第63話 有識者
「それにあかねも。ん、君は?」
「え、雁坂です」
「ほぉ、かりさか、かりさか……。ああ、雁坂美代クンだね?」
水早川先輩は脳内の引き出しから探し出しているかのように、雁坂さんの苗字を言い重ね、途端、指鳴らしをして、目の前の女子生徒のフルネームを引き当てる。
「え? どうして」
「ソフト部で、体育祭実行委員。……フフッ。不思議そうな顔をしているね。でも、心配することはない。私は生徒会長で、全校生徒の名前、クラス、所属部活、委員会を網羅している。美代クンだけ特別扱いしているということではない」
スラスラと読み上げるように話す。まるで、生徒のデータファイルを手に持って読み上げているようだ。
「は、はぁ、そうですか」
雁坂さんは訝るように水早川先輩を見上げる。
「……なるほど。なるほどね」
「え、何がですか」
「美代クン、君は学力において懸念点があるようだね」
「……聞いてたんですか?」
「盗み聞きするような下賤なことはしていないよ。ただ、聞こえてきただけ」
物は言いようである。
「それ、結局盗み聞きしてるじゃないですか」
「ま、捉え方は人それぞれだ」
「あと、勘違いしてほしくないんですけど、今回だけ低かっただけです。いつもなら平均点は超えてるし、こいつにも負けてないです」
なぜか僕を引き合いに出してきた。
「ほぉ? ではどうして今回は不調だったのかな?」
水早川先輩が食いついた。
「それは実行委員が忙しかったからですよ」
「たしかに我が校は体育祭一週間後にすぐテストがあるね。それで?」
「忙しくて時間が取れなくて勉強ができなかったんです」
「ふむ。ということは実行委員なんてやらなければ良かったと?」
「そんなことは言ってないじゃないですか」
「しかし、私にはそう聞こえた。『実行委員をやってしまったがために、勉強が疎かになり、本来勝てるはずだった、この結江楓雪という少年にも負けてしまった。ああ、実行委員なんてやらなければ良かったなぁ』」
大袈裟な抑揚をつけて言う。演者が舞台でつけるような抑揚ではなく、どちらかと言うと、挑発するような抑揚だ。
水早川先輩の言うことは詭弁にも聞こえなくはないが、あくまで水早川先輩の感想だ。しかし、またフルネームか。
「………体育祭のときは勉強より実行委員をやりたかったんです」
「なるほど。つまり、美代クンはやりたくて実行委員を全うした。それなのに『実行委員をしていたから、勉強ができなかった』という言い訳をするのはおかしい、それを通り越して情けないと思わないかい? この言い訳は成長を阻害すると思わないかい?」
「い、忙しかったのは事実!」
雁坂さんは絞り出すように叫んだ。ただ、それは反論になっていそうで、なっていない。段々と場の雲行きが怪しくなり、雁坂さんの隣りにいる波山さんは仲裁に入るか悩んでいるようだった。
「実に甘いね。まず、委員会も部活動も定期考査一週間前は活動停止。この間はどれだけ忙しくしようとも、委員会や部活は忙しくならない。そしてこの学校の多くの生徒は自主的な課外活動に励むものが多い。それは君も知っているだろう?
だから、多くは一週間前から勉強する。それは君と同じように『忙しかった』からだ。隣にいるあかねだって実行委員だったろう? あかねも美代クンと同じように『忙しかった』
なのに、美代クンだけ点数が良くなかったのは『実行委員は一等忙しい』という妄言を自分に言い聞かせて、酔いしれて、現実を見ず、剰え疎かにしていたに過ぎないからだよ」
しかし、水早川先輩の方は相変わらず澱みなく話し続ける。
「……そ、それは要領の良さとか、地頭の良さとか」
雁坂さんは反論するが、語尾が消え入っている。その言い方だと、隣にいる波山さん(たち)の努力を蔑ろにしてしまっているかのように思えたのかも知れない。
「それと実行委員云々は関係のないことだよね。美代クンは実行委員を初めて全うし、達成感を得た。それ自体はいいことであると思うが、君はその余韻に浸りすぎた。もう余韻が擦り切って擦り切って、残滓になっても浸り続けてしまった。
そしていよいよ、その残り滓をしなければならなかったことをしなかったことへの罪悪感を払拭する道具にしてしまった。まるで免罪符のようだ。だが、仕方がない。免罪符に縋るということは旧来よりある人間の習性のひとつなのだから。
しかし、それを認められず、自分に優しくそして甘い言い訳に包まれ、いざ詰められれば、より簡単で楽な方に逃げていこうとする。これは愚者の習性だ。そのような了見で、一体、この高校生活で何を手に入れられるのだろうね」
「………う――――」
雁坂さんはとうとう言葉に詰まった。理不尽さ一緒に下唇を強く噛んでいる。その咬合力が伝播しているかのように、肩がぷるぷると震え、突けばいまにも爆発しそうだった。
水早川先輩の言うことは一つの正論だろうが、誰にでも当てはまるわけでもない。今回はたまたま雁坂さんにピッタリ合っていたのだろう。
いや、本当に合っていたのかはわからない。もしかすると、合う可能性を引き摺り出されただけで、それを聞いた雁坂さんが、水早川先輩の言う通りかも知れないと思わされただけということもある。
人間の記憶は存外あやふやで、霧のようにいくらでも濃くなれば薄くもなるし、簡単に形も変える。それに立ちどころに増えたり、逆に消えたりもする。
「ま、私も美代クンを泣かせたいわけじゃない。これは私の至って独善的な意見だ。参考程度に留めておいてくれ」
「泣いてなんかない!」
叫んだのを皮切りに、湛えていた涙が溢れる。僕は見なかったフリをする。雁坂さんはどこかある人に似ている気がする。
水早川先輩は一つ溜息をついて、去ろうとするので、僕は訊いておくべきことを訊く。
「ところで、水早川先輩は去年、この模試を受けたことがありますか?」
「ないね」
「そうですか」
「何か聞きたいことでも?」
「僕はこれが初めて受ける外部模試なんですけど、とりあえず偏差値60くらいを目標にして頑張ろうと思うんです。だから、偏差値60……つまり、上位15%くらいというのはどれくらいの難易度なのかを知りたくて。無謀な目標を掲げると却って良くないですし」
難易度がわからないのに偏差値60を目指すというのは些か違和感があると思うが、水早川先輩は普通に答えてくれた。
「ふーん。そうだね、大学群で言うのなら、地方有名国立大学や、私立大学で言うと、俗に言うマーチクラス。我が校ならば、冬には殆どの生徒がこのレベルは突破しているだろう。毎年の合格者数を見てもらえば解ると思うが」
たしかに、去年の進路情報もいま言われた偏差値60帯の大学より難しいと言われている大学が専らだった。私立大学でいうと、Wから始まる大学が一番多く、次点でKだった。
「でも、高2の夏だと話が変わってきますよね」
「そうだな。私の感覚、いや偏見か。私の偏見だと、我が校の定期考査で平均点を取るより、かなり難しいと思うな」
つまり、いまの僕の実力では分不相応な目標なのかも知れない。
「そうですか…………。ありがとうございます。とりあえずできるだけやってみます」
「そうか。頑張り給えよ」
水早川先輩はゆったり歩いて階段の方に向かって行った。結局、水早川先輩から僕には用事がなかったのだろうか。
「…………アイツ! 絶対見返してやる…………」
後ろで小さくそう聞こえた。
怨嗟が込められている気もするが、これも水早川先輩にとって織り込み済みだったのだろうか。
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