26.不死の蚕でディアナが一命を取り留める話
フォーサイスの言葉に、セリカは涙でぬれた顔を上げる。
「使うって、どうやって?」
王子の怪我に、カーラと名乗っていたノーデン時代の自信満々さが嘘のように、セリカは取り乱して泣いている。
なにか、してやらないと。守ってやらないと。
道に迷った子供のような不安そうな表情に、オーランドはセリカにかけよろうとして、やめた。
今、医学のことがわからない自分が寄り添ったところで、足手まといになるだけだ。
カーラが泣くようなことは、起こしたらいけない。皇太子の代わりなどになるより、皇太子の後ろ盾にならなければ。
もし、王子が無事なら。
「不死の蚕をつぶして、再生する前に皇太子様の傷に塗り込むんです」
セリカが息をのむ。
「虫をつぶすのが嫌なら、僕がやります。塗るのも」
「そんなことないわ。研究で何度もつぶしたし、ディアナに気やすく触らないで!」
どうしてセリカは皇太子のことを、レーンではなくディアナと呼ぶのだろう、といまさらフォーサイスは不思議に思った。
刺客が排除されて、安心したのだろうか?
かひゅう、という皇太子の、いまにも途切れそうな呼吸に、フォーサイスは現実に戻る。
まだ、皇太子を助けられたわけでもないし、助かるかどうかも分かっていないのだ。
前例が、あることにはあるが。
「わかりました」
「ハサミを貸して。さらしを切るから」
セリカが皇太子の服をはだけると、確かに皇太子の胸にはさらしがまかれていた。
血に染まったさらしを、セリカは切り裂いていく。
さらしが外れ、あらわになった胸のふくらみは、どう見ても少女のものだった。
「皇太子殿下はホルモン異常でもお持ちなのですか?」
「黙って。蚕をつぶして塗り込めばいいんでしょう?」
「は、はい。できるだけ、あとかたの無いように」
「わかった」
セリカが箱の中から不死の蚕を取り出す。
セリカはソーサーに蚕を乗せ、軽食用のナイフを使って蚕を切り刻み、仕上げにスプーンでペースト状にしていく。
生物学者が試料を作るときの手付きによく似ている。確かに、セリカは
「これ、傷の上にのせたらいい?」
「体内に入れてください」
「だったら、滅菌したビニール手袋をちょうだい。あるでしょう」
「どうぞ」
「ありがとう」
セリカは手袋をはめ、ペーストをスプーンですくい、傷口にすり込んでいく。
皿の上のうごめき始めたペーストは、フォーサイスがつぶす。
そうやって、不死の蚕全量がディアナに投与された。
「これで大丈夫なの? 脈拍も、かなり弱まってるけど……」
カーラがそう言った瞬間。
ずるり、とディアナの血が傷口に吸い込まれていった。
「きゃあ!」
大量の出血が巻きもどるかのようにディアナの体に戻り、服やセリカのハンカチが、みるみるうちにもとの色を取り戻していく。
不死の蚕をつぶした時と同じ現象が、ディアナの体に起こっていた。
「かかか……仮説は間違っていなかった……ひ、非人道的すぎて、この実験は絶対できないと思ってた……でも、実証できた」
フォーサイスがひとりごとを言っているうちに、ディアナの呼吸は正常に戻り、脈拍も強さを増していく。
顔に血の気が戻り、青かったくちびるの色が、健康的な赤に戻ったころ、ディアナが軽く瞬きした。
「う……わたし、刺されて……」
「ディアナ! 無事でよかった!」
「セリカさん、俺、着替えとってきます。このままじゃあ、皇太子を連れだせない」
「わかった。お願いするわ」
レミーはナイフをオーランドに手渡す。
「俺のクセに合わせてるんで、使いづらいとは思いますが、刺客がまた来たときに使ってください。お願いします」
続けて、レミーはオーランドだけに聞こえるように言う。
「もう、セリカさんを失いたくないんでしょう?」
「——な、にを」
レミーはあっさりと去っていく。
何もやることがなくなり、オーランドは眠ってしまったディアナを介抱するセリカとフォーサイスを眺めた。
「なんで、わかったの? 不死の蚕がきくって」
「不死の蚕を飲み込んで死んで生き返ったのだから、ディアナも不死の蚕を投与すれば死ぬことだけは回避できるかも、って思って」
「頭いいじゃない」
「意識が戻るかどうかは、賭けでした」
何とか自分もついていける治療についての話だ。でも、割り込めない。
オーランドがもじもじしていることなど気にせず、二人は話を続ける。
「私に何をやらせてるのよ」
「前例では、意識が戻りませんでしたから」
「前例?」
「不死の蚕を飲み込んだ女は、飛び降り自殺を図り、地面に落ちました」
セリカのことだ。オーランドにもわかった。
「ええ。そこまでは記憶があるわ」
「なんというか……ち、ちょうどこの部屋みたいな感じの血まみれで、間違いなく即死している状況でした」
「ああ……」
ディアナの血はすべて戻ってきたとはいえ、刺客の死体は転がったままで、若草の間には血の不吉なにおいが充満している。
「見張りを立てたうえで死体処理をしようとしたら、不死の蚕のように、とびちった血肉が勝手に動き出して、意識は戻らないままですが、自発呼吸は戻ったんです。そして、それからは時間が凍り付いたように、医療用メスどころか、対物ライフルで
「ねえ私、眠ってるうちになんてもので撃たれてるの? ねえ」
「タイブツらいふる」
耳なれない言葉を、オーランドはつぶやいてみる。
セリカの顔色から、タイブツらいふるとは弓矢のたぐいだろうと見当はついた。
外の世界には、まだ知らないものがたくさんあるのか。
「ああ……そういえば、オーランドもいたわね」
オーランドのつぶやきで、
「あの……カーラ、いやセリカさん。一応、俺がフォーサイスの上司ってことになってるんですが」
「外国の大使を勝手に部下にしてるなんて、国際問題待ったなしですわね、ノーデン領主様」
涙は止まっているが、キレのいい
「まだ、怒っているのか……カーラ、何でもするから、どうか」
笑ってくれ、とはいえなかった。
「怒ってはいないけど、何でもする……ねえ。むしろ、何もしてほしくないの」
「えっ? やっぱり、俺のことはもう……大嫌いなのか?」
「違うわよ!」
勢いよくセリカが立ち上がる。
「へ?」
「この部屋で起きたことを誰かに言ったら、私、なにがあろうともあなたをゆるさない」
ドスの効いた声。
泣きはらした赤い目。
オーランドが、絶対させたくなかった表情を浮かべて、セリカが自分の前に立っていた。
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