おいてけぼりの町
戸谷真子
14歳
公民館の前の広場に建ったやぐらの上から、藍染の甚平を着た高田の兄ちゃんが赤と白の幕を垂らしているところだった。ここ数年はいつもこの光景を目にしている。
広場を囲むフェンスの向こうには、チューブのまま塗られた青い絵の具の色をした空があって、黒ずんだ二階建ての町営団地がある。まるで戦後――戦後って昭和だっけ――からずっとそこにあるみたいだ。
そんなことを考えながらぬるくなったラムネをぐいと飲み干すと、からりと硝子玉が音を立てた。
「おー、来たん」
高田の兄ちゃんがこちらに気づいて、手を振っている。
「来たよ」
彼に会うのはいつも一年ぶりだ。夏休みのお盆の時期には決まってばあちゃん
ざりざりと広場の砂を慣れない草履で踏みつけながら近づくと、高田の兄ちゃんはやぐらの柵を超えてひょいと飛び降りてきた。
「暑っつう。あ。ラムネ?」
「差し入れ」
「は。去年のこと覚えちょったんやね」
「そら炎天下ひたすら歩かされたらね」
自販機は車道を下って延々と歩いた先にしかない。そーやろな、とズボンのポケットをまさぐって取り出した二百円を、高田の兄ちゃんはわたしにくれた。
「もう終わったと?」
「おー。早かろ?」
兄ちゃんはやぐらの日陰に腰を下ろして、瓶を地に立てた。ほとんど同時にその大きなてのひらがフタを押し込む。気泡にまみれた硝子玉が透明なラムネの中に一度沈んで、ゆっくり浮かんでいった。
浴衣が汚れるといけないから、わたしは立ったままだ。立ったまま辺りを見渡していた。連なるぼろぼろの町営住宅も、手洗い場ひとつない広場も、なにひとつ変わってはいなかった。それから、今年もやっぱり蝉がたくさんいて、うだるように暑い。
飾り帯に差したうちわを上からひきぬいて、パタパタと首元に風を送った。
「今年は
「そっか」
去年の盆踊りのあとに亡くなったひとは、今年、やぐらのそばに建てられるテントに遺影がおかれる。それは毎年変わらなくて、わたしはそれが嫌いだった。
夜は提灯とやぐらの蛍光灯が光るだけの暗闇。
盆踊りなんて踊るひとはまばらで、元気なジジババたちはビールを飲んで馬鹿騒ぎをする。遺影なんてだれひとり見ないし、涙を流すひともいない。
そう文句を言うと、高田の兄ちゃんは目を細めて笑った。よく日に焼けた肌は、日陰のなかでもつやつやしている。
「そんなら律儀に毎年来んでよかろーも」
「うちのばあちゃんが
「踊り子ひとりも出さんでからっち? さすがにないない」
「わからんよ。女の世界は怖いけね」
「……そうか」
閉鎖的なこの町がいやで、母はわたしを連れて逃げ出したのだから。
風がふいて、やぐらの紅白の幕がふわりと浮き上がった。
「今年の
「え、そーなん」
よくここまで漫画みたいに典型的ないじわるババアになれたもんだと感心してしまう、北のばあちゃんはそんなひとだった。
「やぐら。いまならのぼれるんやない?」
「え?」
「のぼりたかったっちゃないと?」
まだ
そうか、あれは北のばあちゃんだったのか。
――女がのぼっていいわけなかろ!
――なんで!?
――口答えするな! あんたんがたどういう
はじめての理不尽に直面して、ぼろぼろと涙を流すちいさなわたしをよそに、母はただへこへこと頭を下げていた。
立ったまま、やぐらを見上げた。紅白の幕の向こうには和太鼓がある。わたしはあれを叩いてみたかったのだ。あのころよりは遠くない。手を伸ばせばすぐに届いてしまうだろう。
「んー、いいや」
「いいと? だれもみよらんばい」
「北のばあちゃんが見てそうやん」
高田の兄ちゃんはしばらく腹を抱えて笑っていた。カラカラと瓶の中の硝子玉も揺れる。
「それに、女の子はだれものぼってないとやろ?」
「それは――まあ、うん」
「やっぱりねえ」
申し訳なさそうにしている。
高田の兄ちゃんがそうしてくれているだけで、まあいいかと思えた。
「兄ちゃんはこの町でらんと?」
「たぶんな。――高専出たら推薦でトヨタの工場いくか、ダメなら裏の板金屋いくやろーし。おまえは?」
「まだわからんけど、絵の勉強がしたいかな。飛行機のって、外国いって、いろんな国の風景を描きたい」
「すげえね」兄ちゃんはまたラムネを飲んだ。「そらやぐらとかどうでもよくなるわ」
「どうでもよくない」わたしは言った。「ね、ここに残るなら、女の子が堂々とやぐらにのぼれるようにしてってよ」
高田の兄ちゃんは砂の上にごろりと寝転がった。やぐらから広場の四方に伸びる提灯の向こうの空は、悲しくなるほどに青い。そこをまっすぐに飛行機が抜けていった。
「大人になっても、この時期戻ってくるなら、考えちゃあ」
目じりの上がった黒い目が、まっすぐにこちらをみている。首筋を流れた汗が妙に恥ずかしくて、わたしは顔を逸らした。
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