旅行者

 少女を連れて、目についた手近な喫茶店へ這入はいった。気を落ち着かせる必要があった。話を訊く必要もあった。少女は素直に従ったが、周りからは奇異の目を向けられた。

「すまなかったね。度を失ってしまった。立ってできる話じゃ無さそうだ。聞かせてくれまいか、これの事と、君の事を。」

 二人の間にキイホルダを置いて、私は切り出した。

「はい――」

 卓の向かいに座った少女は、語り始めた。

 せ物を届ける、仕事の様なものだと言う。彼女はやはり、私を探していたらしい。もしやと思った人間が寄ってきたのを見て、確心を得たそうだ。

 果たして何者なのかと問うと、この世のものでは無いと言う。幽霊かと訊いたら、いいえ、生きておりますと微かに笑った。上の世から来たのだと、彼女は言った。

「上と申しましても、多分に便宜の呼び方でございます。ただ、あちらからのみ、こちらの世へ干渉できますゆえ、そう言っているだけの事――」

「私にこれを持ってきたのも。」

「はい、繋がっていたものを、引き寄せた、と御解釈いただければ。」

「それが見えるのだな。」

「はい――」

 彼女の言うところの上、ではないこの世は、物質で作られて、上はというと、そうではない、との事であった。

「それにしても、しかし――とうに整理がついた気でいたが、そうでも無かった。」

 私は今一度手を伸ばし、革と洋銀の感触を確かめた。

「余計でしたか。」

「いや、そういう事ではない。驚きはいずれ引くが、これは残る。何も無かった今までとは、較べようもない。」

 珈琲を二つ頼んであったが、少女は口をつけなかった。

「貴女の言う通りだな。」

「と、言いますと。」

「これこの通り、私は物に執着している。成る程、物質の世界と言う訳だ。」

 私がそう言うと、たしかに、とまた微かに笑った。

 にわかに湧いた突拍子の無い話だが、キイホルダの裏付けがあった。私は、驚きの中味に興味を惹かれていた。


 彼女は、発する言葉と唇の動きが別であった。ここまで話をして、ようやく気が付いた。彼女の声は、耳に聴いているのでは無いと悟った。いやに周囲の視線を感じたのは、そのせいであった。私だけが、実際の声を発していた。

「折角だから、名前を訊きたい。何と言うのだ。」

「私ですか。」

「他に誰が。」

「そうではなく、ただ――聴こえるものかと。」

「目の前におる。」

「◇◇◇◇。」

「何と。」

「やはり、駄目ですね。」

 聴こえはしたが、音にはならなかった。唇とは一致した様に見えた。

「こちらの言葉を覚えましたら、あるいは。」

「そうか――」

 成る程そういうものかと、妙な納得をさせられた。

「それにしたって、もう少し嬉しそうな顔をしても良いのではないか。これを届けられたのだから。」

「いえ、そんな事は。」

 私はどうにも、彼女の何とも浮かない様子が気に掛かっていた。ず言葉数が少ない。視線が暗い。ちっとも晴れるところが無い。

「役目は終わったのだろう。」

「そうなりますね。」

「すると、上へ戻るのか。」

「ええ――いえ。」

 またさらに顔が曇った様に見えた。

「と、言うと。」 

「まだ七日ほど、こちらにおります。」

「まるで旅行者だな。」

「似た様なものです。」

「行く宛はあるのか。」

「――いえ」

「なら、私のところへ来なさい。礼になるかはわからんが、何も無いよりかはましだろう。」

 駅へ向かうに丁度良い頃合いであった。切符のもう一枚くらい、空きはあるだろうと私は踏んでいた。






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