45.ナオミと対決する話

 ナオミが潜んでいるという廃洋館の中はボロボロで、幽霊が出てきそうなほどだった。


「最低限の掃除はされている。人がいるのは間違いないだろう」


 ギシギシ悲鳴を上げる床板の腐っていない部分を探しつつ、レミーが分析する。

 もう夕暮れが近づいていて、廊下はまがまがしいオレンジ色と黒で染まっていた。


「誰かそこにいるの? ディアナの首を持ってきてくれたの?」


 期待と不安の入り混じったような声が、通り過ぎた扉の向こうからディアナの耳に届く。

 ふざけるな。


「ナオミ、残念だけど生きてるよ、私」


 ディアナがドアを蹴りつけると、あっさりと腐りかけていた枠からドアは部屋の中へ倒れこむ。


「なんで! なんであんたなのよおおおお!」


 ナオミが悲鳴を上げ、部屋の奥へ逃げ込む。

 暗い部屋だった。窓は板でふさがれ、外からの光はディアナが蹴破ったドアからしか入ってきていない。

 部屋の真ん中に燭台しょくだいが乗ったテーブルがあり、そこにささったろうそくの明かりだけが照らす暗い部屋だった。


「レミーの代わりに、あんたが死ねばよかったの!」


 一番暗い片隅から、正体がよくわからないものがめちゃくちゃに投げつけられてくる。


「私は女として、アルスのおもちゃになって生きるしかなかったの! 国母になって報われてもいいじゃない!」


「報われるって……」


「私だって、自分らしく生きたかったの!」


 食事用ナイフがディアナを外れて、腐った壁にささる。


「自分らしく生きないから、我慢しているから、贅沢な暮らしができるのよ! だからあなたの髪だって切ってあげたの!」


「はあ?」


 ディアナの声に「なんでわかってくれないのよ!」と金切り声と同時に、フォークが飛んでくる。


「だって、レーンがいなくなったんだから、私にできるのはどんなかたちであれ、レーンを生かしてあげる事でしょう? レーンに善行を積ませようとどこの馬の骨ともわからない子供を助けたり、レーンにたくさん薬を飲ませたりもしたけど、全部無駄になって、私には何にもなくなった! こんなひどい目に遭ったのに、ディアナは私のことなんて考えてくれなくて、私から何もかも奪っていくばかり!」


 ナオミはがなり立てる。


「なんだ、こいつ。俺を助けたのもレーンのためかよ」


 あきれきったレミーの声。ディアナは動けなかった。

 部屋のすみで震えながら、身勝手なことを並べ立てる人間が、自分の母親だったことが信じられなかった。


「なのに、なのになのになのにあんたはまた虫で遊ぶ! しかも何をやったのか知らないけど、虫遊びを世の中の人はほめたたえてる! こんなの、レーンじゃない! 私からレーンを奪ったあんたはいても意味がない! だからオーランドに王座をあげることにしたのに、オーランドもわからずやで、王位なんていらないって言って私から離れていく!」


「……なにそれ」


 ディアナの声は怒りで震えていた。


「ナオミ、あなたは、私から髪を奪ったよね? それに対する謝罪は?」


「あんたは髪がなくなったから、森の中よりぜいたくな生活ができたでしょ!」


「ナオミさん。ディアナは、国民に負担をかけたくないって言って、私的に使うものは森の中と大して格を変えてないぞ」


「平民のガキは黙ってなさい!」


 口をはさんだレミーに、ナオミがかみつく。


「王妃になって、やっと、やっと、サイファーを追い越したんだから、あいつより幸せになってやるんだって思って、地方の領主と結婚したお嬢様なんかより、王様に選ばれたメイドの子の方が幸せだって見せつけようと思ったら、双子が生まれて、森の中に押し込められて! 王妃様王妃様って私にひざまずかせてやろうと思ったのに!」


「その果てがこの廃洋館か。見損なったぞ」


 サイファーがディアナの前に立つ。

 逆光のよろいに。ナオミが嫌悪をあらわにする。


「いい年してそんな格好して! 恥ずかしいと思わないの! ブリュンヒルド!」


「自分の子供を3人とも殺しかけた母親の方が恥ずかしいと思うな、ナオミ」


「どういうこと……レーンとオーランドを殺そうとしたことは無いわよ!」


「ディアナを殺そうとしたことは否定しないのだな?」


 目を泳がせるだけのナオミに、サイファーは軽く笑う。


「オーランドはナオミ、お前が組んだ異端審問官に殺されかけた。レーンは……ブレナンから聞いたが、ヘーゼルナッツ入りの薬湯を飲ませたそうだな」


「異端審問官が勝手にやったことよ! それに、なんでヘーゼルナッツなのよ!」


「海の向こうで、アレルギーと呼ばれるものがあってな。普通の人間にはなんでもない食べ物が、体質によっては死に至る毒になることがあるそうだ。レミーの場合は、ヘーゼルナッツだったのだ、それが」


 本当はわかっていたのだろう、レーンが弱ったきっかけはヘーゼルナッツを食べて寝込んだことで、それでも怪しげな薬師の助言をうのみにしてヘーゼルナッツを与え続けていたことが、レーンを弱らせることにつながると?

 サイファーの言葉に、ナオミは震えるばかりだ。


「大事にしすぎて息子を握りつぶしたようなものだぞ、ナオミ。さて、お前は王都を追放されたはずなのに、ここは王都の中だ。兵士を呼んで、捕縛すべきと考えるが、皇太子殿下、いかがなされるか?」


「そうだね―—」


「お待ち下さい!」


 ディアナをブレナンがさえぎる。


「ナオミ様とて! ただ。生きていくために世界に耐えるしかなかったのです! 生きるためにアルスのおもちゃになるしかなかった、無力な女性、それが、ナオミ様なのです!」

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