第3話 奈御富界の推理
4.
「それで。何か用があって、僕を呼び出したのか?」
僕はいま、商店街にある古風な喫茶店に来ていた。今日は土曜日で、我が守ノ峰高校に土曜授業は存在しない。
「おいおい、用がないと親友を呼び出してはならない規律があるように聞こえるぞ、それは」
「ほんとうに用事なくして呼び出したのか? 休みなのに?」
今朝、界から電話が来た。
僕は表示番号を見るなり、留守電を使うつもりだったのだが、おせっかいな姉貴が出てしまった。そうして、やむを得なく僕は家から引きずり出される結果に至った。
「それより楓雪。携帯に充電くらいはしておいてくれないか。てっきりお前が出たと思って、開口一番『楓雪か?』なんて無礼な電話になってしまった」
まさか、この男が礼節を重んじることがあるとは。
「というか、お前は一人暮らしじゃなかったのか?」
「去年までの話だ。姉貴が留学から帰ってきたから、いまは姉貴と二人だ」
「それを俺にも言っておくべきだろう」
「……おいおい、自分の家の事情が変わったら、赤の他人にも報告しなければならない規律があるように聞こえるぞ、それは」
「これからは気をつけてくれよ?」
否定しなかったぞ、こいつ。
「まあ、用ってほどのものはないんだ。強いて言うなら、ここの割引券を入手したから、誘ったまでだ……、あとついでに春休みの課題が終わってない」
「よし、頑張れよ」
「……あとついでに春休みの課題が終わってない」
僕は聞いた話だなぁ、と思いながら珈琲を啜る――、うむ、苦い。当たり前である。
しかし、なかなかここは落ち着く場所だ。
内装も外装も木造の造りで、入口の扉にはステンドグラスが埋め込まれている。
そのためだろうか、店内は珈琲のように仄暗い。
「なあ、その珈琲奢ろうか?」
「小遣いは必要以上にもらっている」
「……肩でも揉もうか?」
「あいにくと凝っていない」
「待っている間、暇だろ?」
「そこに置いてあったこの文庫でも読んで待ってるよ」
「俺はいま文字すら読みたくないというのに……」
なんてぶーたれているが、こいつはこれでいて定期考査は学年トップだ。その気になればささっと片付けられるだろう。尤も、どのくらい宿題が溜まっているのかは知らないのだが。
5.
小一時間ほど経った。僕のカップは空になって、小説も佳境に入りつつある。
界も僕がまったく手助けをしないとわかってからは、宿題を黙々とこなしていた――、と思った矢先。
「楓雪。ひとつ、ゲームをしよう」
「断る」
「あそこの中学生を見るんだ」
僕は一瞬だけ界の言った方向を見た。女子中学生らしき人が、パンケーキの乗ったトレーとともに一人で向かいのテーブル席に座った。
「あれはジャージからして西中の生徒だ」
界は僕にぎりぎり聞こえる大きさの声で言った。
「あの子の部活を当てたほうの勝ちってゲームだ」
「部活……?」
僕はもう一度だけ中学生のほうを見る。黒髪のポニーテルに、上は学校指定のジャージ、下は半ズボンの体操着を着ている。白い靴に、白い靴下。比較的きれいだが、新品のそれではない。
向かいの席には黒いリュック。彼女の体軀にして、やや大きいところを見ると、お下がりなのかもしれない。
「そうだ。ほれ、西中の部活動一覧はこれだ」
界はスマホの画面を見せてきた。
「結構多いな。文化部と運動部合わせて30個もあるじゃないか」
「そうだな。だが、ジャージを着ているところを見るに、あれは運動部だろう」
「別にジャージを着るのは運動部とは限らない。美術部なんかは絵の具が散らないようにジャージを着ることだってあるだろう?」
「それなら、下も長いジャージを着るだろ? あと今日は土曜日だぜ。西中の土曜授業日は来週だ。だから今日は休み。休みの土曜日なんかに活動する文化部なんてもんは存在しない」
乱暴な意見だ。あと、部活動を当てるゲームだったのに、界は次々と手の内を明かしていく。このまま話に乗っかっていればやり過ごせるかもしれない。
「だから、このうち20個の文化部は除外できるわけだな。で、運動部のいずれかになるわけなんだが、ソフト部とか陸部みたいな、外で活動する部活じゃない」
「どうして?」
「靴がきれいすぎる。新品の白さじゃないが、でも、校庭で運動したらもっと汚れる。それに、ソフト部ならアップシューズを履くだろうしな。だから、外で活動する部活も除外だ」
こうして残った部活は女子バスケ部、女子バレー部、バドミントン部、水泳部になった。三〇分の一から一気にして四分の一まで候補が絞られた。
「なるほどね。それで、このうちのどれなんだ?」
「バド部じゃねぇだろうな。あれはラケットをしまえるリュックじゃない。で、水泳部でもないだろう。水泳部ならもっと髪色が褪せてるべきだ」
「まだ入部して間もないかも」
「途中入部という可能性はあるっちゃあるが、だとしても経験者なんじゃないか? 中学は髪染めは禁止だからな」
たしかに彼女の髪はぬばたまのと枕詞がつくくらいには、艶のある黒髪だった。
「じゃあ、バスケ部かバレー部だな」
「ああ。で、俺はバレー部だと思う」
「なぜ?」
「バスケ部は短髪にしなきゃいけない。ほら、部活動紹介の写真でも全員短髪だ。あんなに髪を伸ばしている選手はひとりもいない」
個人が特定できない程度の、部活動中のワンシーンが西中のホームページには掲載されていた。たしかに、女子バスケ部の選手は全員短髪に見える。
いっぽうで、女子バレーボール部のほうは長い髪の人もいた。
「ということで、あの子は女子バレーボール部だ。よし、聞きに行ってみよう」
「え?」
僕は予想外の界の発言に虚を突かれ、彼を止めることは能わなかった。
「あのすみません。西中の方ですよね。俺、あそこのOBで、いまは守ノ峰高の二年なんですが」
「は、はあ」
「女子バレーボール部に入ってますよね?」
それは聞き方がよろしくないだろう。女子中学生のほうも警戒心を顕にしている。
僕が仲介に入っても良かったが、行くと逆に女子中学生を怖がらせてしまいそうな気もしたので、耳だけ傾けて、知らないフリに徹することにした。
「え、あ、え、ち、ちがいますけど……」
中学生は震える手で袖口をぎゅっと握った。界の身長は180cm……、185cmくらいはある。中学生からしたら、恐ろしい巨人にしか見えないだろう。
「え? ほんとうに? そうか……、そうか。や、すみません」
界はちょこっとだけ頭を下げて席に戻ってきた。
「うーん。間違えたか……。なら、水泳部……。ほんとうに美術部だったか? 運動会もあるし、駆り出されていた可能性も……」
「宿題は終わったのか?」
「いや、まだだ。そうだ! 俺が勝ったらおまえにやらせようと思っていたんだった! 推理に熱中してすっかり忘れてた!」
これを、本末顛倒というのだろう。
しかし、さすがは界だと思う。彼女の部活はたしかに女子バレーボール部だ。
彼女は界に訊ねられ、とっさに(思わずだったのかもしれない)嘘を吐いた。
――僕からひとつ根拠を足しておくなら、界が話しかけたとき、彼女の膝に痣が見えた。あれは、床に飛び込むバレーボール部がゆえの痕だろう。
「ま、外したんだから、自分で頑張りなよ」
僕はそのことは界には言わなかった。言わないほうが良いと思ったし、言ったとしてたぶん信じてもらえないだろうしな。そして僕としても言う必要のないことだった。
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