第1章

図書館事件

「図書館なんて小学校振りかもなぁ」


 6月の後半、梅雨がまだ明けていなくて昨日も1日中雨が降っていたが今日は1週間ぶりに晴れた。だけど、昨日までの雨もあって湿度は上がったように感じる。それも相まって滲んできた汗はシャツに張り付きただただ不快に感じる。


 今日は母親の「テスト前だけど勉強してんの?」との攻撃を受けて、逃げるように外に出てきた。だけどテスト1週間前になっていることを思い出し、おとなしく勉強をすることにした。家では集中できないので5年ぶりに地元の図書館に行くことにした。


 地元とはいっても歩けばそこそこの距離がある。この暑さの中歩くのは暑がりな僕からしたら地獄でしかない。図書館は通学路のちょうど乗り換えの駅にある。もちろん定期圏内なのでありがたく使わせていただくことになった。


 新交通と称するそのモノレールの駅は外との空気にじかに触れるので車両に入るまではかなり暑かった。車両に入ったら地獄から解放され、冷房の効いた車両に心地よさを覚えた。この車両が夏に暑くなるのは年に1回だけだ。それはコミックマーケットの時だけだ。冬の時ならまだいいのだが…… ちなみに僕はコミケの中歩いて行っている。


 そんなことを考えていると右手には豊洲市場がみることができて、左手には都心の高層ビルが立ち並んでいる。夜になると夜景がかなり綺麗で学校帰りに何もせずに見ることもあるのだが、今はこの暑さの中で働いている会社員の人たちを尊敬せざるを得ない。




駅を出てから5分ほどが経ち豊洲駅に着いた。この町はららぽーとをはじめ学習塾や飲食関係の店が立ち並んでいてかなりの喧騒にまみれている。そんな外の様子とは違い図書館の中は静かなようだ。窓が全面的についたビルの中の2フロア分を使ったこの図書館はとても開放的に感じる。きっとここで本を読んだら最高なのだろう。


 5年ぶりに訪れたその図書館はいつも登下校中に見ていたというのに何か懐かしく感じる。エレベーターを降りて司書の人がいるカウンターの前で横切ると自習スペースがあった。自習スペースはバーテンションで区切られていて勉強に集中できそうだ。すでに半分が受験生らしき人や僕の同じ境遇であろう人達で埋まっている。


「さてと、はじめるとしますか」


 とりあえず苦手な物理から片付けるとしよう。早速イヤホンをつけて音楽を流し始める。この場所自体が静かだったこともあり、音楽を聴き始めると完全に自分の世界に入ったように感じる。今なら物理以外なら何でもできそうな気がする。




 1時間ほどが経ち集中が途切れ始めてきた。トイレにも行きたいと感じていたころなので、せっかくだし休憩をすることにした。司書の人がいるカウンターからここまでは完全に見えるし少しくらい席を外しても問題ないだろう。あるのは問題集だけだ。


 トイレに戻ってくる途中にデッキがあることに気づいた。デッキは自由に使うことできるようだ。


 地元の図書館だというのにどうして僕が今になって気付いたのかと言えば、このビル自体が4年程前に建てられたばかりだからだ。ちょうど僕がこの図書館を訪れなくなった時だ。その前は文化会館の中にあったのだが、引越と同時に取り壊された。中学に入ってから工事をしているのを傍目に見て何となく悲しくなった記憶がある。


 トイレから帰るついでにデッキに出てみると日差しが照っていてかなり暑い。それでも高い場所にあるせいなのか風が吹いていて気持ちがいい。下を見てみると車が走っていて耳を澄ませば風の音に紛れてエンジンの音が聞こえてくる。


 しばらく手すりに寄りかかっているとスマホが鳴った。確認すると『太一』と表示されていた。


 太一は中学2年に入ってからの友人で、学校でも他の友人たちと話すことが多い。太一からメッセージアプリの『RAIN』を介して連絡しあうことが多い。それは雑談から授業の事までにわたる。


『誠也急で悪いんだけどさ、古典の問題集の答え見せてくれない?』


『オッケー! でも今古典の問題集持っていないから家帰ってからでもいい?』


『マジで? サンキュー! っていうか今遊びに行ってんの? テスト余裕かよ(笑)』


『図書館で勉強してるっての』


『さすが誠也。テストには抜かりがないようで』


『さすがにこれ以上成績を悪くしたらやばいからね。太一みたいに補習とか追試に追われたくないから』


『うっせ。それじゃあ答え後でよろしくなー』


『オッケー』


 太一とはこんなチャットをして終わった。かなり時間が経ったことだし戻って勉強の続きをすることにしようかな。正直に言ってもう物理はやりたくないし国語化に手を付けることにしようかな。自習スペースに戻りながらそう思っていた矢先の事だった。


「きゃっ」


 何だか可愛らしい悲鳴が聞こえてきた。その声の元を探してみると自分からは本棚で視覚になっているところに女性が倒れこんでいた。うつ伏せになっていていてかなり痛そうだ。両腕を前に出していて、そっちのほうを見てみると数冊の本が散らばっている。他にも女性の近くにはバッグがあって中身が散乱しているようだった。


 さすがにこの状況で知らん顔をするわけにはいかないだろう。


「あのー、大丈夫ですか?」


「え、私? だ、大丈夫です!」


 女性は大声でそう言ってきた。声がかなり響いたからか司書の人がこちらを睨んできた。会釈で返し一応誤っていたら、ちょうど女性が立ち上がってバッグの中身をかき集め始めていた。

 乗りかかった船だし、手伝うことくらいはするか。そう思って女性が持っていたであろう本をかき集めていた。さすがに女性の持ち物に触ることはできないし本を集めよう。


「え? あ、ありがとうございます! すみません手伝ってもらっちゃって!」


 本を集め始めた僕に気付いたのか女性が大声でお礼を言ってきてくれた。もちろんそれと一緒に司書の人の睨みも飛んできたが。


「いや、大丈夫ですよ。それよりも図書館何でもう少し静かにしましょう」


「あ、はい。すみません、気が回らなくて」


「それよりも、大丈夫ですか? 顔とか打っていませんか?」


 うつ伏せになる転び方だ。顔とかを打っていてもおかしくない。そう思って女性の顔を見てみた。ぱっちりと開かれた瞳はとても澄んでいるように見える。少しウェーブがかかっている髪は目の色と同じ小豆色だ。小豆色と言えば地味に聞こえるかもしれない。だけど実際は女性の童顔とよく似合っていて綺麗に見える。


 思わず見つめてしまっていたら女性のほうは片付け終えたのか顔を上げてこちらを見てきた。


「どうかしましたか?」


 顔を傾げながら女性は言ってきた。それさえも可愛くて目が奪われてしまう。


「い、いえ。なんでもないです」


「そうですか。あ、それよりもお礼を言わなきゃですね! 本当に助かりました、ありがとうございました!」


 彼女は朗らかにそう言ってきた。ここまで素直にお礼を言われるとやっぱりうれしく思う。


 それにしてもこの本全部見たことがあるような?


 そう考えていたのが分かっていたのだろうか女性が言ってきた。


「これは全部学校のレポートに使う資料です。課題を出されたときに学校の図書室が使えなかったので」


 それで何やら難しそうな題名ばかりが並んでいるのか……


「あぁ、ごめんなさい! 引き留めってしまって。本当にありがとうございました」


 その女性の言葉を最後に僕は自習スペースに戻った。


 一期一会。その言葉の意味に少し悲しさを感じていたが意外といいのかもしれない。

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