8.ディアナとセリカが踊る話

 楽団が演奏する優雅なワルツに合わせて、ディアナとセリカは大広間の中央で踊る。

 ディアナがステップを間違いかけた時も、ディアナのリードが続いているように見せて、セリカがディアナをリードしていく。


「セリカ、ダンスも上手いんだね」


「アメリカで社交ダンスクラブに無理やり誘われて良かったって初めて思えたわ」


 そんな会話を交わす間も、ダンスは止まらない。

 ディアナが主役となるように、セリカはさりげなくステップを踏んでいく。

 見る者を飽きさせないよう、セリカは歩幅を大胆に変えていく。

 単調ではなく刻々変化する足運びだが、ディアナの歩調を考えたバランスで、合わせやすい。

 でも、セリカにリードされっぱなしじゃ面白くない。

 転調にあわせて、ディアナはゆっくりとターン。

 強引なリードだったが、セリカは重心を揺らすことなくディアナに合わせる。

 おお、と周囲からどよめきが起こる。


「皇太子様、さっきのは無理やり過ぎない?」


「さて、なんのことだろうね?」


 ディアナはもう一度優雅にセリカを回してみせる。

 それを皮切りに、ディアナとセリカの間で、リードの争奪戦が始まった。

 さりげないステップの変化、不自然にならない程度の重心移動、手のひき方。

 お互いに足を踏むことも笑顔を絶やすこともなく、白鳥のように美しく。

 気づけば全ての人間が、二人のダンスに見とれていた。

 曲の演奏が終わり、余韻が消えると同時に、大広間は拍手喝采はくしゅかっさいにつつまれた。


「素晴らしい! 皇太子殿下にはダンスの才能もおありだったか!」


 男性貴族の称賛しょうさんだけではなく、令嬢たちの聞こえよがしのひそやかな声もディアナの耳には届いていた。


「あんなの見せつけられたら……きっと、比べられてがっかりされてしまいますわ」


「……どこの馬の骨とも知れぬ女のくせに生意気ですわ!」


「次、皇太子殿下が誘う令嬢は誰なの? わたくしを一番に誘うべきだったのではなくて?」


 嫉妬しっとの戦場が繰り広げられていた。

 これ、誰を誘っても地獄だ。

 ディアナの少女特有のカンが、そう告げている。

 しかも、ジリジリと令嬢が自分に近づいてきた! 怖い! ディアナは表情が引きつるのを感じた。


「見てばかりでもつまらないでしょうから、僕にはお気遣いなく、夫婦水入らずで楽しんでください。僕は、少し何か食べたい気分なので!」


 ディアナは令嬢の輪を強行突破した。

 水入りグラス片手にディアナは軽食を食べ続ける。今、私食べるのに忙しいから踊れません!

 なんてことをしていると、貴族たちがディアナを雑談に誘ってきた。

 むげに断ることもできなかったので、ディアナは当たり障りのない話をする。

 セリカはどうしているだろうか。そっと会場を見回すと、セリカも軽食会場にいた。

 ただ、セリカを取り囲むように令嬢たちが輪を作っている。

 令嬢たちの空気も、和やかとは程遠いぴりぴりしたものだ。

 彼女たちは何か話しているようで、その会話はディアナには聞こえないが、ろくでもないものだろうと予想がついた。


「顔の半分を隠してるのに皇太子様にひいきにされるなんて! 生意気なのよ! いつか皇太子様のきさきとして嫁ぐのは、わたくしなの!」


 言い争いが過熱して、ディアナにも令嬢のヒステリックな声が届く。

 私、女の子なんですけど。男装してるけど。お嫁さんとかもらってもどうにもならないんだけど。


「彼女は、この舞踏会に呼ばれた家の中でもっとも格が高い家の娘だそうです。皇太子様、いかがですか?」


 男性貴族にセリカに絡む令嬢をすすめられ、ディアナは苦笑い。


「確かに美しい方ですが、楽しい時間を周りの人間と共有しようとは考えてらっしゃらない様子。私にとって、一緒にいて安らげる存在ではなさそうです」


「きゃあっ!」


 突然、わざとらしい悲鳴が上がった。続いて、ガラスが割れる甲高い音。


「なにすんのよ! 皇太子様からもらったドレスが!」


 続いてセリカの抗議。

 なんだろう。セリカの視線の先に、嫉妬しっとの戦場が広がっていた。

 悲鳴を上げた令嬢と、セリカは三歩以上離れているのに、セリカのドレスの前面は紫色に染まっている。

 あのひと、セリカにワイングラスを投げたんだ。ディアナはぞっとした。


「あなたが当たってきたからこぼしてしまったのよ!」


 令嬢はセリカに言いがかりをつけている。

 周りの令嬢もひそひそ笑い、セリカをいじめる気のようだ。


「そんなに私はあなたに近づいてませんわよ!」


 悪意を感じ取ったらしくセリカは臨戦態勢。まずい。ディアナはあわてて話を切り上げ、セリカに駆け寄った。


「ご令嬢、私のセリカが、何かご無礼を?」


「こここ皇太子様?! 光栄ですわ! わたくしの名前は……」


「名乗りは後で聞く。なにがあったのですか?」


 問い詰めると、令嬢は目を泳がせた。彼女の取り巻きも黙ったままである。


「えと……あの……」


 挙動不審きょどうふしんの令嬢を放って、ディアナはセリカに声をかける。


「セリカ、何があった?」


「皇太子様が選んでくれたドレスにワインがかかってしまったの」


「それは、そこのご令嬢が?」


 ディアナが目が泳いだままの令嬢に顔を向けると、彼女は勢いよく頭を下げた。


「わ、わざとじゃないのよ……ごめんなさい!」


「それなら、水に流しましょう。ただ、私の相談役であるセリカに恥をかかせるわけにはいかないので、私たちは衣装を変えさせてもらいます。ワイングラスの片づけは、あなたからメイドに申し付けてください。私は忙しいので」


「セリカ様があの方だと?!」


「あの令嬢はどこの家だ?! 皇太子さまの姉のような方に、何たるご無礼を?!」


 男性側から悲鳴が上がる。


「行こう、セリカ」


 セリカはドレスを優雅につまみ、しとやかなカーテシー。


「皇太子様の仰せのままに」


 真っ青になった令嬢を置いて、ディアナとセリカは大広間から衣装部屋へ下がった。


「セリカ、大丈夫?」


「私は何ともないわ。ガラスも刺さってないし」


 セリカはてきぱきとドレスを脱ぐ。


「ワインの染みは強い無色のお酒で抜くの!」


 的確な指示を飛ばしながら、セリカは汚れ物をメイドに預ける。


「セリカ、換えのドレスはどれにする?」


「とっておきを出すわよ。真っ白な絹のやつ!」


 セリカは不敵に笑ってみせる。

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