第2話 新学期②
2.
桜は散り散りになって無慚にも足跡をつけられるところとなっている。自分より上にいるときはあっぱれとか、映えるとか、愛でるくせして自分より下になれば見向きさえせず踏みつける。
とても風刺の利いた季節となった。
その中、僕は体育でもないのに体育着を着て、陸上部でもないのに学校のタータン(チェック模様の方ではない)に並んでいる。
毎年行われる体力テストだ。
どこの機関が生徒の体力のデータを欲しがっているのかは知らないが、こんなやる気のない生徒のデータなぞ取っても互いに幸せではないだろう……。
私は幸福追求権を主張します! なんて文句言う方が骨が折れるので、今日も今日とて参加しているのであるが――それにこれは義務でもないので、最悪、欠席してしまってもいい。
そんなことより、幸福追求権は13条だったか19条だったか――条文を思い出しながら、無気力な細い木のようにぽつんと存在していた。
そこに猪突猛進、向こうから猪のように駆けてくるやつが僕の前でピタッと止まる。
あ、思い出した13条だ。
「うっす
「どちらさまですか?」
「なんか難しい顔していたな。悩み事か?」
おおっと質問返し。しかしそのようなことで気分を害される僕ではない。
「どうやって人一人の力で雨を降らすことができるか考えていたのさ。それが解らないやつに用はない」
「雨乞いするしかねぇべぇ」
急にどこかの方言を扱うこの男は
一年の終わり頃から、なぜか色々なところで僕につっかかってくる「厄介者」だ。
とりあえずそれがオチであるのだろうと、"返歌"は添えずに靴紐を結び直すためにしゃがむ。
「おい、こら無視をするな」
僕はなお、無視を続け靴紐を結び直す。
「お、やる気満々ですね。結江選手」
「これのどこがそう見える?」
今世紀最大の嫌悪の表情を作った(つもりだ)
「去年は俺の方が速かったんだよな。今年は身体測定でも俺が勝利したからここで勝った方がいいぞ」
去年は僕と同じく身長は高いのか低いのか微妙な173cmであったらしい。
しかし、僕がこいつを初めて認識したときには既に僕より5cmは大きかったし、実際身体測定では8cmくらいの差が数値として表れた。
今から走る50m走に限っては去年、僕が7秒5で、界が6秒台でこれまた雲梯の差であった。
「今年もお前の勝ちでいいよ」
というより、去年はこの時期には互いに知り合いではなかったから、「今年も」という表現は微妙か。
「もっとやる気出せよ」
「やる気満々だが?」
これは嘘ではない。しかし体力テストへのやる気というわけではない。
速く走ってしまうと体育祭でリレー選手に抜擢されてしまう可能性がある。それは何が何でも避けたい。だから速く走りすぎるのは禁忌だ。
が、しかし
とはいえ、本気で走っても選抜リレーに出られるほどのタイムにはならないと思うが。
念には念を入れよ、ということだ。
「よし、帰宅部の意地をこの世界に見してやれ」
「ずいぶん壮大だな」
スタートラインに立ち、軽く飛び跳ねておく。これも演技だ。
本気で走るアピールは抜かり無い。
クラウチングをしスタートの合図を待つ。
そして僕は無難なスタートを切った……。
3.
「何秒だったよ?」
走り終えたばっかのはずなのに清々しい顔で界はそそくさ退散していた僕に追いついてきた。
「7秒2だった。久しぶりに走ったからもう少し遅くなると思っていたんだけどな」
計測ミスな気がするが、「僕はもっと遅いはずだ!」なんて抗議は体育教師の反感を買いそうなので止めておく。
「よし! 俺の勝ちだ! 6秒1だぜ!」
それは速すぎるのではないか? 100mだったら12秒を切ってしまうだろう。
確かに界の運動神経は抜群であるが、もしかすると今年の50m走は挙ってタイムが早く出ているのかも知れない。
「お前何部だっけ?」
「元将棋部だ」
「香車になりたかったのか?」
「成金になっちまうじゃねぇか」
なんて不毛な会話だろう。これが言葉の交話的機能というやつだろうか。
その後も界に付き纏われるように半強制的にテストを受け、そして
悔しくはない。勝つ気もなかったし、勝てる気もしなかった。
体育館履きから上履きに乗り換え、上階の教室に向かう。
「長座体前屈以外俺の勝ちだな」
とは言え2cm差。誤差といえば誤差となるような端数だ。
「だからお前の勝ちでいいよって言ったんだ」
これは単に別に負け惜しみとか、諦念とかではない。界の異常な運動神経を鑑みての発言だ。
勝ち負けに一切の興奮が沸かない枯れきってしまった、青少年としては情けない自分の気質もあるだろうが、それ以上に、この体力お化けを敬ったがゆえの表現。
「同じ土俵に立つことさえ畏れ多いです」という意思表明である。
しかしそのような意図は伝わっているわけでもなく、界は色を正して言う。
「なあ、楓雪。俺は本気のお前と戦ってみたいんだよ」
「過度な期待を押し付けないでくれよ。僕はあれで精一杯頑張ったんだ」
言えども界は信じるわけはないだろうが。それが奈御富界という男だ。
「俺にはそうは見えなかった」
「そうか、そう観測したのならそちらの世界線ではそうなのだろう」
そうサイエンティフィック風に言うと、界は少し黙り込んだ。
「……いつか。いつか、お前の心に火を灯してやるからな!」
「詩人かお前は」
各々その言葉を別れの合図に二人はそれぞれのHR教室に戻った。
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