第5話 元康の美人克服の秘策、嫁にバレる

絵を信長に送って二週間ほどすると元康が俺の所に報告にきた。

「信長殿は親方様の進物(プレゼント)を大変気に入ったようです。というか、何も語らずじっと見つめていたとか」

(おおお、信長らしいや)

「どうやら信長は駿河の蹴鞠に興味を持ってくれたようだな」

「仰る通りで......返礼の使者を送って来るとか」

「勿論その使者に蹴鞠を見せてやるわ」

「なるほど、蹴鞠に狂った姿を見せて相手を油断させるのですな」

「その詳細は、猪鍋でもつつきながら今宵話そう」


「三河様は、猪肉はお嫌いですか」

瑠璃が箸の進まない元康に聞くと

「この人は珍味とかまるで受付ないの、根っからの田舎者ですから」

 瀬名が夫に代わって答える。元康は苦笑しつつ、杯を豪快に干した。瑠璃が気を利かせて奴の杯に酒を注ぐ。

(瀬名は美人なんだけどなあ、空気が読めないっていうか......)

 俺は顔をしかめて、肉を頬張る。猪肉は相変わらずゼラチン部分が官能的に舌を楽しませてくれる。

「元康殿は用心深いだけだ。大望の主とはそういうものだ」

 俺は目の前で妻に弄られる男を思わず誉めてみた。

「買いかぶり過ぎですよ、この人信長に何も出来ないんですよ」

 相変わらずの(旦那下げ)の瀬名様である。元康はニコニコ笑って聞いているばかり。

「信長を倒すのは至難の技だ、三河殿単独でやらせるつもりなどない」

と俺が諭すように瀬名にいうと

「先祖がどこの馬の骨とも知れぬ出来星大名ですよ」

 と、瀬名は嘲笑する。

「奇襲とはいえ父義元を見事に撃ち取った男だ。奴を侮るのは我が父を貶めることと同じぞ」

俺は思わず瀬名に厳しく言ってしまう。

「親方様、ご、ご無礼申し上げました」

瀬名は言葉では謝ったが、顔を見るとそれほど恐縮した様子でもない。

「とりあえず、鯛の天ぷら食ってみてよ。カラっと揚がって美味いから」

俺は場の雰囲気を和らげようと慌てて言った。

元康が躊躇いなく箸を付ける。

「これは旨い」

「熱々だけど、旨味がすごい」

瑠璃もご満悦だ。瀬名だけが、不審そうに箸をつけようとしない。

「なんか魚が布団被ってるようで暑苦しいですわ」

「それ衣だって、旨いから」

「私は鯛が普通に焼いたもので」

(あんたも保守的やないか)

「それにしても、相変わらず瀬名は美人だなあ。元康殿がうらやましい」

「何をいってるんですか親方様。この人は絵師に私の姿を描いて、それに髭を加えて遊んでるんですよ」

 瀬名が予想もしない爆弾を、和やかな夕食に投下する。

「ええ、三河様が! 氏真様もですよ」

 瑠璃がいきなり瀬名と同調。悪事ってのはやはり露見するものらしい。

「ええっと、それはだねえ......ごほ、ごほ」

 俺はどうやって誤魔化そうと焦って、ご飯を喉に詰まらせる。

「氏真様、落ち着いて」

瑠璃が優しく背中を叩いてくれた。

「これは唐で伝わる教えなのですよ、実はですな」

いきなり元康が俺に助け舟を出してくれた。

「詭弁など聞きたくありませぬ」

女子は声を揃えて結構失礼なことを、将来の江戸幕府の将軍にいい放つ。

「いやいや、美貌の妻をもらった者は幸福を独占することで逆に不運を呼び込むという唐の国の教えがあるのです」

「えー嘘でしょお」瀬名が言った。

「それを予防する方法として風水の書に紹介されとるのです、妻の似顔絵をわざと汚せと」

 普段ゆっくり話す元康が、早口で演説するのがおかしかったし、新鮮だった。

「瀬名さま、美貌の妻を持つと殿方は大変みたいですよ」

瑠璃がウキウキ声で言うと

「どうも納得できませんが、そういうことにしましょうか」

 瀬名も機嫌は悪くなさそうで安心する。

 俺は機嫌を直して天ぷらに箸をつける瀬名を見て嬉しくなった。歴史が俺の知る方向で進めば、彼女には過酷な運命が待っている。俺はそれを変えたい。どうやら俺はただの信長や秀吉の勃興の踏み台にされてしまう今川の人に愛着を強く感じてしまってるようだ。

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