25.お茶会でディアナが刺される話
床にオーランドが頭をつけた。
フォーサイスは、目を疑った。
「ほ、ほんとうに……」
「セリカ、ドゲザ、って初めて聞いたけど、これであってるの?」
心なしか、重々しく話していた皇太子の口調が軽く、高くなったように、フォーサイスには思えた。
「ええそうよ。オーランドの誠意は、本物みたいね」
あっさりとセリカがいう。
「じゃあ、これだけで許すの?」
「んー、わたしに対する謝罪は済んだわね。でも、皇太子殿下に対する謝罪は、まだね」
「他に何をしたらよろしいでしょうか、皇太子殿下」
床に頭をつけたままオーランドは言う。
「えっと、頭を下げられたままじゃ話しづらいから、頭を上げて、座ってくれるかな?」
「承知しました」
オーランドが座り直したのを見て、皇太子は口を開く。
「セリカと話し合った結果なんだけどさ、ノーデン領主オーランドからの謝罪、として、ハジメ・フォーサイス殿から外国の話を聞きたい、って思ってるんだ。私的なものとして」
「……それは、構いませんが」
「釘を刺しておくけど、ここでどんな約束をしようと、証拠はなく、お互いに全て取り消し可能ということにしておくよ。私はまだ皇太子だから、外交の権限みたいなものは、ない。だから、外交についてのことではなくて、ただのお茶会の雑談で、何の意味も持たない気楽なもの、ってことにして欲しい。フォーサイス殿、いいかな?」
「わ、わかりました」
フォーサイスの答えに、皇太子は満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、お茶にしよう!」
皇太子の命令で、召使いがお茶とお菓子の乗ったワゴンを押してくる。
「お茶をどうぞ」
「まて、まずは毒見させてもらう」
レミーが物陰から歩みだし、ディアナの前に置かれたカップを手に取る。
そのままレミーは一口飲み「大丈夫そうだ」と言う。
「ありがとう」
ディアナの言葉に、レミーは胸を張る。
「なんてこたねえよ。これもボディーガードの仕事だ。そこの召使い、見慣れない顔だが、新入りか?」
「はい。こちら、皇太子殿下のケーキです、毒見をお願いできますか?」
召使いはレミーにケーキの皿と、フォークを渡す。
「おう」
レミーの両手がふさがる。
レミーとディアナの間に割り込んでいた召使いが、にやりと笑った。
「レーン王子、お覚悟!」
召使い―—刺客は、隠し持っていたダガーをディアナの左胸、心臓の位置に正確に突き立てる。
「な——」
あまりに予想外のことにディアナは凍り付き、ダガーは彼女の胸に吸い込まれ、じわりと服に血が広がっていく。
「何をしやがる!」
レミーはケーキを投げ捨て、抜き放ったナイフで刺客の腕に斬りかかった。
皿が割れる甲高い音と、肉を突き刺す鈍い音が、若草の間を支配する。
「あうっ!」
刺客は、レミーに斬られた痛みでダガーを手放す。
ディアナの体からダガーが抜け、血があふれだした。
どさり、と音を立てて、ディアナの体が倒れる。
「まずい、セリカ!」
「ディアナ!」
セリカはハンカチを取り出し、ディアナの胸に当てる。
「てめえ、やりやがったな!」
レミーが刺客の首にナイフを振り下ろす。
頸動脈を切り裂き、返す刀で気管を切断し、刺客を即死させる。
「小癪な!」
部屋の陰に隠れていた別の刺客がレミーに斬りかかる。
「させるか!」
オーランドは二人の間に割り込み、刺客を投げ飛ばす。
したたかに床へ叩きつけられた刺客が起き上がらないうちにオーランドは刺客に組み付き、武器を奪う。
「お前……神の代理人に対して何たる仕打ちだ! 地獄に落ちるぞ!」
「……地獄」
地獄という言葉に、自動的にオーランドの脳裏で苦い記憶がよみがえる。
地獄には落ちたくない。だから、義母が自分に不義を働いていることを、誰にも言えなかった。
オーランドがひるんだすきに刺客は足の力だけで立ち上がり、オーランドのみぞおちの下に蹴りを見舞う。
「うぐっ……」
形勢逆転。床に転がったオーランドは、痛みを必死にこらえる。
「ノーデン領主は生かしておくつもりだったが……お覚悟!」
「させるか!」
武器を拾おうとしゃがみこんだ刺客の背中に、深々とナイフが突き刺さる。
「神の代理人? 知ることかよ。俺は、皇太子陛下を害した賊に、罰を与えるだけだ!」
返り血を浴びたレミーが、虫でも見るような視線を
「じ、ごくに……」
「おう。俺はもう何人殺したか覚えてねえや。だがな、全員悪党だ! 貴様も俺も地獄で仲良くやろうや」
「なら、貴様も死ね!」
拾い上げたダガーで、刺客はレミーに襲いかかる。
「やだね。主役は遅れて現れるもんだ」
レミーは刺客の懐に飛び込む。
「今日はお前だけが地獄に行け」
どさり、と刺客の体が倒れる。
その胸には、深々とレミーのナイフが突き刺さっていた。
「ディアナ、ディアナ戻ってきて」
セリカが泣きながら、皇太子の胸を押さえる。
動脈が切れているのか、セリカのハンカチは一瞬で真っ赤に染まっている。それを見たフォーサイスは、オーランド暗殺に備えて用意していた応急処置セットを開き、中身をセリカに差し出す。
「止血帯があります。お使いください」
セリカはうなずき、止血帯で傷口を押さえる。
患部が心臓というせいもあり、拍動のたびに血がにじみ出て、皇太子は息も絶え絶えだ。
そういえば止血帯は手足の出血を止めるためのものじゃなかったのか、とフォーサイスは気づいたが、後の祭りだった。
こんな時はガーゼや包帯の方が、と思ったが、あわてればあわてるほど、何が何の滅菌パックなのかわからなくなる。
「自発呼吸は……ある。でも、脈がどんどん弱まっていく」
「血液型を問わない輸血用血液はどこかにあるはずですが……出血を、止めないと」
ひゅう、ひゅうという息の音は死線期呼吸だ。そう、フォーサイスはセリカに伝えようとして、やめた。
外科手術の必要があるほどの重傷だ。ノーデンの医療水準では、助からない。フォーサイスにはそれがわかってしまった。
「時間を……時間を巻き戻したらいいのに」
呻くセリカ。時間。タイムマシンは、開発されていない。フォーサイスは悔しく思う。外科手術も自分にはできない。そうなったら、時間を巻き戻してやりなおすしか、方法はない。でも、人間には時間を巻き戻すことができなくて―—人間には?
「時間……そうか、時間だ。セリカさん!」
「なんですか?」
「不死の蚕を使うんです」
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