第62話 主催者

4.

 

 また世界に月曜日がやってきた。明後日には峰高祭が完全に終幕し、代わりに定期考査一週間前に突入する。

 どう考えても過密なスケジュールな気がするが、学校側としては峰高祭は生徒主体のどんちゃん騒ぎなので、定期考査の時期はずらす義理はないでしょ? ということなのだ――――もちろん完全に僕の偏った解釈である。


 とは言え、大抵の生徒は一週間前から試験勉強をする、或いはそれは早い方で、人によっては三日前とか、前日とか、試験開始十分前とか、はたまた試験終了後とか、千差万別、各人各様、十人十色、柳は緑花は紅…………は少し違うか。

 早ければ早いほどいいとは限らないが、一般的には早い方が、というより日頃から勉強をしておくことが望ましいとされている。


 ちなみに僕はテストを迎えるに当たっては、模範的な生徒で、なんと二週間前から勉強を始めていて、既に範囲が分かっている数学、物・化の問題集、英語のワークは完全に終わらせ、いつでも提出ができる状態にある。だから、逆に一週間前はあまり勉強をしない。

 夏休みの課題にも手をつけていて、範囲表がもう与えられている数学、課題が配られている英語は、これらもまた提出できる状態である。

 他に宿題が出される教科としては、現古漢は出されるだろう。物理は依然不明であるが、化学は去年と同じであれば出されないはずだ。

 また日世にっせいは出さないと先生が言っていた。家庭科などもおそらく出されないだろう。


 だから実質国語の宿題のみが残っていると考えて良い。ただ、現文は去年、夏も冬も分量が重かったので、範囲が分かれば早急に処理したい。

 僕はまだ始まりもしていない夏休みの宿題について考えながら、会議室というところに赴いた。


 会議室というのは、だだっ広い四角い部屋で、職員会議によく使われる。代わりに生徒が使うことは滅多に無い。使うとすれば、委員会の代表たちがここで集まって会議するらしいので、各委員会委員長及び生徒会執行役員くらいだろう。


 中に入ると、学年ごとに列ができていて、三年生が一番多い。二年生も思っているより多く、一年生が一番少ない。

 どうして三学年が会議室に集まってきているかというと、ここが模試の集金場所になっているからだ。それは校内放送でも告知されている。


 僕は二年生の列に並んだ。前にはクラスメートの雄城ゆうきがいた。サッカー部で、体格はやや小柄だ。身長でいうとだいたい165センチくらい。体重で言うと、50キロくらいだろうか。ワイシャツをズボンに仕舞わないタイプらしい。


「あ、えっとぉぉぉぉ………。結江だ、結江」


 そんな雄城が僕に気づいて、指を額に付け、やっとこさ僕の名前を思い出す。


「お前、すごかったな。バスケの試合! ブザービータ……だっけか?」


 試合は先週終わったというのに、未だに事あるごとに最後のシュートについて言及される。


「あんなのいいとこ取りしただけだ。実際、僕は試合でシュートをあれしか決めてない」

「でも、あれを決められるってのがすげぇんだよ。サッカー部にもお前みたいな選手が欲しかったぜ。使えない自分勝手なノーコンストライカーじゃなくて」


 サッカー部の事情を具には知らないが、これが同じクラスの聿原いちはらのことを指しているのは察しがついていた。


「てか、お前も模試受けるんだな。どっち受けるんだ? 俺は両方受けるけど」

「僕はこっちだけだ」


 学校には二社から模試の案内が届いていた。雄城はその両方を受験するらしい。殊勝なことである。


「……あれ、結江? 何してんのこんなところで」


 今度は急に後ろから声を掛けられた。雁坂さんだ。僕に続いて後ろに並んで、波山さんも連れている。なぜかE組が集まっているが、全くの偶然である。


「雁坂さん。僕は見ての通り、もうと……」


 自分で言って気がついた。これは意図せずダジャレとなってしまっている。このように日本語には至るところにトラップが仕掛けられている。


「え、意外……。あんたこういうの申し込む人なんだ」


 一体、この人は僕の何を知っているのだろうか。雁坂さんとは親しいわけではない。これまで話した回数も片手の指で足りるような気がする。


『僕も不本意だ。本当は受けたくはないが、受けなければならなくなってしまった……と正直に明かす必要性がないことに気がついた。


「ああ。そろそろ一回くらい受けてみようかなと思ったんだ。場馴れみたいな。いわば記念受験みたいなものだ」

「は、なにそれ。お金勿体ないとか考えないの? しかもそれ親が払うんでしょ。申し訳ないとか……」

「いや、姉貴が払うことになってる」

「…………え? なんで?」


 進みながら話していたが、僕の番になったので、一度会話が途切れる。

 僕は髪を固めて、長袖のワイシャツにきっちりネクタイを締めた人に、申込用紙を差し出して、予め用意してあった受験料を払う。だから、お釣りは発生しない。

 雁坂さんは僕より少し後に隣で申し込みをしたが、なぜか僕より早くに申し込みを終えていた。

 

 その場にいた先生の誘導で、僕は会議室から出た。出ると、雄城と雁坂さんはまだ出口にいた。


「で、どうして?」


 詰めるように聞いてくる。どうしてそこまで気になるのか不思議だ。何か意図があるのかもしれないし、元より答える義理も義務もない。

 しかし別に隠す理由もないか。それにややご機嫌斜めに見えるので、素直に答えるほうが得策だと考え直す。


「一度、うちに来たから、もしかしたら気づいたかもしれないが……」

「うぇええ??」


 先から話を黙って聞いていた雄城が、急に道化師ピエロの鳴き声みたいな声を漏して、雁坂さんの方に奇異の視線を送る。ピエロの鳴き声がどのようなものか知らないが、例えるならぴったりな気がした。


「ち、ちがうわよ。変な勘違いしないで。アタシは平田の付添で行ったの」

「……てことは、ハルちゃんと、結江は…………まさか………………」

「あんた、馬鹿でしょ」

「ガハハハ! 冗談だよ冗談」

「で、結江。それで何?」

「ああ、それで、あの家にはいまは僕と姉貴しか住んでいないんだが、ん、ああいや、親は両方とも生きている」


 波山さんも会議室から出てきて、帰ってもいいのに、律儀にも雁坂さんを待つようだ。


「それで、毎月、一定額親に仕送りをしてもらっているのだが、僕が模試で好成績を出したら、仕送りを増やしてもらえるそうなんだ」

「……え、それでそこからどうお姉さんに話が繋がるの?」

「そこで、姉貴が悪知恵を働かせて、僕の受験料を払う、ある意味、質に入れて、代わりに高得点を取れって脅されたんだ」

「…………あ、そうなの。なんか、あの人らしいわね……」


 雁坂さんは苦い顔をした。

 僕は褒賞についてだけを開示して、ノルマの方は開示しなかった。鋭い人だったら、「逆にノルマもあるのでは?」みたいな質問が予想されたが、雁坂さんは僕に本当は興味がないと判断した。

 別に、聞かれたとしても「ない」と答えるが。


「ええ! それめっちゃ良くね? 実質、お小遣いが増えるみたいなもんだろ?」

「いや、うまくいっても僕に来るお金は増えないと思う。姉貴に持ってかれるだろうから」

「…………なんか気の毒だな、お前」


 雄城は小さくガッツポーズした腕をゆっくりと引き下げた。空気が暗澹としてくる。


「まぁ、そもそも僕は普段からお金を殆ど使わないし、逆に姉貴は結構使っているらしいから、その方が幸せだと思う」


 僕の取り分が増えれば、将来のための貯金に回せるかもしれないが、いま現状お金を必要としている人の方に流れるほうがいいと思う。僕に大金が渡されても、通帳の数字がただただ膨れ上がってくだけで、日本経済が潤うことはない。

 それならば使う人に回ったほうが、社会的に見ても健康だ。金は天下の回りものと言うように。


「平和的でいいね」


 波山さんが言う。傍聴に徹しているように見えたが、もしかしたらタイミングを図っていたのかも知れない。


「ちなみに、好成績ってのは具体的にはどのくらいなん?」

「全国偏差値65以上」

「うげ、厳しいな、それは……」

「そうなのか? いまいちどのくらいの難易度か分からないんだ。学校で受けさせられるあの模試とはやはり違うのか」

「ガハハハハあんなのと一緒にすんなよ……そうだな、65って言ったら、地方国立上位とかじゃね? な?」

「……んー、そんくらいなんじゃない? アタシもよく知らなーい。ふわぁぁ…………」


 雁坂さんは少し会話に飽きてきているようで、態度に、具体的には欠伸に、表れているが、雄城は気にしていない。いや、鈍いだけか?


「波山さんは? 知ってる?」

「ううん。わたしもあまり詳しくはないから……」

「ま、まぁ、要するに難しいってことだ。俺でも取れるか怪しいしなぁ……」

「その言い方だとまるで、勉強できるみたいな言い方ね。できなさそうなのに」

「うるさいやい! いいじゃんまだ模試受ける前なんだから、少し見栄を張ってもさ! てか、雁坂もあんま頭良さそうに見えねぇよな。どっちかってっとバカっぽい」

「あんただけには一番言われたくない!」

「ほーん、で、実際はどうなんだ? この前の定期考査は?」

「…………510点。だっ、だって仕方ないじゃない! 忙しかったんだもん! 体育祭の……って、え」


 中間の平均は592.3点。たしかにこの学校の中ではいい成績とは言えない。

 だが、雄城はそれを聞くなり、がたがたがたとくずおれた。


「……ま、負けた…………。くっそ! ゆ、結江。お前は何点だった?」

「僕は平均くらいだ。595点」

「たっか! はぁ? まぁ、お前は見た目からして勉強できそうだし……」


 いや、それは基準が低すぎる。僕の点数は平均だ。褒めているつもりなのかもしれないが、その実、「見た目は勉強できるのに………」と差し替えられてしまう。


「一応、波山さんのも……」

「……わたしも平均少し上くらいで、600点くらい……」


 雄城は両膝両手を床についたまま、ガクリと項垂れた。しかし…………。


「え、あかねの点数720点とかじゃなかった?」


 明かされた点数は720点。すごい優秀だ。たしか、801点以上で順位表に載れたはずから、各教科あと一、二問正解できれば届くだろう。


「んぇえええ?」


 雄城がまた変な声を出す。しかし、驚いていたのは雄城だけではなかった。


「え……、あれ? な、なんで」


 波山さんは思わぬことに慌てつつ、雁坂さんを質す。


「えへ、ごめん、盗み見た」

「……………プライバシーの侵害」

「ごめんて」


 雁坂さんは小声で「テヘペロ」とつぶやく。


「は、波山さん、どうしてそんな嘘を??」

「え…………」

「そりゃ、あかねは優しいから、あんたを気遣ったんでしょ? てか、あんたは何点だったのよ」

「……480点」

「うっわ、アタシよりずっと低いじゃない。そんなんでよく偏差値65とか言えたわね」


 雁坂さんは冷笑するが、


「…………ごめん、本当は450点」

「え…………………」

「………………嘘です、440点です」

「あ、うん………………」

「…………………」


 雄城の点数がどんどん下がっていく。雁坂さんもいよいよ黙り込んでしまった。あの波山さんも困ったような表情をしていた。


「で、でもよ? これがすげぇんだけど、俺こんなんでも赤点がないんだぜ? ハッハー!」


 以前の僕なら、そもそも赤点なんて相当サボらないと叩き出せないから、ふつうのことだろうと、あまりにも浅い感想を抱いたと思う。

 だが、いまは違う。赤点を回避できることは当たり前のことではない。何せ、僕は先週の金曜日に、赤点三つの人とお茶をしたからだ。


「……はぁ? なにそれ。逆に本当に満遍なくできないってことじゃない」

「美代。自分が赤点があるからってそんな言い方しちゃダメだよ」

「ちょ! あかねなんで言う……の」


 文句を言う声にデクレッシェンドがかかった。波山さんはいつもとはらしからぬ、顔に冷たさを湛えていた。点数を盗み見られた仕返しだろう。

 一方、雄城は元気よく立ち上がって、雁坂さんを指差す。


「え、赤点ヤー? アッハだっせぇ。俺が勉強教えてやろーか? ガハハハハハ」

「うるせー! てか指差すなぁ!」


 雁坂さんは雄城を軽く蹴飛ばした。


「頭が弱いから、すーぐ手が出るんだな」

「手じゃないですぅ〜足ですぅ」


 子供みたいな言い争いである。法律的にはまだ子供であるが。


「あ、てかさ、せっかくだし、このメンバーで夏休み勉強会開かね? いま自分で言って、思いついたんだけどよ」

「は? 普通にお前とはやなんだけど」

「俺も嫌だけど、一緒の模試受ける組でさ」

「てか、部活は? あんたも部活あるでしょ?」

「あ、そっか。え、あ、じゃあ、部活終わりにさ、教室とか、近くのファミレスとか」

「あんた、サッカー部でしょ? アタシ、ソフトだから日にち被らないし、被っても午前午後逆じゃない」


 校庭の部活は半分ずつ使ったり、午前午後で入れ替わったりして、各部活が奪い……譲り合って活動していらしい。


「……じゃあ、雁坂抜いて三人でやろーぜ」

「ちょ! なんでそーなるのよ!」

「波山さんは? どう、参加しない?」

「うん。いいよ。部活終わってから家帰ったらどうせ勉強しなくなっちゃうと思うし」

「結江は? 部活あるか?」

「僕は……部活はないが、正直めんどうくさい」


 僕は引きこもり体質である。なにもないなら部屋からも出たくない。前世ナマケモノを自称しているし、学校も家から近いわけではない。


「よし。結江も参加できると」

「? いや、僕は………」

「ダメよ。あかね。男子二人女子一人なんて! 何されるか分かったもんじゃないんだから」

「はぁ? 何もしねぇよ! 勉強するだけだよ!」

「へぇ? 勉強嫌いに見えるあんたがわざわざ勉強会を開くなんてアタシには思えないけど」

「……うぐっ」


 痛いところを突かれた! みたいな顔と声を出す。


「うっわ、図星? これだから男子は」


 その言い方だと、僕も含まれてはいないか? むしろ僕は断っていたのだが。


「だから違うって。女子と勉強会をしたいという欲望はあったけど……それは否定しないけど! でも、あくまで勉強会だから。やましいことをしようなんてこれっぽっちも思ってないから! 何ならもっと誘ってくれても……」


 その譲歩は譲る方向を間違えていないか?


「はぁ……。ま、アタシも勉強の習慣がないから、勉強会自体には賛成よ。でも、いい? あかねがいるときは必ずアタシも呼びなさい?」

「いいのか? やった決まりだな! てかさ、麴森も呼ばね? 模試受けるか知らんけど、あいつがいたら最強じゃん?」


 前回の中間では、クラスでダントツ一位。学年では二位。総合得点971点と較べるまでもなく、この場にいる誰よりも高い。雄城の点数を二倍しても届かないし、雁坂さんの点数のちょうど二倍くらい。


「あいつは受けるでしょうけど、来ないわよ」


 雁坂さんは声を翳らせた。一瞬だけこちらを睥睨してきたが、僕は気づかないフリをする。


「どうしてだ? んー、まぁ、ダメ元で誘ってみるけどな。あと、ハルちゃんも受けるって言ってたから、誘ってみるわ。そっちも誰か誘いたいやついたら、誘ってよ。ああ、だから日程はまた後ですり合わせよーぜ? てか、俺、もう部活のミーティングがあるから、行かなきゃ。じゃな」


 雄城は走るべからざる廊下を走っていった。彼が最後にことに気がついたのは、僕だけだったかもしれない。


 流れ的に解散だったので、僕も教室の方に足を向けるが、


「やぁ、結江ゆわえ楓雪ふゆき。先週ぶりか」


 今度は上級生、しかもただの上級生ではない、この学校の現生徒会長、水早川先輩に呼ばれる。なぜかで。

 僕はこの時、今日の昼休みは会議室の前で消えてなくなってしまうなと、諦めていた。別に構わない。特にやることもなかったのだ。

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