第2話
時間は三時過ぎ、西陽が強く、それを遮らんとする雲はない。唯一の救いは風があることで、金魚の柄の風鈴もそれを喜んでいるように聴こえる。高くて可愛らしい音は耳の中で反響してたちまち消えてしまう。それ以外は何も聴こえない。
ふと、何か物足りない心地が暴れ出して立ち上がる。台所に行くとばあちゃんが夕飯の下準備をしていた。生姜焼きだろうか。
『ばあちゃん、外行くから水筒ちょうだい。』
『麦茶でいい?』
僕はうなずく。水筒を受け取ってありがとうと言う。
『ヤマの方に行っちゃダメよ。』
うんとうなずく。
やはり外は日差しが強く、皮膚がひりひりと痛い。
きれいに区切られた長方形の畑の間を通り、まっすぐヤマを目指す。
決して五年前の恐怖を忘れたわけではない。暗闇に一人取り残される夢を今でも見るほどだ。それでも、だからこそ、僕はここに帰ってきたからには今の胸の澱みを解消しなければならない気がしていた。
人に踏まれてできた道を歩く。コナラやクヌギが木陰をつくり、さっきまでの焦げるような痛みが和らぐ。すこしひらけた場所に平らな石を見つけて座る。麦茶を口に含み、耳を澄ませる。蟬が絶え間なく鳴き続け、小鳥のさえずりなどというものは聴こえない。耳が麻痺してきた。
おかしくなりそうになって立ち上がる。また道を歩き始める。歩いても歩いても蟬の音を振り切ることができない。苛立ちが増し、自分が何のためにここに来たのかわからなくなる。
ふとコナラに止まっている蟬が目に入る。アブラゼミだろうか。右手でそっと捕まえる。蟬は手の中でもがき、生きる者の力強さが伝わる。こんなにも力強い者が数日後には死ぬのだ。手を開き蟬を逃す。彼は遠くに飛んでいった。
苛立ちはもう消えていた。
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