メジロ
「夏美!」
私は少し前を歩く夏美を呼んだ。床に、小さな黄緑色の鳥が倒れているのだ。目の周りが白くて、黒い嘴は案外鋭い。その白く囲まれた小さな目は、閉じられたままになっている。
「生きてるのかな」
夏美がしゃがみ込んで、鳥のことをじっと見る。五秒くらい見てから、夏美は首を縦に振った。
「ちゃんと呼吸もしてる。硝子にでもぶつかったのかな。多分ちょっと脳震盪起こしてるくらいだ」
二人で目線を上げた先には、大きな窓ガラスがあった。学校の特徴的な部分の一つなのだけれど、あまり綺麗でもない。背丈よりも大きい硝子なために設置された金属の柵は、折れたり曲がったりしてしまっている。折角置かれているのに別の紙で一部分が隠された壁の芸術も相まって、廊下の間のホールのようなこの場所はあまり綺麗には見えない。
「どこから入ってきたんだろう?」
私も、夏美も、鞄を壁際に置いた。
「うーん、そこの窓は開いていないね」
反対側の窓を夏美が指さす。二枚組の窓が三対、狭いバルコニーの様になっている場所とを区切っている。鍵は掛かっていないようだけれど、窓自体は閉まっていた。それ以外に入ってこれる窓と言えば、図書室だろうか。この場所にあるのは、あとはエレベーターと図書館の入口くらいのものだ。
「とりあえず、外に出してあげよう」
「触れるの?」
「触らないよ」
私の方を見て、夏美は微笑んだ。
「触らない方が私たちのためにも、この子たちのためにもなる。彩菜、ルーズリーフ持ってる?」
私は持ってるよ、と言った。鞄のチャックを開けて、数学のために買っておいたルーズリーフを二枚取り出した。
「ありがとう」
夏美は二枚で鳥を挟み込むようにして優しく包むように持ち上げる。鳥はそこで漸く意識を戻して、一瞬
「窓開けて」
「わかった」
バルコニーへ出る窓を開けて、外に出る。冬の、冷たい風が頬を刺すように流れた。
「寒いね」
「そうだね。――ここでいいかな」
鳥を外に向かう手摺壁の上に優しく置いた夏美は、私の方を振り返った。
「ちょっと寒いけど、多分これで大丈夫。骨が折れたりもしていないようだし」
鳥は置かれた場所から動かずに、嘴を斜め上の方へ向けて目を瞑っていた。まだ、眩暈が収まらないらしい。
「綺麗だね」
私は夏美の横に並んだ。こんなに近くで野鳥を見るのは初めてだった。木の枝に止まっているのを見たことはあるけれど。
夏美は、暫く黙って鳥を見ていた。時々片目だけを開けて夏美のことを見たりしている鳥は、小さくてかわいい。そうかと思えば、また両目を瞑って眠ってしまう。まだ、脳震盪が治まっていないのだろう。
「なんていう鳥なんだろ」
私がそうポツリと言うと、鳥を見ていた夏美がふっと顔を上げてこちらを見た。
「メジロだよ」
「メジロ?」
私はオウムの様に夏美に聞いた。
「目の周りが白いだろ? だからメジロ。そのまんまだ」
夏美が、胸の下あたりで腕を組んだ。
「珍しいの?」
「いや、そんなこともない。この辺りならどこにでもいるよ」
ああいう木とかにもね、と言って夏美は下を指さした。学校を囲むように植えられた欅に紛れて植えられた、あれは確か――ヤブツバキだ。
「ちっちゃいのに生きてるんだね」
「ああ、呼吸もしてる」
「すごいね」
夏美はそうだね、と小さく頷いた。それから、くるりと回って私の方を向いた。
「帰ろう。そろそろ帰らないと、先生に怒られてしまう」
下校時刻は、随分と早くなった。
「あの子、元気になるといいね」
中に入って、バルコニーの窓を閉める。
「そうだね」
ブレザーのポケットに両手を入れて、まっすぐ歩く夏美の後ろ姿は、いつもと同じだ。
「メジロってね、集まって押し合うんだ」
リュックを背負った夏美がそんなことを言った。
「目白押しって言葉あるだろう? あれってここから来てるんだけど」
ちょっと、早口だ。
「こんな感じ」
へへ、とはにかみながら、夏美は珍しく、私にぎゅっとくっついて、それからすぐに離れた。ホールをそそくさと抜けて、階段を下りていく。
「夏美!」
「ほら、早く!」
夏美は、いつになく楽しそうだった。
夕日の差し込まない閉じた階段は、薄暗くて、そして明るい。
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