ミカと縄文土器

深草みどり

ミカと縄文土器

「それでミカはショックを受けたわけだ」


 東京都三鷹市にある私立大学の構内を芦間ミカ(あしまみか)は同じ大学の院生でサークルの先輩である小林三星(こばやしさんせい)と歩いていた。


「そうなんですよ。私、ハリウッドのスターが来日した時の通訳を目指していたのに。あんなすごい技術を見せられたら夢も希望もなくなります」


 ほんの一時間ほど前、ミカは大学が招いたAI開発者の講演を聞いていた。そこでリアルタイムで通訳をする最新の技術を見せられ、大きな衝撃を受けたところだった。


「でもさ、いくらAIがすごいって言っても今日、明日に通訳の仕事がなくなるわけじゃないだろ?」

「確かに仕事は無くならないって講師の人も言ってました。でも十年もすれば人と人の通訳をするんじゃなくて、AIに学習させるためのデータを作る仕事になるんですって。それじゃあセレブと会えないですよ。暗い研究室で機械のために仕事をするなんて!」

「職があるだけいいじゃないか。考古学専攻の俺なんてそもそも就職先が無いんだから」


 二人は森の中にあるプレハブ小屋を目指していた。そこはかつて考古学研究所と呼ばれていた場所で、今でも大学構内で発掘された遺物の保管場所として使われている。今日、ミカは三星からもらった試験問題のお礼に彼の仕事を手伝う事になっていた。


「ようこそ、考古学研究所へ!」


三星がプレハブ小屋の扉を開けるともわっとした湿った空気とカビの匂いが流れ出てくる。ミカは思わず顔をしかめた。


「ミイラでもいそうですね。ピラミッドの研究でもしてるんですか」

「それはエジプト。そういうのは隣にある中東文化センターに行ってくれ。ここは主に縄文時代の研究をしていた場所だよ」

「なんで大学の森の中に?」

「ここに縄文時代の集落があったからさ。この大学が武蔵野台地の上にあるのは知ってるだろ」

「いえ知りません」


 ミカの素っ気ない回答に三星が悲しそうな顔をする。


「……まあ、普通は知らないか。大学は武蔵野台地という大きな扇状台地の端っこにあるんだ。すぐ近くに崖があって、その下を野川が流れてるだろ。水場が近い上に水捌けもいい、暮らすにはうってつけの場所なんだ」

「そういえば私の家の近くを流れている川がそんな名前でした。蛍がいたり山葵を作ったりしてるんですよね」


 ミカは大学の近く、新撰組の近藤勇の生家近くに住んでおり、「勇坂」という名前の長い坂道を通って通学している。どうやらその坂道が武蔵野台地の端にある崖らしい。


「野川の水は数千年前から人々や動物にとって貴重な水の供給場所だったんだ。だからこの場所には縄文時代から人々が住んでいたんだよ。ちなみに縄文時代は今から一万五千五百年前から二千四百年前までだ」

「一万年……」


 十年後の技術革新に怯えているミカにとってはスケールが大き過ぎる話だった。全く想像がつかない。というか、ミカはあまり興味がなかった。それよりも気になる事がある。


「ここ、最後に掃除したのはいつなんですか? ずいぶんと埃っぽいですけど」

「俺が学部の三年の時かな。あの頃は他にも考古学を専攻する学生がいたから」

「それって二年前じゃないですか」

「滅多に使わないから。それに縄文時代に比べたら二年なんて誤差の範囲だよ」


 二人は小屋の奥に進む。そこには大きな部屋があり、壁一面に頑丈そうな棚が並んでいた。棚には縄文土器らしい土でできた無骨な器やプラスティック製のトレーが並んでいた。そして部屋の中央にはなぜか水の入った青いバケツが置かれている。


「ここは土器の保管庫。大学構内の遺跡から見つかった物を発掘場所別に保管してるんだ。そこにあるのが最近俺が掘り出した土器」


 部屋の中央にあるテーブルの上に置かれたトレーを見ると、確かに土器らしい器の破片がどっさりと入っていた。土から掘り起こしたばかりのようでかなり汚れている。言われなければ泥のついたレンガの欠片のようにも見えた。


「で、私は何をすればいいんですか? 部屋の掃除?」

「まず、そこに座って」


 ミカは言われるままに 部屋の中央に置かれたパイプ椅子に腰掛ける。


「そして、はい、これ」


 ミカは大きなブラシを三星から受け取った。


「そのブラシとバケツの水で土器を綺麗にしてほしい。表面の文様がはっきりと見えるくらいに。明日の授業で使うんだ。学生に一個ずつ配ってスケッチさせるんだって。教授に準備を頼まれていたのを忘れててさ。汚れを落とした土器は空いてるカゴに置いて乾かす、簡単だろ?」

「……まあ、これで借りがチャラになるなら。おかげで単位を落とさずにすんだので。がんばります」


 それからミカは言われるままに土器片の水洗いを始めた。カゴに山積みされた五センチから十センチくらいの破片を手に取る。その表面にはゴツゴツした太い粘土紐が立体的に貼り付けられていたり、雷のようなギザギザや渦のようにグルグルした装飾、そして縄目でつけたような紋様などがあった。土器の厚みは一センチ近くあり、現代の茶碗などと比べると分厚く無骨な感じがする。割れた断面にはざらざらとした荒い粒子が見えておりいかにも原始的だ。土製なので水で溶けてしまいそうだが案外頑丈で、ゴシゴシと擦ると汚れが落ち、表面のデザインがはっきりと見えてくる。


「こんな感じでいいですか?」


 ミカは汚れを落とした土器片を三星に見せる。


「いいね。その調子で頼む」

「頑張ります」


 とは言ったものの、十個くらいを洗ったところで飽きてきた。単純作業な上、爪に泥が入るわ、うっかりバケツに落とした土器が跳ねた水でシャツが汚れるわでモチベーションが下がっていく。ミカの動きが鈍くなっているのに気がついた三星がパソコンから顔を上げた。


「なんだ、もう飽きたのか?」

「だって、ただの土の塊ですよ。刺激が足りないです」

「そうかな? 色々と興味深いぞ。俺は土器は縄文人と対話できるツールに見えるけど」

「そういう電波なのはいいですから」


 ミカは呆れ気味にブラシを動かす。そのつまらなそうな姿を見た三星が何かを思いつき、席を離れると棚に飾られていた土器を持ってきた。赤っぽい土でできた大きな花瓶のような土器で円筒形の部分の上にラッパのように開いた部分があり、さらに正面から見て右側にだけ鶏の鶏冠のように突き出ている部分がある。


「これを見て何か感じないか?」

「赤っぽくてツノがあって……目立ちたがり屋ですか」

「そういう反応は初めてだよ」


 三星が面白そうに笑う。


「これは勝坂式土器といって、縄文時代の中期頃にこの辺りで作られていた土器なんだ。立体的で荒々しいだろ? 国宝に指定された火焔土器と同じ時期の土器なんだ。それにほら、この土器って左右非対称だろ?」

「まあ、丸い器にツノが一本ですものね」

「太陽の塔で有名な岡本太郎はこれと似たような土器をみて「非常なアンシンメトリー」とか「超自然的な力と均衡」とか言って感銘を受けたんだ。その土器片からも何かを感じないか」

「はあ……。私にはただの原始的な入れ物にしか思えませんけど」

「ははは、いきなりは無理かもな。じゃあ視点を変えよう。当たり前だけど土器は全てハンドメイドなんだ。一点一点どれも違う表情がある。ほら、あれなんてミカにぴったりの土器だ」


 三星が指差したのは棚の上に置かれているごく普通の浅い鉢のような土器だった。表面に立体的な装飾はなく、代わりに細い線で幾何学的な文様が刻み込まれている。


「近くで見てみて。面白い発見があると思う」


 ずっと座っている事に飽きていたミカは立ち上がると土器の目の前に立った。少し背伸びして顔を近づける。遠くから見た通り、浅鉢の表面にはぎっしりと線状の文様が刻まれていた。アルファベットのXのような文様があり、その中に間隔を開けて細かく線が入っている。まるでクロスする横断歩道のようだ。


「どうしてこれが私にぴったりなんですか? あ、この鉢みたいに底の浅い女だって言いたいんですか」

「いや、裏を見てみて」


 ミカは土器を手に取り表裏を逆にする。裏目にも表面と同じような文様が刻まれていた。だが、少し雰囲気が異なる。


「これって……」

「面白いだろ。それもここで見つかった遺物で大体四千四百年前の物なんだ。文字も無い時代のものだけど作った人間の息吹を感じるだろ」


 土器の裏面にも表面と同じように梯子のような紋様がある。だが、表はきれいに五ミリ単位くらいに線を入れていたのに対し、裏面はその間隔がまばらだ。五ミリが七ミリになり、一センチになり、持ち直して五ミリに戻っている。


「縄文時代、土器作りは女性の仕事だったって言われてる。その土器を作った女性もきっとミカみたいに飽きっぽかったんだと思う」


 ミカは土器の模様をじっと見た。土に線を入れる作業に飽きたのか、あるいは他の事に気を取られたのか、線の間隔がいい加減になる部分が所々にあった。


「大昔にもズボラな子はいたんですね。少し親近感がもてました」

「そうそう。それに不思議だろ? 機械みたいに精確じゃないところに人間性を見出せるって。もしその土器が完璧なデザインなら、きっとミカは興味を持たなかったんじゃないかな。人間だからこそ出せる味もあるって俺は思うよ」


 少しだけ照れ臭そうに三星が言った。


「……もしかして、私を慰めようとしてくれたんですか」

「土器を洗うのは元々頼もうと思ってた。たまたま思いついてさ。どんなに技術が発展しても人間は変わらないんだから。そんなにAIに怯えることもないと思うよ」

「だと、いいんですけどね」


 ミカは土器を棚に戻しながらため息をついた。だが、少しだけ気持ちが軽くなる。将来に対する不安は無くならない。だが、四千年以上前に自分と似たような性格の女性がこの辺りで暮らしていた。それにいくら技術が進歩しても人間の本質は変わらない。それを知ったことで自分の人生もなんとかなる、そんな楽観的な気持ちになった。

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ミカと縄文土器 深草みどり @Fukakusa_Midori

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