?
以下では科学革命に対する私の考察を述べる。
呈示するテーマは、科学革命が「役に立つ」かどうかである。科学革命がいくら科学に功績を残していようが、科学史的観点などから見て評価できようが、現代に応用できる箇所がなければ「役に立つ」とはいえない。
ここで注意したいのは、「役に立った」ではなく「役に立つ」としているところである。つまり、現代日本において科学革命を学ぶことに意味があるかどうかを問うているのである。
結論から述べると、私は科学革命は「役に立つ」と思う。以下に二つの理由を述べる。
科学革命というのは、千年以上も信じられてきた間違い(セントラル・ドグマ)を打ち砕く過程であった。私たちが現在信じている科学的説(ビッグ・バンや量子力学など)なども、もしかしたら間違いであるかもしれないという可能性を科学哲学は呈示する。これが第一の理由である。
また、科学というのは間違いを繰り返し修正を繰り返し、現代科学に辿り着くのである。現代の科学も、科学革命の延長線上にある。仮定の話であるが、はるか未来の人たちは科学革命の時代とわれわれのいう現代を混同して考えるかもしれない。現代も、科学革命の時代と同じように誤謬を犯している可能性があるからである。科学革命はそのような可能性をも示唆してくれる。
ひとことで言ってしまえば、科学革命を学んだことは、非常に「プラグマティック」な経験である。文理を問わず、たくさんの人が学んだほうがよいと思われる。
科学革命は「役に立つ」。無謬説への薬として。これが、私の結論である。
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