第3話 明日の我が身

「ケイネル様のことでご相談があるのですが」

 私は仕事終わりにヤーコブを捕まえて相談に乗ってもらうことにした。

「なるほど、そうですか」

「そうですか、ではなくてですね――」

 ヤーコブは手を振って言葉をさえぎると貴方は言葉に従えばいいのですと踵を返す。

 2時頃に私は調理場に、アフタヌーンティーの添え物をお願いに向かった。

 なんだかんだヤーコブはケイネルに申したのかケイネルと廊下で出くわした時に次からは紅茶とクロワッサンだけでお願いするよと腰を曲げた私に言った。

 コックのゴードンとはここ数日――細かくいえばケイネルからサンドイッチを頼まれてから――話すようになった。

「ゴードンさん、今日はクロワッサンをお願いします」

「あいよ」

 白の制服を着た髭を生やした大柄の男は直ぐに粉を出して水と捏ね合わせた。日焼けしてブラウンの腕を滑るように動かす姿はいつ見ても圧巻の一言であり、普段の男然とした風貌から一変してまう粉さえも彼の装飾の1つとなっていた。

 そしてその最中、私は魔法を見た。比喩ではない魔法を。

 ここに来た時から期待はしていたが見る機会はとんとなかった。今日ゴードンの調理を見ているのも気まぐれだ。

 彼は石窯に薪をくべると指のひと鳴らしで火をつけた。

 ただそれだけで薪がぼうぼうと燃え盛っているのをその熱気を感じることが出来た。

「なんだ?初めて見た感じか?マダムの所では見なかったのか」

 手から伸びる火の手に魅入っているとゴードンが生地を伸ばしながら声をかける。

「ええ……はい。マダムは魔法を使っていませんでしたし、魔道具の類も無かったと思います。火を使う場合は火付け石を使いました」

「はは!マダムらしいな。昔と変わらない」

「そうなんですか」

「あれ?ヤーコブさんから聞いてないのか」

 私が疑問を顔に浮かべるとゴードンは目を丸くした。

「俺も、ヤーコブさんもマダムのところから来たんだよ。と言ってもケイネル様の父親の代からだけど」

 ゴードンは手を止めて昔を懐かしむように目を閉じる。

「俺はここに同期と雇われてな」

 私は屋敷の中にいるゴードンと同年齢のバトラーを思い浮かべる。

「ハンサさんですか」

 ゴードンは大声で笑い、手を叩く。

「お前が俺をどう思ってるかわかったわ!そんな歳じゃねえよ」

 思いのほか驚きが顔に出ていたのかまた大きな動作で笑った。

「メルベールだよ」

「でも、メルベールさんってお若いですよね」

 私はメルベールの顔を思い浮かべる。艶のある長い金髪と薄ピンクの唇、ハウスキーパーのメイド姿が実に似合っており、その童顔は私より年下と言われても不思議無いくらいだ。

「若作りがすげえのよ。本当はあいつ――」

 ゴードンが口を開いた瞬間、その顎を無理やり閉じるようにフライパンが振り上げられた。

 あが!

 ゴードンの悲鳴が調理場に響いた。

 フライパンの持ち主を見れば話題の中心にいたメルベールが頬を少しだけ赤くして肩を上下させていた。

「エルくん。仕事をしてきなさい」

 小さな声だがその声音に微小の殺意を感じた私は大きく返事をして早足でその場を離れた。

 クロワッサンは後ほど復活したゴードンから受け取った。


 ◇


 私はアスランと共にケイネルの屋敷で世話になっていた。ゴードンはよく話し相手になってくれて、メルベールはアスランを補助してくれて、ヤーコブは私とケイネルの間を取り持ってくれていた。

 使用人室にある自分のベッドに腰をかける。線対称の部屋のもう一方のベッドにはアスランが寝息を立てている。

「今夜にでも……」

 固めた決心はアスランの寝顔を見ているとスルスルと解けていくようだったが、手をぐっと強く握りしめて爪をくい込ませる。この痛みを忘れたとしても決意だけは忘れないように。

 今日まで生きてきた灯火はもうすぐ尽きてしまう。

 ケイネルの名前を知ったのは捕まってすぐの事だった。

 山賊は私たちに警戒を一切せず、近くの倒木に座り火を囲んで報酬のことを話していた。

「今回の依頼はいけ好かねえ貴族のジジイからだろ」

「そう言うなよ。報酬はいつもの3倍はある」

「そこが胡散臭え。お頭は貴族に心を寄りすぎだ。いつ切られても可笑しくないってのに」

 その話に出てきたジジイの名前はドルード・バッシュルという貴族だった。私の家族が住んでいた村に1番近い貴族。どうやら自作自演で村を救って名声を上げたかったようだった。

 私はマダムの所から磨いてきた体術を振り返りながら袖下のナイフを確かめる。

 ナイフを調達した直後、ティーを入れることも近づくこともさせやし無かった。絶対に私がケイネルの命を狙っていることに気づいている。

 ケイネルは昔マダムの屋敷の部屋で覗き見たドルードの若い姿とそっくりだった。朝挨拶をする度に、昼彼にアフタヌーンティーを入れる度に、夜寝に着く瞬間に、私はその顔を思い出して心身穏やかで居られなくなる。

 ドルードの肉親なのだ。殺して吊るしてドルードに恐怖を与えてやる。

 ふと、何故私は今の家族やその村が襲われたことで心が燃え上がるのか考えることがある。しかし考えることなど不毛だったと気づいた。私を愛し、私が愛するならばそんなこと関係ない。

 私はナイフを袖の奥に強く押し入れるとドアを開けた。

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