第5話 匍匐の会

8.

 翌日の放課後、僕はとある同好会の扉を叩かされていた。いや、叩くというのは比喩で別に叩く扉は開いていたのだけれど。


「お、君たち新入生? 入会希望なら……って、奈御富?」

「……俺たち面識あったか?」 

「あ、いや。君は有名人だから……。え、もしかして入会希望? 歓待するよ!」


 部屋から出てきた男子生徒は襷を肩からかけていて、そこには「匍匐の会、会長」と書かれていた。


「有名……? いや、入会希望じゃねぇ。俺たちはおまえたちの同好会……『匍匐の会』……? のチラシを破り捨てた犯人を捜してるんだ」


 俺『たち』と勝手に巻き込まれてしまった。僕はあくまで連れてこられただけなのに。


「ああ……。そのことね、そのことはもうどうでもいいんだ」

「どうでもいい?」

「ああ。まあ、せっかく時間かけて作ったチラシを棄てられたのは悔しいけど、でも、必要なくなったからな」

「必要なくなった?」


 界がさっきから鸚鵡みたいだ。


「そうさ。うちの部は新興で、しかも部員が三人しかいなかったからな。でも、今年新入生が、いまのところだが、十三人も入ってくれた。廃部が免れれば、俺たちはなんでもよかったのさ」


 我が校には部活動に対して、公式のヒエラルキーが存在している。とはいえ、僕はそこまで詳しくはないのだが、知っている範囲でいうと、学校が認めている活動は、部活、サークル、同好会の三種類があって、この三つは届出を出せば学校の設備を正式に団体として使うことができる。

 優先順位は、部活、サークル、同好会の順だ。とはいえ、サークル以上は部室を持てるから、どの同好会もまずはサークルを目指していると聞いたことがある。


 そして、部活もサークルも同好会もその構成要素である部員ないし会員が一定数いなければ、廃部になってしまう。明確な基準は知らないが。


「だから、犯人を捜してくれるってのはありがたいがさ、もう俺たちとしてはどうでもいいんだ、な?」


 部屋の奥にいた、新入生の相手をしていた二人も頷いた。


「そうか……、しかしな、俺はどうでもよくないんだ。俺はそいつの顔面を拝さなければ気がすまないんだ」

「……え、なんで?」


 ご尤もだ。界はこの件に無関係すぎる。

 そして、事件の蚊帳の外の界は、僕にも説明したことを、眼の前の事件の渦中にいた会員に伝えた。


「それは……、俺たちのいざこざに巻き込んでしまって申し訳なかったな。まあ、捜してくれるってんなら、別に止めはしないけど、俺たちは忙しくなるから、あまり協力できないぜ?」

「構わないぜ。俺たちが訊ねたのは、事件当日のことが知りたかっただけだからな」

「おっけ。まあ、ここで話すのも何だし、中入ってくれよ。そのほうがわかりやすいだろうしな」


 僕はこの機に乗じてフェードアウトしようとしたが、会員が「おいおい、ここが部室だよ」となんだか僕をおとぼけキャラみたいに扱ってきたので、入らざるを得なくなってしまった。



9.


「当日って言ってもあまり喋れることはないけどな」


 当日というのは、一昨日、特にその放課後のことだ。


「印刷室で刷ったチラシをこの借りてる部室、ちょうどこの机の上に置いておいたんだ。あ、なにもないのは、ここは正確には部室じゃないからな。新歓の団体発表として借りれただけで、部室はまだもらえてないんだ」

「放課後ってのは、時間帯は具体的にわかるのか?」

「ああ。14時半から15時過ぎだな。14時前に印刷を終えて、部室に戻って、それからいろいろ準備だけして、俺たちは新歓発表に行ったから」

「ホールでやるやつか」

「そうそう、それそれ」


 新歓発表とは、各部活、サークル、同好会が一年生の集まった視聴覚ホールで活動紹介をするものだ。守ノ峰高校は腐る程部活があるので、この発表だけで二、三時間はざらにかかる(毎年、川に浮かぶ泡のように、新しく部活が生まれ消えていくので、時間はまちまちだ)。


 今年の新歓発表自体は13時過ぎから15時半近くまで続いたらしい。が、発表する側は自分たちが発表する時間帯にだけいればいいので、この同好会の場合は15時くらいに発表したのだろう。


「で、帰ってきたらなくなっていたと……?」

「そうなんだ。もう、綺麗さっぱりな」

「それから三人はどうしたんだ?」

「部屋中探し回ったよ? もうこの机とか椅子とか、そこのボロいソファとか、ありとあらゆるものをひっくり返したさ」

「ドアも?」

「ああ、もちろん」


 そんなわけがないだろう……。


「でも、見つからねぇから、もしかしてどこかのおっちょこちょいが自分の部室と間違えて、チラシを持ち出して配りだしたのかなって思ったんだ」


 そんなわけもないだろう……。


「だから、15時半から、俺たちは手分けしてチラシを配ってるやつらからチラシを貰いに行ったんだ……、あ、もちろん匍匐前進でな?」


 そんなわけ……、いや、これはあるのかもしれない。


「でも、俺たちのチラシを配ってくれてるやつらはいなかった。で、そうこうしてるうちに呼び出しを食らったんだ」

「呼び出し?」

「そうさ。最初は俺たちが怒られたんだ。『チラシを棄てるなら、ちゃんと資源ごみとして捨てろ』って」


 そういえば、集積所には破られて無造作に棄てられていたと聞き及んでいる。資源ごみはそもそも集積所には持っていかずに、職員玄関のほうにある資源ごみ入れに持っていく。


「で、事件が発覚したってわけ。ひどかったぜ? 一枚残らず破られててさ」

「ふーん。で、その盗まれた時間帯は、この部屋には鍵がかけられていたのか?」

「まさか……! 誰もまさか盗まれるとは思っていなかったし、貴重品も置いていかなかったし……」

「なんでもう一度印刷して配りに行かなかったんだ?」

「ああ、それは枚数が決まってるんだ。俺たちは100枚までって。補足すると、生徒会から許可証的なのをもらえるんだ。印刷するときにそれ渡しちまってるし、肝心の生徒会が新歓発表のほうにいるしな……。コンビニで印刷しても良かったけど、100枚もコンビニで刷るのはちょっと迷惑だろ? あと金もかかるし」


 学校印刷なら、学校負担なのだろう。


「じゃあ、誰でも盗めたってわけか……」

「そうなるな。だから、俺たちは犯人捜しをしなかったというのもある。到底見つかりっこないんだ」

「チラシはその100枚だけだったのか?」

「ん、そうだけど」


 そこで、界はすこしだけ思案してから聞いた。


「どうして、おまえたちはおまえたちの身の潔白を証明できたんだ? 最初は自分たちで棄てたって思われてたんだろ?」

「ああ、それはな、どうやら棄てられていたのが最初に見つかった時間が15時前くらいだったらしいんだ。で、俺たちの発表予定時間は14時35分だったけど、実際には時間が押していて、15時過ぎまでホールにいたから。新歓実行委員のやつも俺たち三人が15時過ぎに登壇してたって証言もしてくれたしな」

「それは運が良かったな。それがなかったら、いまごろおまえたちが集積所の掃除をさせられていることだったろう。教師ってのは冤罪増産マシーンだから」


 界はどこか教師を職業としての側面から信用していないと思っていたが、たぶん、そうではなくて、前になんか教師とあって、人間としての側面から信用していない……、嫌っているんだろうな。


「楓雪はなんかないか、聞きたいことは」


 なんて思っていたら急に水を向けられた。まったくもって聞きたいことなんてなかったが、こんなところ(四階)まで来てなにもしなかったというのも虚しいか。


「さっき、14時半から15時の間に盗まれたって言っていたが、どうして14時半からなんだ?」

「え、そりゃ……、14時半まで部室にいたから」

「そうか。次に……」


 と質問しようとしたところで、界が割り込んできた。


「ちょっと待て。それは


 僕もそう思った。そう思ったけれど、流そうとしたのに。


「おまえたちの発表予定時間は14時35分だったんだよな? それなのに14時半まで部室にいるのはおかしいだろ。もっと早めに出ているはずだ」

「え? あ、そう……? あ、そうだわ。14時過ぎにホールに向かったわ。じゃあ、14時過ぎから15時前だ」


 あはは、といい加減に笑う『匍匐の会』会長。


「そうじゃない」


 推定時刻が広がったと思ったところで、先まで新入生の相手をしていた会員の一人が言葉を挟む。


「忘れたのか? ほら、先生がさ……」

「あ、そうだった、そうだった! そうそう、俺たちこの部室のドア、開けっ放しで言っちまったから、14時半にここを通りかかった先生がドア閉めてくれたらしいんだが、そのときチラシが堆く積まれていたのを見たって」


 会長は胸を撫で下ろした。「俺の記憶がバグったのかと思った」とほっとしていた。


「それで楓雪、もうひとつの質問しようとしていたよな?」

「え、ああ。そのチラシを見てみたいなって思ったんだ」

「あ、チラシのデータ? いいぜ」


 と言って会長はスマホを取り出し、僕たちの前に出した。


 画面には『求ム 会員』と左上にゴシック体で、そしてど真ん中に勘亭流の文字で『匍匐の会』と書かれたチラシの写真が映されていた。

 その下には『活動内容 匍匐にまつわる森羅万象』と書かれている。


「活動内容がわからなさすぎるな」


 僕も同意見だ。


「だろう? そうやって疑問を持たせて誘導するテクニックだ。わけがわからないものには人は食いつきやすいからな。人は、謎を謎のままにしておくのが苦手じゃん?

 ほら、幽霊とかもそう。ポルターガイストとか、不可解なことが起きても、幽霊で説明すればいちおう謎じゃなくなる。人間ってのは、幽霊じゃなくて、その謎が謎であることを怖がってるんだ。

 ま、現代じゃその幽霊も科学にとって代わられていってる感があるけどな」


 急に哲学みたいになったが、これはクワインの存在論的コミットメントの話だろうか……?

 思えば、以前にも界は神は重力だ云々語っていたが、もしかして、守ノ峰高生はみんなこのような感じで哲学を持っているのだろうか。


「ほう、なかなか興味深い」


 界は感心したように言う。


「お、君も我が『匍匐の会』に興味が湧いてきた?」

 

 会長さんは入部届を取り出したが、しかし、界は立ち上がって、


「いや、目的は果たしたからな。お暇させてもらうわ」

「そうか。君が入ってくれれば、そこそこのニュースになったんだが……」


 肩を落として静かに入部届を取り下げた。


 僕も界に続いて立ち上がる。

 

「そうだ。あと、犯人がわかったら、まずは俺たちに教えてくれないか? そいつを見てから先生たちに言うか判断したいからさ」


 会長は帰り際にそれだけ言って、部屋の中に戻って行った。


「『匍匐の会』か。結局、活動内容はわからず終い……、『謎』が増えただけだったな」


 界は開いたままの扉を見てしみじみ言った。

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