第33話

16.

 

 僕だけ負けた将棋の試合の帰り。



 和室にはE組の応援が十数人は来ていた。そのメンバーと一緒にクラスに向かっている――とはいえ、心理的には僕は一人で帰っているに等しいのだが。



 それにしても将棋の応援なんて来て何が面白いのだろう。選手決めの時には将棋のルールを知っている人は殆どいない印象であったし、実際応援に来ても、局面は見えないだろうし――最前列に座れば、ちょっと腰を上げれば見えそうだが――それに球技と違って選手は一切盛り上がらない。


 素材が騒がしい生徒でも、このときばかりは黙々と座り込み、喜怒哀楽を隠し、視認性がやたら高いプラスチックの駒を、パチパチ盤にたたきつけているだけ。

 少し面白いなと思えるのは、時間が過ぎるにつれて、チェスクロックを押す勢いと力が強まっていくということ。

  


 同じクラスだから義理で来ているのか。平田や波山さんはクラスで人気があるから、友達もしくはファンのつもりで来ているのだろうか。

 後者ならば他クラスの生徒も来るべきだから、やはり前者か。



――しかし、将棋の応援は黙って見る。静観に限る。



 僕は声援が選手のパフォーマンスを向上する効果は認めないわけではない立場だが、ただ、座ってその場にいるだけというのは一体、空気中の酸素濃度を下げる以外に効果はあるのか。


 実際、集中して指していれば、応援が来ていることすら気にかからない。


 

 僕は和気藹々と語らいあっている生徒たちの様子を一瞥した。



 別に僕は応援に無駄だから来るなとか、排他的な立場でもない。僕は単に「時間の無駄だろうから、来ないほうが有意義なのでは」と思っていただけだ。

 でも、こうしてコミュニケーションの場が形成されているところを見るに、彼ら彼女らにはこれを得るためのを払ったに過ぎないのかもしれない。

 

 僕は自分のことを些か青少年としては何か欠落した存在だと思う。僕が論理的に考察しているつもりでも、自分では絶対に気が付けない破綻があるのだろう。

 だからこれ以上考察するのを止めた。


 時同じくして、僕はクラスの前で足を止めた。自発的にではなく、クラスメートが団子状になってドアの前で固まっていたからだ。

 

 人数が多いから入れないということではなく、空港の保安検査のように一人ずつ控えめに入っていく感じだ。


 なんの意図があるのだろうと思っていたが、その意味は意外とすぐに解った。



 クラスメートは窓側から身を引くように離れて、ざわめきを抱えつつ。

 その教室の窓側の方では火花散らし合う男子が二名。


「お、帰ってきたな……」


香流かおる。なんでうちのクラスにいるんだ?」


 香流はA組のはずだ。いまはすでに放課後で時刻もそろそろ17時になる。


「え、お前を待っていたんだが……少し前にやってきたあの二人がだな……」


 別に眼前で繰り広げられている論争の原因は訊いていないのだが、香流は詳細を語ってくれた。


 どうやら、E組は今日のサッカーの試合で負けたらしく、敗因を雄城ゆううき瀬菜せな聿原いちはらりょうが互いに煽り合い、言い争い、押し付け合い、いまに至る――ということらしい。


「ちょっと二人ともやめなよ…………」


 女子の誰かが、控えめに声をかけるが、彼らは聞く耳持たない。



「「るせぇ! テメェがバカみてぇにシュート外したのが悪いんだわ!」」


「「はぁ? お前こそ外してたし、最初の一点はお前のせいだろうが!」」


「「うッ! だとしても外したシュートの本数何本だよ! 十本くらい外してたろ!」」


「「そんなに打ってねぇわ!」」


 まさに一触即発。互いに身体のどこかが触れれば殴り合いになってもおかしくなさそうだ。

 それにしてもサッカーはそこまで白熱したのだろうか。


 正直、「たかがサッカーの一試合ごとき」でよく盛り上がれるなと感心してしまう。


「亮、瀬菜! 二人とも!! 何しているんだ!!」


 やっとか、と僕は思った。

 平田たいらだの咎める声。この二人を止められる者はクラスでは彼くらいだ。


「何してるんだ。みっともない」


「ハルちゃんも言ってやんなよ。今日の試合の敗因はこいつだって」


「は? お前だろ……」


「ンだと!」


「落ち着けって二人とも。冷静になれ」


 平田は二人をカームダウンさせようとするが――。


「はぁ? お前第三者のつもりかもしれないが、二点目はハルのせいだからな?」


 急に矛先が自分に向いた平田は怯んでしまう。僕は試合を見たことがないので知らないが、サッカーはそんなに熱くなっていたのだろうか。


「そ、それは……」

「ハルちゃんは代わりにシュートを決めてたじゃないか! どこかのノーコンと違って!!」


 しばらく静観していたのだが、平田でも鎮静できそうになかった。


 それには平田も気がついていただろう。完全な第三者でない自分が何か言っても、どちらかの炎を煽ってしまうことに。


 ただ、そんなことは僕にとってはどうでもいいことで、とりあえず僕の席周辺で取っ組み合いは始めないでほしいのだ。荷物が取れない…………。

 いくら無関係であれ、あの剣幕の中を突っ切って荷物を取るようなことはできない。



「光がいれば……」


 右横にいた波山さんがそう呟いた。彼女が他力本願な事を言うのは珍しい気がするが、これには僕も同意見。


 平田で止められない以上、他にクラスの中で頼れるとすれば麴森だし、あの勢いの中に女子が割って入るのは苛酷だ。


 しかし、麴森の姿はいま見られない――おそらく既に部活に行っているのだろう。


 ならば、もうこれは止まらないな。


 他に彼らを止められる度量のある男子は僕は知らない(そもそもクラスメートの名前と所属部活、委員会くらいは解るが、当人の性格などは関わったこと無い人が大多数なので良くも知らない)


 もちろん、僕も彼らを止められる能力は持ち合わせていない。



 だとすれば、僕は何するでもなく、勝手に殴り合いでもしてもらって、事が冷めきるまで待つほかない。


 別にそれを最後まで見ている必要もないので、僕は踵を返し、混沌から退室しようとする。



「おい。このクラスの人間は自分たちの仲間の喧嘩さえ止めてやれないのか!」


 香流がそうひとりごちた。


「香流?」


「腑抜けどもめ。オレが止めてくる!」


 小さいが勇敢に堂々と闊歩していく。僕は止めるべきであったのだろうが、香流がこのいざこざを止めてくれるというのなら、問題もないか……と止めなかっった。


「おい! お前ら! 喧嘩なら表でやれ! 小学生でもあるまいし!」


「なんだ? お前こそ小学生みたいじゃないか!」


「は? 誰が小学生じゃ! 喧嘩売ってんのか!」


 見誤った。火に油だったか……。

 いいや、単に僕が止めるのを面倒だからと渋っただけだ。


「ハハハ! お前小学生に言われてやんの! プププ!」


 雄城は指差して嘲笑う。彼自身もその対象のはずなのだが、自覚はないのだろうか。


「ちょっ!」


 その瞬間。雄城が肩を押され床に倒される。僕の机も巻き込まれ、置き勉していた教材が無造作に広げられた。踏みつけられなかっただけましか……。


「テメ! なにすんだァ!」

「お前体幹弱すぎ」


 雄城はすぐに立ち上がり、勢いそのまま聿原を殴り飛ばす。


 この光景に呆気に取られていたのはクラスメートだけでなく、一番近くにいた平田もだ。すぐに雄城の両腕を抑えるが、もう互いに殴り合った後。


「おい! 落ち着け。これ以上はやめろ!」


「「離せ! こいつボコボコにする!!」」


「「平田どけ! お前もぶっ飛ばすぞ!」」


 聿原は言葉と手のどちらが早かったか、平田の肩に手をかけ後ろに引き剥がす。

 平田は後ろに思い切り転ばされた。



「「おい! 暴力はやめろ! 言葉があるのだから言葉で解決しろ!」」


 香流が二人の間に割って入る。


 その小さな身体から発せられる声は芯があって、よく通る声だった。

 ただ、その華奢な手は強く握られているから――だけではないはずだ。震えていた。


「オメェはさっきから何なんだ! 邪魔なんだよッ!」


 聿原が拳を振り翳す。

 香流が驚いて尻餅をつく。

 平田が「「やめろ!!」」と初めて声を荒げる。


 次の瞬間には――――。


「なッ!」


 身長一八〇センチを超える男子生徒が腕をがっちり掴む。それは麴森ではない。


「界……?」


 野次馬根性でやって来ていたのだろうか。しかし、学年の居座古座量産機が他クラスの居座古座を止めに来るなんてこの上なくおかしいな。


 雄城の方は急に出現した界に驚き、我を取り戻す。それもそうだ。界は表にはっきりとは出していないが、かなり怒っている。


「おい。なにすんだッ!?」


 聿原が振りほどこうとするが、一切逃すことはない。

 微動だにしない界に冷静さを是非取り戻したほしいのだが、聿原は興奮状態にある。爛々とした目で界を睨み、左で顔面を狙う。

 しかし、界は意にも介さないように、流れるような動作で、暴れる聿原を組み伏せる。

 思わず見事と言ってしまいそうな動作で、界のことだ。どこかで護身術でも習っているのかもしれない。


「クソッ! おい! 離せ馬鹿野郎!」


「ハハハ! どっちが馬鹿なんだか!」


 界は笑っているが、やはりどこか怒りが滲み出ている。それも仕方ないのかもしれない。聿原は香流に手をあげようとした。見る限り殴ろうとはしていなかった気がするが、それでも突き飛ばすくらいはするつもりだったのだろう。


 僕は聿原が冷静さを取り戻しつつあるのを見届けてから、教室を出た。



「こんにちは。元出先生」


「なんだ結江か。それより教室が騒がしいようだが」


 そろそろ来る頃だろうと思っていた。あれだけ人数がいれば一人くらい先生を呼んでいてもおかしくないし、一七時を過ぎている。

 担任が一度教室を見回りに来るような時間だった。


「いつものことでしょう。それより先生。僕、まだ中間試験後の面談を終えていないのですが」


 なんてはぐらかしてみる。別に僕があの喧嘩に先生を介入させてはならない理由なんて無い。いまは無理だと言われれば諦めるつもりだ。

 ただ、僕は介入させるべきでないと考えてもいた。


「……ああ、私との約束を破った中間試験のことか?」


「なにか約束しましたっけ?」


 クラス五位以内に入る入らないは約束したつもりはない。


「まぁ、いいだろう」


 元出先生はフッと笑って、踵を返した。

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