48.ナオミの過去の話

 アルスとナオミが出会った場面を語る前に、サイファーは馬車の座面を殴りつけた。


「アルスは赤毛が嫌いで、金髪が好みだなんて、誰も気づいていなかった!」


 鈍い音と痛みに正気に戻ったのか「おや、取り乱してしまった」とサイファーはディアナに軽く頭を下げる。


「アルスとの試合には、ナオミとブレナンを連れて行った」


「ブレナン先生も?」


「ああ。言い忘れていたが、ブレナンはそもそも、前のノーデン領主がナオミの世話役として山に送り込んできた家庭教師だ。ナオミの立場は大っぴらにできるものではなかったから、ブレナンは私の従者として扱われていたがな」


「だから……」


 ナオミをブレナン先生が優先していたのは、そういうことだったのか、とディアナは納得がいった。


「試合では、アルスと引き分けになるように調節した。正直言った、アルスは、弱かった。手加減されて気に食わなかったのだろうな。アルスは、部下を試合場に乱入させて、私たちを襲わせた」


 そこで女だということと、もともとの身元もバレて、ついでに言うとアルスと私の姉の間にあった縁談は流れて、ナオミがこの騒ぎにかかわっていたから、ナオミの父親の前ノーデン領主がちょうど独身だったから、私の姉と結婚して、私の姉はオーランドの義母になった。


「私は一度暴行されただけで済んだし、それからも幸運だった」


「乱暴されて幸運なんてないですよ! サイファーさんは、もっと怒っていいです!」


 ディアナが叫ぶと、サイファーは悲しげに笑った。


「そう、なのだろうな。今から考えれば。だが、そう思わなければ生きていけなかったから、自分は幸運だった、と言い続けてきたのかもしれない、とナオミを見て思ったよ」


 どういうことだろうか。ディアナにはよくわからなかった。


「まだこの国では、自分以外の男と関係を持った女と結婚するのを嫌がる男が、山ほどいる。シグルドもそうだと思い込んでいたから、結婚できないと思った。が、シグルドは自分と結婚してくれた上に、子供が欲しいと無理に言ってくることもなかったし、私が武芸の稽古を続ける事も許してくれた」


「いい旦那さんですね」


「結婚20年目なのに新婚並みの熱愛だな、と息子にあきれられた。でも、ナオミはそうではなかった」


「ああ……」


「ナオミは父親が当時のノーデン領主とはいえ、メイドの子だったから、誰もかばうことができなかった。むしろ、身分が低いのに王族に愛されるなんて幸せだ、と祝福するものすらいた」


 それは、どんな地獄だっただろうか。

 好きでもない男におもちゃにされることを、幸せだと言われることは。

 ディアナは、サイファーが言った幸運の意味が、少しだけわかったような気がした。


「アルスは腐っても王の弟だ。立ち向かうにも、身分が必要だ。シグルドはアルスに対し、妻に手を付けたことに対する謝罪がないのなら、1年以内に息子が生まれたら王位継承権を主張する、と私がズーデン領主の娘であることを根拠にアルスを脅して謝罪をもぎ取ったが、ナオミは、誰も表立って守れなかった娘だ。私がシグルドとの婚約を破棄してアルスの愛人にならなかった代わりに、ナオミがアルスの欲望のはけ口になってしまった、ということだ」


 サイファーは深呼吸。


「ナオミはメイドの娘だったから、ただの愛人であるうちは誰も興味を示さなかった。だが、世継ぎが生まれる隣と話は別だ。最初の男の子が生まれたとき、だれしもこの男の子は早かれ遅かれ誰かに殺されるだろうと思っていた」


「オーランドさんのことですか?」


「ああ。だから、当時のノーデン領主が養子として彼を保護した。一応王の血筋だということで、姉がまだ幼い彼に無体を働くことにつながったのだから、まったく、世の中はままならん」


 無体、と聞いてディアナはピンときた。

 セリカが話そうとしなかった、オーランドの悪夢。大人じゃないと聞いてはいけないこと。


「オーランドの悪夢っていうのは、義理のお母さんから暴行されていた、ってことなんですか?」


「ああ。あの姉は、王の子供を産むことだけが自分の価値だと教え込まれていたからな。自分の望みとして、王の子供を産むことを願うほどに、教育係や親から洗脳されていたほどだ。幼子であっても、王の血筋であるだけで、自分が彼の子供を産まなければらない、と狂った判断を下すほど、強力な洗脳だった。話をナオミに戻していいか?」


 ディアナはうなずく。


「先代の王も、王妃も、愛人たちも男の子を期待できる状況ではなくなっていたから、アルスが継ぐんだろう、という諦めた空気になっていたところで、君たちが生まれた。アルスに男の子だ。アルスを担ぐ派閥は狂喜乱舞したさ。女の子と男の子の双子ではなく、レーンを産んだことだけでナオミにおべっかを使ったんだ、あいつらは。そのうちに、ナオミは、自分はレーンを産んだから価値がある女だ、と思い込むようになった」


「そんな……」


「赤子を殺すような外道からレーンを守るため、王都から離して育てさせるよう、様々な政治工作が行われた。だから森の中の屋敷にナオミと子供たちと、ブレナンの4人で暮らすことになった。誰も、ナオミの思い込みを正しなどせずに。その結果がこのザマだ。どう謝罪したところで、私につぐなえるものではない」


 サイファーは頭を深く下げる。


「申し訳ない、皇太子様」


 ひょっとしてナオミは私に似てたのかもな、私に嫉妬してたのかもな、とディアナは思う。


「あなたのことを許すのに、ひとつだけ、条件がある」

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