応援コメント

ルネ・デカルトの「神の存在証明」を、いま、ここで、言う。」への応援コメント


  • 編集済

    度々失礼します。
    ほんとにすいません。
    こんだけ話せる人いないんで。

    これにこれについては多くの日本人の言う神と、キリスト教の神の捉え方が違うのではないかと思います。

    天と地の考え方の相違を考えてみます。

    日本人の天と地は、空と大地、つまり自然であり、世界の全てです。

    キリスト教の天と地は、HeavenとNatureです。地とはNature、自然であり、宇宙を含む現世全てです。
    対してHeavenは天国、天界であり、全く別の高次元の世界です。

    キリスト教の神はこの高次元の世界に存在するのに対し、日本人の神は自然界に存在します。

    従って日本人の言う「神が死んだ」は自然への畏敬を失うことだと思います。もののけ姫のエボシがそれです。自然を資源として消費することが神殺しなのです。

    翻ってニーチェの言う「神が死んだ」はキリスト教の価値観の危機です。近代化と科学的思考のせいです。

    デカルトの神の証明はアリストテレスの存在の証明を逆算したように思います。

    アリストテレスは原因が有って結果が有ると考えました。自分がいるなら親がいる。親がいるなら祖父母もいる。その最初の一人はアダムとイブで無ければ説明がつかないわけです。
    と、なれば神の存在証明とは自分の存在証明です。

    ニーチェは神の存在が揺らぐことで、自身の存在が揺らぐことを危惧しましたが、それは日本人の考える神の死とは比べ物にならない危機感だと思います。

    ニーチェは、その対策を立てようとしたのかと思います。

    作者からの返信

    おっしゃる通りかと思います。
    日本人のいう「神」と、キリスト教の「神」は、つねに厳密に分けて考えてゆかねばなりませんね。