勝負師

 そうして三日経った。暖かな日もあった。桜は咲き出した。しかし翳りは消えなかった。話をする間は良いが、独りの時などは却って、濃さを増して見えた。いよいよ私は一つ意を決め、勝江さんの帰った後に、彼女に訳を問うた。


「私は、ちます。」

 彼女はそう答えた。背筋を伸ばし、浅くソファに腰掛けていた。憂いの割りに、態度は決然としたものだった。

「堕ちるとは、何だね。」

「私は、罪を冒したのです。」

「罪とは、何だね。」

 私には、この女が罪人とはちっとも感じた事は無かった。

「望みを、抱いたのです。」

 彼女はそう答えた。

「それが、罪なのか。」

「はい――」

 また良く分からない事を言い出すなと思ったが、深刻である事は理解した。

「何を望んだのだ。」

「いえ、望む事が、罪なのです。それ自体が。」

「何を、望んだのだ。」

 私は再度、問うた。

「――人に、成る事です。」

 彼女は、そう答えた。


 上の住人とは、望みを持たぬものらしい。ならば何をもって生くるのか。私にはまるで見当が付きかねたが、それが上の世だという事だ。彼女が失せ物の労役を負ったのは、望みを持った者への更生の為の措置、言うなれば、罰であった。

「七日とは、与えられた猶予でした。」

「失せ物を届ける間の猶予か。」

「はい。」

「失敗するとどうなる。」

「堕とされます。」

「堕ちるとか、堕とすとか言うのは何だね。」

「上との繋がりを、絶たれる事です。」

 繋がりを絶たれた存在とは、非常にもろいものらしい。

「――ほとんどの場合、姿を失い、崩れ、人に吸われます。」

「吸った人間はどうなる。」

「何も起こりません。」

「厳しいな。――然し、貴女は私にキイホルダを届けた。成功したのではないか。」

「はい。明後日、戻ります。」

「問題は無かろう。」

「いえ。」

「何だ。」

「私は未だ、人に成りたいのです。」


 一息入れよう、と私は、茶が良いか珈琲が良いか訊ねた。私が淹れます、と彼女は座を外した。

 翳りの正体は、およそ掴めた気がした。何かしてやれる事は無いものかと、思案した。


「一つ訊くが、貴女は人に成れるのか。望んで成れるものなのか。」

 彼女は、珈琲を二つ淹れて戻った。私はそれを少しばかり啜り、間を置いて問うた。

「堕ちれば、成れます。」

 カップを摘んだまま、彼女は答えた。

「崩れると聞いたが。」

「はい、殆どは、と申し上げました。」

「つまり。」

「稀に、姿を留める場合が、あるそうです。そのままに、人に成れると。」

「誰かに聞いたのか。」

「はい。」

「すると、成功した例があるのだな。」

「知りません。」

「知らない、とは。」

「聞いた話ですので。」

 彼女はそこで、カップから指を離した。

「人がそう話すのを、聞いたのです。随分ずいぶん前の事ですが。」

「こちらの人間か。」

「はい。」

 如何いかにも、頼りの無い話に思われた。

「まるで、博打ばくちにもならんな。」

「そうでしょうか。」

 こちらを向いた女の目に、依怙地めいたものが宿った。ぐに彼女は顔を伏せ、それ以上は何も言わなかった。






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