7. 朝の特訓−4
それから数日が経ち、武技競戦を明日に控えたレイたち。
結局、手合いのできる場所は見つからなかったため、
「これにもだいぶ慣れてきたなぁ。普通の服のように動けるよ」
カインは走りながら着ている道着の前襟あたりを右手で引っ張る。
「最初の方とかすぐバテちゃって酷かったもんね。僕殆ど歩いてたもん」
「ははは。その節はどうも。でも今は、ほら、こんなに走っても息ひとつ上がらない」
そう言って加速してみせる。他にも宙返りしてみせたり、バク転して見せたり、もうすっかり軽い身のこなしである。
「ほんと、見違えちゃって。僕はとても嬉しいよ」
レイは走りながらローブの袖を顔に当て、嬉し泣きをするフリをする。
カインは減速して再びレイの横に並ぶ。
「にしてもお前、汗一つかかないのな。そのローブも冬用だろ?」
「森だと冬はこれだけじゃ寒いかな。でも
「この〜俺が身体強化使えないからってぇ〜。……そういえばレイはどこの森出身なんだっけ?」
「世界北部の『憂いの森』だよ」
「は?嘘だろ?アネクメーネ地方の?」
「そうだよ。まあ、地図には載っていないから、本当にアネクメーネ地方なのか、と言われたら微妙だけど」
憂いの森。「大神秘の森」とも言われ、世界で一番謎の多い森。魔獣が出現する前から、憂いの森には立ち入る人間はいなかった。そもそも世界北部と世界中央部の間にはアネクメーネ大海という、広大でいつも荒れている海が広がっていて、大船、軍艦でさえでも簡単に難破してしまうので、立ち入ろうとしても立ち入れないのだ。
アネクメーネ大海を渡るには、アネクメーネ移動性群島という東から西へ移動する島があり、その島と世界北部の目的の大陸ないし島がうまく繋がった時に速やかに渡る必要がある。
確かに冬季にアネクメーネ大海は凍結し渡れはするが、吹雪が強いのと移動性群島の影響などで、氷の層が脆くなっていたり、
また、魔獣出現後、その原因は憂いの森にあると言われ、いくつかの国が軍を派遣したこともあった。しかし、途中で壊滅したり、世界北部に辿り着けても別の大陸であったり、派遣された殆どの部隊がその目的地を見ることさえ叶わなかった。
辛うじて憂いの森のある大陸まで辿り着いた部隊もあったが、森の異様な雰囲気に当てられ倒れてしまうものや、なんとか森に入ってもどういうわけか奥に進めず元いた場所に戻ってきてしまうなど、世界的に何一つ解っていない未開の地である。
「お前、それ誰にも言うなよ?『憂いの森』出身なんて言ったらもう大変なことになるぞ、きっと。お前は住んでたから何も疑問に思わないだろうが、俺らからすれば未知の世界なんだからな。ありとあらゆる機関がお前のことを狙うぞ」
カインはそう耳打ちしてから「というかまず誰も信じないか」と付け足す。
「ええ、それは怖いね。確かに『憂いの森』は謎が多い森とか聞いたことがあるけど。分かった。言わないようにするよ」
カインは一度レイから目線を外し、進行方向の空の方を見る。
「俺は世界には知らない方が良いから、知られていないことは多いと思っているんだ。その『憂いの森』もそうだと思っている。でも人は知識欲の権化だ。気になってしまう……だからこっそりどんな森か教えてくれたり…」
カインはいかにも澄まし顔である。
「あー、なんか世界の未知とか期待させて申し訳ないけど、ただの普通の森なんだよね。そこの学校の林とも何も変わりないよ」
「超でかい遺跡とか古代兵器とかないのか?」
「そんなものないよ」
レイは笑いながら答える。
根も葉もない噂というのはこう言うことを言うんだな、とレイは心の中で一人頷く。
「本当にただの森だもの。あーでも、大きいから普通の森より木が多いかも。確かにあの森に帰るのは大変だけど、ただの何の変哲もない森さ」
カインは急に神妙な面持ちになる。眉を寄せ、目を瞑る。
「人があの手この手を尽くして求め続け、得られなかった期待の神秘が、ただの普通のそこらにある森と変わらないなんて。人間って魔法が使えるから、自然より優位にあると思っているけど、実際は逆で人間が自然に弄ばれているような感じがするな」
うんうん、いいこと言った。とカインは走りながら頷く。
「カイン、、、急にどうしたの?なんかそれっぽいこと言って。何か悪いものでも食べたの…?カインらしくないよ…?」
「な、なんだよ。俺にもこういうことを考える時があるんだよ。大体なんだよ俺らしくないって」
「バカっぽいことを何の恥ずかしげもなく言えるのがカインらしいところだよ!」
「なんだと〜この野郎〜」
唐突に、そしていつものようにレイとカインの追いかけっこが始まる。
追いかけっこが始まってから5分程度。
「おお!カイン、
レイは余裕ぶって後ろ向きに走り始める。
「はぁはぁ、なんっで、微妙に、追いつけないん、っだ?」
一方カインの方はバテ始めていた。今にも倒れそうな勢いである。腕をぶらぶらさせ自重に身を任せた、そんな走り方。
そのまま学生寮の前の道まで来るとレイとカインは一人の男子生徒とすれ違う。
「ん?君たちちょっと待ってくれないか?」
レイは立ち止まって自分を指差し、僕たちですか?と尋ねる。
「ああ。そっちの金髪の子が着ているのは
カインは口をパクパクしていたが発音はできていなかった。疲れ果てていて風が吹けばどこかへ飛んでいってしまいそうな様子であった。
「あーそれは僕が作ったセルソンに似せた道着です。確認しますか?」
レイはその男子生徒に見覚えがあった。だからすぐに自分より学年が上であることが判った。
「すまない。確認させてもらう」
その男子生徒はカインの汗だくの道着を
「確かに、学校のではないね。この魔法陣は君が描いたのかい?」
「はい、そうですけど」
その男子生徒は選抜試験の時の先生の補佐をしていた生徒であった。諸刃の、日の光を反射して青光る鞘の剣を腰に差していた。
「そうか。よくできているね。と言っても、一部しか判らなかったんだけどね。――ん?あれ?君は何処かで見たことがあるような気がするな」
「多分、剣術の選抜試験の時だと思います。僕も先輩のことを見たことがあるので。僕は
レイは一度ぐったりしたカインの方を見遣り、"
「ほら、カイン。醜態晒して見っともないぞ」
―誰のせいだと……最後まで発されないかすれ声がカインの喉奥から這い出てくる。
「ああ!君があの
「そうなんですか?」
レイは少し赤面する。しかしその分不安も生まれていた。自分の名前が大きくなれば大きくなるほど、人と自分との距離も大きくなっていくように感じていたからだ。
「うん。ある種の伝説になっているよ。ああ、僕がまだ名乗っていなかったね。僕は
「はい。道具さえあれば描けます」
「じゃ、じゃあ魔法陣の文字の羅列を見ただけでもどういう陣か判ったりするのかい?」
隆伊は突っかかり気味に訊ねる。
「判りますけど、何か不明な魔法陣とかあったら鑑定しましょうか?」
隆伊はまさかの返答が来た為、驚きを隠し切れていない表情であった。この歳で魔法陣を描け、鑑定できる者など聞いたことがないからだ。
魔法陣師はどんなに早くても20代後半になるまで真面な鑑定はできない。それに魔法陣を描くのも基礎的な魔法陣は異なるが、人気の高い、よく使われる魔法陣は相当な技術を要するので何十年もの経験を積まねば描けない。
「い、いやぁ、あったんだけど鑑定士に依頼しちゃって、もっと早くに君に会っていれば。ははは。君の進路は魔法陣師なのかい?」
レイの表情が少し
「いえ、普通の魔法使い、魔法師になりたかったんですけど、ちょっと無理そうで」
「え、あ、ま、まぁ、もしかしたら何かの
隆伊は訊いてしまった手前、必死にレイを励まそうとする。
「あ、そうだ。君、確か校内戦出場するよね。僕、一応剣術部門の補佐生徒なんだ。まあ、だから君たちに話しかけたわけなのだけど。僕の弟、君より少し小さいくらいで髪色は僕と同じ黒、
「ああ!はい。選抜試験の時に少し話しました」
隆伊の顔がぱあっと明るくなる。
「そうかい?ならよろしく頼むよ。悪いね、引き止めちゃって。校内戦期待しているよ。それじゃあ」
と隆伊は言い残し小走りにその場を去った。
「お前すごい人と知り合いになったんだな」
「あ、カイン、復活したんだ」
(―水を得たカイン。なんちって)
「長話の間にな。あの人途中から俺のこと一切視界に入れてなくてなんか悲しくなったよ」
「
「まぁ、知らない人の方が少ないんじゃないかな。30年聖戦でも活躍した士族だし。お前と同じく剣術を得意とする士族だよ」
「カインは物知りだねぇ」
「お前の知識が偏りすぎなんだよ」
◇ ◇ ◇ ◇
「どうした。お前から呼び出してくるなんて」
「少し予定が変わった。まず目標を変更する。それに伴って校内戦の計画を全て魔法校戦に持ち越すことにした」
「ほぉ、では校内戦では何もしないんだな」
「様子見程度かな。目標が想像以上に
「そうか。なら校内戦はこっちはこっちで勝手に動く」
「ああ。構わない。ただあまり大袈裟に立ち回るなよ。本番はまだなんだから」
「ああ。心得ている」
◇ ◇ ◇ ◇
◇第3クラス四組
「いよいよ明日から校内戦である。まず出場する3人は目一杯戦ってこい。明日の予選を勝ち抜けば本予選に出場できるからな。本予選に出られれば魔法校戦まで3勝すれば出られる。出し惜しみしないように頑張っていけ。
そして参加しない者は基本観戦となるが、どの試合を観戦しても構わない。観戦せずに寮や教室で勉強しているのも良い。試験も近いわけだしな。休日扱いであるから校外に出ても構わないが、節度をもって行動するように。また、明後日からは他学年の予選が始まる。その時も同様に自由に過ごしてもらって構わない」
校内戦(武技競戦)は休日の扱いとなっているのだ。教職員全員が校内戦に駆り出される為、授業ができないからである。
予選と本予選、決勝予選で1週間続く。予選が4日間、本予選が2日間、最終日に決勝予選が行われる。
「あと何か不審なものを見つけたときは速やかに近くの教師に伝えるように。私は一等教諭のため、校内戦全日捕まえにくいと思われる。この間も話したが学校内に魔獣も出現した。学校内も安全な地帯ではないことを胸に刻んでおくように」
◇職員室
「おお、
「はい」
レイは机を挟んで海部内の真正面に座った。
「お前と生徒指導以外で話すのは初めてだな、っていうのをさっき
「いやーいつもうちのカインがお世話になっています」
「ふっ。やはりお前はおかしな生徒だな。私が第3クラスの担任になったのも学術首席が第3クラスから出たからなんだぞ。一等教諭は基本的にAクラス以上の担任しか持たない」
「え?なんかすみません」
「いや、謝ることはない。私が志願したからだ。どんな生徒なのか個人的に興味を持ったからな。そして蓋を開けてみれば悪ガキだったというわけだ。正直今でも信じられないよ、目の前にいる、ぱっとしない生徒が学術首席だなんて」
「よく言われますね、それは」
「ま、その話は置いておこう。選抜試験で剣術を担当していた先生から聞いたのだが、どうやらお前は教師を倒してしまったようだな」
「倒したと言うか剣を弾いただけですけど…」
「そうか。ここだけの話なのだが、おそらくお前は予選は言うまでもなく、本予選も勝ち残れるんじゃないかと言われている。今職員室でも一番注目されている生徒だ、君は」
「え?あ、そうなんですか」
しかし内心レイはあまり喜べない。期待されるのはいいが、小さい体躯に合わない大きな存在になってしまうことを恐れていた。
「ああ。だから自信を持って戦ってこい。どうやら周りのクラスメートとの距離があることを悩んでいるようだが、気にするな」
「え!?なぜそれを」
そのことが海部内にバレていたことに驚く。
「私も教師だぞ。お前が密かに悩んでいることなど、教室で見ていれば分かる」
レイは何か少し恥ずかしくなるのと同時に、尊敬の気持ちも抱いた。
「お前がこの校内戦を勝ち抜けば、お前と同じレベルの生徒と出会える。そうすればお前に臆することなく接してくれる生徒も現れるはずだ。
確かに普通の第3クラスの生徒からお前を見たら雲の上の存在に感じる。魔法以外は第2クラス、第1クラスにも引けを取らないわけだからな。それはもう仕方のないことだ。どっちが悪いというわけではない。
それに決勝予選に出場できれば今の第3クラス、そしてこれからの第3クラスに希望を与えてやれる存在となる。だから全力で戦ってこい。お前ならやれる」
「はい。解りました!」
レイは心のどこかに引っかかっていた小さな異物が取り除かれた気がした。
しかし同時に
◇学生寮第8棟 3階4号室
「お
レイは窓の外に顔を出して少し曇りがかった月を眺めながら話していた。
「それではおやすみなさい」
その言葉は嘘に限りなく近い、誠であった。
月は昼には登らないのだから…
自分自身は自分に一番近い、けれど、自分では見られないものなのだから…
そして予選を明日に控え深く眠りについた。
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