第34話 個人面談②

17.


「順位は40人中、19番目。よくもま、こんな狙ったように真ん中を取れるな」


 それは僕も同感だ。別に狙ったわけじゃないのだが、不自然なほど真ん中の順位に収まる。

 いいや、逆にこれは自然なのか?


「今回が最初の試験じゃないですか」


「こっちにはお前の一年からのデータがあるんだよ。悉く真ん中少し高めストレート」


 元出先生は資料とにらめっこをしつつ、まさに目交に手を当てる。


「特に、お前の解答。そろそろ怒られるぞ。いや、もう怒られたことあるだろ。他の先生にも言われるんだよ。『おたくの結江くん。テストの度に、書いたところは必ず合っているのですが』って。それはわざとなのか? わざとなのだろうな……」


「先生方も仰るじゃないですか。解るところから解けと。その結果があれです。実際、書いたところと言っても殆ど半分くらいじゃないですか」


 だからわざとと言われればわざとなのだが、悪意を持っているわけでもない。

 解らないところは埋めない。解るとこだけを埋めているだけ。

 確かに選択肢とか、なんとなく答えがわかるところは適当でも埋めるべきなのだろうが、僕はそれをしない。


 

――僕は間違えてはいけない。



「それを毎回やるから、怪訝に思われているんだよ。私もお前の採点する時、空欄が半分くらいあるのに、点数は平均くらいになるから感覚が狂う」


「バイアスというものでしょう」


「それにこの間の校内模試も結果はデータとして返って来ているのだが…………303人中、138番目。これも未記入以外のミスがないな……」


 校内模試というのは校内で受けられる外部の模試で、成績には関わらないが、強制なのである(しかも土曜日)

 とはいえ、ボイコットする生徒も多いのだろう。学年全体の人数はおよそ三二〇人くらいだったと思うが……。


「お前、教職とかやってみたらどうだ?」


「どうしてですか、唐突に。絶対嫌ですよ」


「定期テストで平均点を狙えるのは解る。だが、模試でも殆ど真ん中を取れるのはもはや才能だ」


「その程度の学力しか無い人間が教職には向かないでしょ」


「別に教職は学校によるだろうが、大した学力は必要ない。お前の平均点の予想の精度は我々のそれより遥かに高い」


 これは褒められているのか、貶されているのか。


「単に実力が平均なだけでは……」


「しかし、お前。三年に上がってもこの成績のまま行くのか?」


 元出先生はその分厚いファイルを閉じた。


「行くのか? って訊かれましてもこれが僕の精一杯なのですが」


「晴菜と同じ大学には行かないのか?」


 それに「姉貴と同じ大学に行け」とは含意されていなかった。これは単に純粋な疑問だろう。


 姉貴がどこまで僕のことを話したのかは知らないが、僕の人生は基本的に姉貴のあとを追っているに過ぎない。


 たとえばこの高校に来たのも姉貴の母校だったから。


 タイムリーなもので言えば将棋だが、将棋も姉貴が始めたから、僕も始めたらしい。

 中学受験も姉貴がしようとした(姉貴は結局受験しなかったのだが)から、僕もつられて勉強し、秀城中に入学したらしい。



「姉貴が行くような大学に僕が入れるわけがないじゃないですか。あと遠いし……」


「……そうか。ま、面談はこのくらいでいいだろう。それで、クラスでは何が起きていたんだ?」


 先生はファイルを机から下ろした。


「まぁ、取るに足らないことですよ……」


 僕は香流から聞いたことも織り交ぜつつ、見たままを説明した。


「あいつらは……。本当にくだらないな。そんなに我がクラスはこの祭りにかけている思いがあるのか?」


「さぁ。少なくとも僕にはそういった思いは全くありませんね。実際に一度観戦に来てみてはいかがですか? 生徒も喜ぶと思いますよ」


 他クラスの担任はたまに応援席にいたりする。しかし、元出先生を見たことはない――そもそも僕もあまり応援に行かないから、来ていたとしても解らない。


「いいや。あれは生徒主催の生徒の中で完結されるものだろう? 私は部外者他ならない。遠慮させてもらうよ」


 単に「興味がない」とか、「面倒くさい」とかといったものが本心な気がするが、ものは言いよう……か。


「それで、お前が私を介入させなかったのはなぜだ? お前はこういう面倒事は他人任せにして、一人のうのうと、我関せずと帰るような……人間だろう?」


 先生は一瞬、と言いかけていたが、それを問い詰めてもしな……。


「……本当に僕には関係ないことだから、他人任せというのは些か心外ですが、そうですね。僕にとっては奇行他なりませんでしたね」



 なぜ、先生、つまり教諭を立ち入らせたくなかったか。



 教諭は学校内ではほぼ不可逆と言ってもいいほどの権力を有する。こういう言い方をすると、僕がリベリオンとか、先生方がディクテイターだとか、そういった印象を受けるかもしれない。


 だが、そういうことを言いたいのではなくて、単にいつでも第三者で、裁判官のような立場に――つまり生徒にとっては便利なものということだ。



 人は感情なしには人を見ることが出来ないだろう。生徒会選挙だって、全員とは言わないが、一部には「仲がいいから」だとか「部活の先輩、後輩だから」とか、もしかしたら「顔がいい・雰囲気がいい」とか言った理由から投票する人はいるはずだ。どんな人だって真に公平にニュートラルに人を見ることはできないだろう。

 

 別にそれが悪いことだと思わない。それを含めて『人望』と言うのだろうから。


 でも、もし真に他人を公平に、偏倚なく、全然外側から見なければならない時、理屈にならないファクターを仮に自覚できても、排除しきるのは難しい。


 だから、生徒同士のいざこざを解決させるには、一応生徒たちを公平に見なければならない立場にある、教諭が便ということだ。

 

 生徒は大体、完全に納得はしなくても教諭の言うことには従う。

 逆に従わないのなら益々教諭に頼るほかない。



 でも、僕は今回に限っては、の許に先生の介入を避けたかった。


「たぶん、でしょう。別に先生がいまからぶん殴りに行くって言っても僕はもう止めません」


 気まぐれだから理屈はない。これは僕の小さな嘘だった。

 そして、嘘を吐いた、吐くことになった理由も僕の中で判然としていた。


「ま、私としてもそんなくだらんことは自分たちで完結させてほしいがな」


 そう言って、先生は席を立ち、僕も従うように起立する。


「特に伝えておきたいこととか、訊きたいこともないだろう?」


「そうですね。今日はありがとうございました」


「ああ。じゃ、気をつけて帰れよ」


 そうして、僕は二度目の面談を終えた。



18.


 僕が先生を介入させたくなかった理由。


 それははっきりとしている。



 たとえば、あの界が衆意が望んだ方向に動いたから。

 たとえば、無実の平田とか、無辜な香流が巻き込まれていたから。

 たとえば、ないとは思うが、暴力事件を理由に部活停止となる可能性が否めなかったから。

 たとえば、あの二人の問題に第三者を介入させるべきでないと思ったから。



―――――。



 たとえば、―――――――――から。



――氷が軋む音がした。



 僕に唯一遺された過去の漂流物。


 それは扉のようで、冷徹に施錠されている。


 鍵はない。扉だけが閉ざされたまま、ぶっきらぼうにあるだけだ。


 僕があの日、病院で目覚めてから確かにずっと。




――開けようと思ったことはない。忘れようと思ったこともない。

 


 たぶん、忘れなければならないことが氷の扉の向こうにあるのだろう。

 でも、氷の扉は忘れてはいけないのだろう。



 忘れないとならないけれど、忘れてはいけないもの。


 その矛盾に耐えかねて、『僕』が形成されたのかもしれない。


 「忘れなければならない」ことは「憶えていない」ことになって。

 「忘れてはいけない」ことは「覚えている」ことになって。



 ただ、列挙した理由にはこの扉をノックして、ピッキングしてしまうような不穏があったことに気がついた。

 それを言葉にしてはいけないと思った。


 だから、僕は嘘という泥玉を氷の扉に投げつけた。



――もしかしたら、その泥玉は妖艶な弾性力が働いて、跳ね返って僕の顔で跳ねたのかもしれない。




 




 そしたら、いつか。その泥が落ちる日が来てしまうのだ。

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