ねこの日
「今日は猫の日だね」
夏美はそう言って、急に立ち止まった。駅のすぐ手前。踏切を渡って改札があるすぐそばでのことだ。
――二月二十二日は、猫の日だという。由来は、知らない。
「この辺り、猫、沢山いるよね」
夢のある言い方をすると、猫の楽園。
元も子もない言い方をすると、去勢されていない猫がいる。
だから、今でも偶に知らない猫と出会う。
「あいつに会いに行こう」
「あいつって?」
「背中の毛の長い、ブチの」
夏美はくるりと身を翻す。一つにまとめられた髪がふわりと揺れた。
「あっちの駅の、うなぎ屋さんの前の?」
そう、と夏美は頷いた。にひひ、と笑って、仲良しだからね、と言う。
そう言えば、あの猫は夏美に大層懐いていた。私が近づくとそっと離れてしまうのに、夏美には自分から向かって言って、足の間に挟まるのだ。
「丁度夜だし、きっと会える」
言い出した夏美ははやい。
さっきまで歩いてきた道をとんぼがえり。帰り道なのに、また帰る。
「あ」
線路沿いに続く細い、けれど人がよく通る道で、白い猫に出会う。この猫は、よく出会う。この道のすぐそばにある家に住みついていて、よく倉庫の上から前を行く人々を眺めているのだ。時折電車を待っているときにも、目が合う。人慣れしているらしくて、この子は私にも心を許してくれているらしい。
「おまえもいくかい?」
白い猫は、首を傾げて、ころりと身体を地面に転がした。夏美は猫に好かれる体質なのだろうか。
夏美と一緒になってお腹を撫でてやると、白い猫は満足そうに立ち上がり、家の横にある小さな竹林の中に帰っていった。あの中に毛布があるから、きっとそこで昼寝をするのだ。
「さて、長旅だね」
夏美はそういって立ち上がる。
「遅くなっちゃうね」
「まあ、いいよ、少しくらいは」
黄色い建物の歯医者の前で、夏美がふと止まる。
「喉が渇いた。温かいものが飲みたいな」
「そこに自動販売機あったっけ」
歯医者の建物を曲がってすぐのところだ。
「あるけど、自動販売機じゃだめだ。温かみが足りない。」
「ミニストップまで行く?」
左に曲がれば自動販売機がある。右に曲がると、ミニストップがある。
「そうしよう。ついでに、おやつを買っていこう」
夏美について、右に曲がる。昔の幹線にぶつかるところで、左に曲がる。ドラッグストアと、その上にジョナサンがあって、その建物の次がミニストップ。
駐車場を抜けてミニストップに入ると、仄かに効いた暖房が身体を温めてくれる。芯からとは言えないけれど、それでも風が吹く外よりはよっぽど温かい。
「セントラルヒーティングだね」
「それはちょっと違くない?」
「まあまあ」
そんな冗談を言いながら一番最初に夏美が向かったのは、温かい飲み物が置いてある場所ではなくて、生活用品が置いてある場所だった。
「何買うの?」
「おやつ」
おやつは、隣の列だ。
「猫のね」
よくCMをやっている、あのおやつ。知らなかったのだけれど、コンビニにも売っているらしい。
「いいのかなあ?」
「さあね。いいんじゃない?」
知らないけど、と夏美はそのまま進んでしまった。
そうして、夏美はちゃっかり人間用のおやつも持って、飲み物と一緒に買った。私も、適当にミルクティーを買った。
「うう、さむいな」
自動ドアを抜けながら、夏美が言う。三月にもなれば春だと言い始めるのだろうけれど、やっぱりまだまだ冬だ。私は買ったミルクティーを夏美の頬に押し当てた。
「うーん、及第点かな」
「なにが?」
「こっちの話」
学校の横を通り過ぎて、そのまま反対側へ進む。あっちにも駅がある。あっちからも帰れる。でも、なぜか私たちは向こうの駅から帰っている。どうして向こうの駅から帰ることにしたのかは、もう覚えていない。
夏美の言う猫のいる場所は、遊歩道みたいなのに面している。もっと明るい駅へ行く大通りの方とか、うちの高校の生徒がいつも通っている道を使ってもいいのだけれど、夏美は何も言わずに暗い道に入っていった。冷たい風が頬を過ぎていく。髪の毛がふわりと空気を孕む。
「暗いね」
住宅街だけれど、もうこの時間となれば人通りは少ない。
「車とか来たら大変そう」
少し大きめの一軒家、それからマンション、そして分譲住宅。辺りにあるのはこれくらいだ。あとは、本当に小さな公園もある。昼間に帰るときには、子供が遊んでいることもあるけれど。
「古くから住んでいる人も多いから、その辺は慣れてるんじゃないかな」
どうやら、そういうことらしい。生徒会で、地域の人との関わりでもあるのだろう。
「月が出てる」
「ほんとだ」
空には、六分くらいの、中途半端な月があった。
「こんな夜には、きっとあいつがいるよ」
夏美はなんだか満足げだ。
「会えるといいね」
ああ、と笑う。横顔が、少し眩しい。
もうすぐで遊歩道に出る。そうしたら、すぐのところにあるうなぎ屋さんの入口のところに、きっとあの猫がいる。いつもみたいに香箱坐りをして、夏美が来たらゆっくりとした動きで、その脚の間に挟まるのだ。そして時々私の方を見る。
――譲ってあげる。
そうやって、私はちょっと上から、その猫のことを見るのだ。
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