第17話 きっかけ

15.


 守ノ峰の野望……騎馬戦にて午前中の競技をすべて終えた僕は応援席には戻らずに「みどり公園」とよく呼ばれている(僕調べ)、芝生のあるちょっとしたスポットに来ていた。


 ここは知る人ぞ知るサンクチュアリで、特別教室の多い第2校舎の2階に設置されている。ただ一面芝生というわけではなくその外側にベンチと芸術作品なのだろうか、座りやすそうな石造りの「何か」もある。


 快適なのだがHR教室のある第1校舎から少し距離があるため来る人は少ない。(故に「知る人ぞ知る」なのである)

 特に今はまだ競技中であることもあって、人がいない。所謂ベストプレイスとなっていた。


 ここで早めに昼食を済ませ、昨夜未明から今朝未明にかけての睡眠が満足度☆1だったので仮眠を貪ることにした。ちょうど麦わら帽子を持っていたのでお面の要領で顔にかぶせ直射日光を防ぐ。UVはとても心地よい温もりに変わり、最高の環境となる。


 午後の競技開始まで2時間…もないが、1時間半以上はある。それに騎馬戦の疲れを癒やすためにも……。


 ここだけは校庭と切り離されて緩やかに時を刻む。それでも熱ははぐれた音符となってこのサンクチュアリに迷い込んでくるが、穏やかに流れる微風に宥められて、鮮緑の魔女に優しく抱擁されていく。

 


「おい! こら結江!」


 何分が経過したのだろう、呼ぶ声は浅い眠りを破るには充分であった。

 ただ、本能的にここで起きてしまうと面倒な気がしたし、何より微睡みが僕を抱いて放さない。


「うッ………お、重い……」


「お、重いって失礼ね!!」


 寝苦しさを感じていたが、どうやら椅子にされていたいようだ。

 仕方なく起き上がった――刹那――腹部に殴打を喰らう。冗談というには強烈すぎて、ここに刃物でも落ちていたら刺殺されていたかも知れない。


 すぐにお面になっていた麦わら帽子を外した。眩い光が瞳孔の奥を強くノックする。


「雁坂さんか…。何か用ですか?」


 白昼の光と共に視界に飛び込んできたのは雁坂美代。おそらく染めたのだろう、眉毛の色と少し色合いの違う茶髪は肩辺りで切り揃えられている。背丈は155cmくらいだろうか、小柄な体型の女子である。すばしっこそう。(偏見)

 体育祭実行委員でソフト部所属。溌剌というか少年のような雰囲気がある――というのは女性には失礼だろうか。


 敬語を使ったのは先程の強烈すぎるパンチから本気で怒っている可能性を考慮してのこと。


 そしてこちらを驚いた表情で見ているのだが、驚いたのはこちらの方である。


「『何かようですか?』じゃないわよ! あんた応援もせずに一人で勝手に休憩して!」


――と思ったけれどそうでもなさそうだ。


 口調からして怒りと呆れを3:7でミキサーにかけたくらいだ。


「え、でも諸注意には反していないだろう? 応援も義務じゃないし」


「あのね! 義務じゃなくてもクラスのみんなが頑張っているんだから応援するの!」


――果たして僕の声に出ない応援は席にいるだけで届くのだろうか。


 なんてことを言ったらひっぱたかれそうだ。今は体育祭。実行委員の言うことは絶対だ。


 それにこれ以上刺激してまた殴られたくもない。


「……雁坂さんの言うとおりだ。ごめん、気をつける」


 と、形だけの謝罪を済ませて荷物を手に取り立ち上がる。

 

……この場から可及的速やかに退散しよう。


「待ちなさい。結江」


 天下の実行委員様はまだ僕に用事があったようだ。


「あんた…………。なんか背が高いのうざいわね、そこのベンチに座りなさい」


 何を話すのかと思ったら、どうしようもない文句を。


 ああ、この人、寓話にでも出てきそうな女王様みたいだな。あまり関わりたくないかもしれない。面倒くさそうだ。


 しかし僕は言われるがままにベンチに座り込むのだ。


 そして僕の前に仁王立ちする雁坂殿下。

 彼女から放たれる「圧」には経験がある。


「あんた、運動もできるようね」


「……え? なんの話だ?」


 さっきの話と全然違わないか?


 騎馬戦の話だろうか。確かに僕たちの騎馬は大活躍したが、個人としては界の足であったのに、逆に界の足を引っ張っていた気がする。


ひかるはそれであしらえたかもしれないけど、アタシはそうはいかないわよ!」


 幼さ垣間見える、「えっへん!」と言わんばかりに胸を張る。


 それではこの前の練習の時の話だろうか。


「あなた、自分の50m走のタイムは何秒よ」


「あー、確か7秒2だった気がする」

 

 計測の時、思ったより速くて驚いたからよく覚えている。ちなみに界が6秒1だったこともよく覚えている。あれはあれで速すぎて覚えていた。

 おそらく100m走ったら12秒を切るだろうな。

 

「ほら、やっぱり! あんた運動できる――ていうのは言いすぎかもだけど足は速いじゃない」


「……はぁ。要点が掴めないのだが」


 わざわざ本番前に鼓舞しにきたのだろうか。そうではなさそうだが。


「あんたね、本当は7秒2じゃないのよ」


「……ん? どういうことだ」


 彼女のいとけない「それ」は、悪戯っ子の「それ」であることに気がついた。


「あんたの本当のタイムは7秒6。クラスの男子の中でも遅い方のタイム。まあうちの学校の計測は若干遅く出るらしいけど、それでもあんたの本当のタイムは7秒6よ」


 これは雁坂さんの嘘、ではなさそうだ。


――


 それにハッタリでも僕には選択肢はない。同じ結末を迎えるだけだ。

 これはおそらくはめられたな――しかし……。


「――つまり誰かが僕のタイムを改竄したということか?」


「ええ。そう。話が速いわね。が写し間違えちゃったらしいのよ……」


 雁坂さんはやれやれと肩をすくめる「演技」をする。


――といっても僕はその「誰か」は完全に特定していた。あの時、計測していた生徒。それを思い出すのに時間はかからなかった。そして実際この前の練習の後に突っかかってきた生徒。同一人物である。

 これでツーファクター認証完了。


「それはしてやられたな」


「あんた体調不良で練習のときは全力を出せなかったんだってねぇ! 7秒6の人がぁ体調不良のくせにあそこまで張り合えるなんてねぇ!」


 なんとも大げさな抑揚だ。

 あの時もっと早く抜かされておけばよかった……という話ではないな。詮無きことだ。


 それでもさすがにここで僕を追い詰めるために改竄したのではないのだろうが……。

 

 ならば麹森きくもりは何を根拠に僕のタイムを改竄したのだろうか。


 50mの0.4秒は単純計算で250mだと2.0秒も変わる。校庭一周は実際250mもないと思うが、疲労とコーナーを含めれば2.0という数字はそこまで誤差は大きくないはずだ。

 相手の50m走のタイムを簡単に7.0秒と仮定すれば一周約3.0秒差。同時にスタートしたとしても最終的に開く差は約20mになる。


 体育祭のルールブックによれば『選手の怪我や欠席などで已むを得ず――』などを除いては一度提出された走順は変更できない。

 だから僕が本当に7秒6が限界の男であったら洒落にはならないことになるはずだ。

 

 もしかして闇討ちでもして棄権させる心算でもあったのだろうか―――なかったことを願おう、切実に。


「あの日、バトンが渡ったときの差は6〜7mしか離れていなかったわ。なのにあんたはゴール直前まで抜かされることはなかった」


 ここからは女王様の独壇場だ。雁坂さんは目の前でドラマに出てきそうな検事のように、被告人の周りを歩き回る。

 ちなみに実際の裁判では発言が全て録音されてないといけないとかで、マイクから離れて歩き回ったりすることはないらしい。というかそもそも席が設置されているらしい。


 それもそうだろう、人の人生がかかっている場であるから慎重に執り行われるべきで、事前に知らされていなかった証拠を急に提示して揺さぶったり、態度や大声荒げて圧迫したりするのは好ましくない行為であるはずだ。と、フィクションの「演出」に茶々入れるほうが野暮だが。


「ここまでやられると流石に恐ろしくなってくるな。いつから計画していたんだ?」


 雁坂検事は僕の背後に回っているが、僕は依然、特に意味はないが見る方向は変えなかった。「演出的」にその方がいいのかな、と。


「そんなんじゃないわよ。これは私が勝手に動いているだけ。これを仕立て上げた犯人も別にこんなことがしたかったんじゃなくて、あんたの本性を暴きたいだけらしいし」


 背中に一本、指が突き立てられ、すーっと。

 ぞわぞわと嫌な感覚が背筋を沿う。


「僕の本性?」


「あんたの爪を見たいのよ。『能ある鷹は爪を隠す』これあんたの座右の銘でしょ?」


 また僕の前に戻ってきた雁坂さんは今度は僕に指を差してそういった。


 ならば実際に爪を見せる頓智でも……と思ったがやめておく。

 体育祭ということで昨夜ちゃんと爪を切ってきたのだ。


「僕にそんな大それたものはないよ」


――というかとんだ自意識過剰だな、その座右の銘。


「あ、一つ言っとくけどアタシもあいつもあんたの最初のテストの順位は知っているからね」


「ああ、あれか。あれはただのまぐれだ。張った山が尽く当たっただけだ…と言っても信じてもらえないだろうが」


 あの順位表はおそらく1時間位は廊下に貼られていた。覚えている人間はいないとは言い切れない。


「ええ。信じられないわね。不誠実なあなたの言葉なんて。それより、一つ。一つ私からの要求を飲みなさい」


 不誠実、か。言い過ぎ……言われ過ぎなきもするが。


 その倒置されている命令に肯定はせず、目で先を促した。


「一度だけでもいいわ。光、麹森光と本気で真っ向勝負しなさい」


「…………」


 本番で本気で走れとか、ごぼう抜きしろとか無茶な要求をしてくるのかと思っていたがそれは予想外であった。


 しかし言われてみれば、だ。


 確かに麹森はあの時、ただ直前の僕に対して憤ったわけではないことには気がついていた。

 そしてあのテストがきっかけならば色々と話が僕の中で落ち着いた。


「……どうして麹森の名前が出てくるんだ?」


 麹森は最初のテストで僕に負けている。そして次のテストからは僕は順位表には到底乗れないような順位に下がってしまった。

 それを彼は僕の怠慢と思い込み忿怨、といっても言い過ぎではないのだろう、憤慨したと。そして今もなお。


 しかし、中学から少し毛の生えた、生やした程度のテストを未だに引き摺っているのか――


「うっさいわね! あんたはアタシの要求を飲めばいいの! 分かった?」


「分からないことだらけだ。まず何に於ける勝負をすればいいか分からないし、その意義も解らない」


――とすれば麹森のプロファイルは修正せねばならないな。


「んー、テストでいいわ。次の定期テスト、期末考査で順位表、それも上位……そうね3位以上で載りなさい」


 麹森はもっと適当な、と言ったら失礼かもしれないが、ただただ明るいだけの生徒だと考えていた。優秀ではあるが騒ぐのが好きなムードメーカー。それは変わりないが、内部構造はそうではないようだ。


 中身はもっと硬質で、拘りの強い人間。執着心も強く完璧主義者なのかもしれない。意外と不器用なタイプでもありそうだ。

 点ではなく直線で見るタイプ。


 しかしこれは雁坂さんから見た麹森に過ぎない――が……。


――異なる人間が観察したものと僕の人間観察の結果は深さが全然違う。それは当然といえば当然であるが、「本質」は向こうのほうが近いはずだ。


 所詮、僕も人の表面的な部分しか見ることができないのだ。

 


――どうだこの眼は何を映している。形而下のことだけだ。柔らかさ堅さ、速さ暖かさ、そういう中核は全て盲点に重なってしまう。


 僕はずっと成長していない。

 やっとのことで僕に解ったのは二択の問題だけ。

 最も重要で危険なことは僕には見抜くことができないし――できなかった。


――僕は見抜いているフリをして見出していただけなのだ。


「それは難しいな。確かに一番最初のテストはうまくいったけど、今の僕にはその実力はない。勉強ができたのは中学までだ」


 とはいえ今の僕に麹森がどのような人間であるかということはどうでもいことなのだが。

 そんなことに応じる必要も僕にはない。


「そんな話を誰が信じると思う? とりあえず本気で………!」


「雁坂さん、もう時間だ。全員リレーは午後最初の種目なんだからもう行かないと」


 ここで会話からログアウトさせてもらい、どさくさに紛れ流水のごとく脱兎する。

 

 後ろからまだ雁坂さんが文句をつらつら言っているようだったが、悉皆無視をした。

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