ごめん、俺勇者じゃなかったわ

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ごめん、俺勇者じゃなかったわ

 俺は今、魔王城にいる。勇者の冒険が、終わりを迎えようとしている。


 防具屋の息子の俺は十五歳の誕生日に神託が下り、勇者として王様から世界征服を目論む魔王の討伐を命じられた。

 旅先で出会った仲間とパーティを組み、山も谷も砂漠も海も空も越えて旅の果て、ついに絶壁の孤島にある魔王城へたどり着いた。


「勇者! 絶対魔王を倒すよ!」

 魔法使いのエミリアは、両親が魔王の手先に殺され復讐のためにパーティへ入ってきた。俺たちが理解するのは難しいだろう孤独を抱え、恨みに感情が傾いて暴走することもあったが、徐々に冷静に対処出来るようになっていった。


「どこまでもお供します勇者様」

 僧侶のランダンは、酒と博打が好きで神や勇者の存在を信じない怠惰で不良な僧侶だった。教会が魔物に襲われ、瓦礫の下敷きになりそうなところを助けて以来信仰心が芽生え、どうしても冒険について行きたいと半ば強引にパーティへ入ってきた。イカサマで盗賊相手に荒稼ぎしたこともある。


「行こうぜ勇者! 魔王をぶっ潰しによ」

 戦士のゴードンは、旅立ってからすぐの港町で出会った。腕っぷし自慢で自分よりも強い相手がいないと酒場で飲んだくれて暴れているところに出くわし殴り合いの喧嘩をして、彼の強さに感動した俺は頭を下げて仲間になってくれと頼んだ。


 どんな困難も共に乗り越えてきた俺たちは、オリハルコンよりも硬い絆で結ばれている。必ず魔王を倒し世界に平和をもたらそうと誓い合い、城へ突入した。


 城内は暗く静まりかえり、沈黙を貫いている。自分たちが行く道だけ時間が進み、他は止められている。罠を躱し、バリアを魔法で跳ね除け、玉座までの長い廊下を無我夢中で走り抜ける。


「へっ、魔物もビビって出てきやしないぜ」

 ゴードンはそう言っているが、誰もが気づいていた。息を吸った喉が焼けつくほど張り詰めた威圧感に、立ち入ることができないのだと。

 平静を装ってはいるが、エミリアはうつむきがちで杖を握りしめて必死に耐えている。普段は冷静なランダンも、十字架を握る手に汗をかいている。

 俺も、一瞬でも気を緩めたら死ぬかもしれないと感じた。奥へ行くほど空気は重く淀んで、爪先まで緊張感が走る。


 玉座に通じる大扉の前で一呼吸した。これが最後の戦いだと自分に言い聞かせ、四人がかりで押し開ける。背筋が凍る気配に怯まずに足を前へ進めれば玉座は目の前にあり、聖なる加護を受けた勇者の剣を鞘から抜き、悠然と座す魔王を見据える。

 蒼い巨体に鋭い爪と牙が鈍く光り、太い尻尾を気倦げにしならせ、髑髏を連ねた装飾が立ち上がりの際に乾いた笑い声を上げた。


 相手は世界に甚大な被害をもたらした魔物の王だ。どんな言葉を並べようと容赦はしない。宣戦布告の言葉が漏れた瞬間が、戦闘開始の合図だと確信していた。


 しかし、魔王の口から出たのは、予想もしていない言葉だった。


「コウマ、よくぞ戻った」

「どうして俺の名を」

 驚くと同時に全身の毛が逆立つほどの恐怖を覚えた。何故魔王が俺の名を知っているのか。旅立ってから今まで、ずっと勇者と呼ばれてきた。地元では王様にも近所の人にも防具屋の息子としか呼ばれたことがない。本当の名前を知るのは、家族だけ。


「知っているとも。我が片割れ、双子の兄弟コウマ。待ちわびていたぞ」

「ウッ……」

 その言葉に刺された心臓が痛み、鼓動が早くなる。立っていられず膝から崩れて起き上がれない。あ、れ、どうなってるんだ俺の体? なんでこんなに熱いんだ? 魔王の罠か、既に攻撃されていたのか。考えられる余裕がない。剣を、剣を持って戦わなければ……。


「おい勇者! しっかりしろ! あっつ!!」

 剣を落とした手が、地に伏した足が、腹が、溶けてしまいそうなほど熱い。いや、実際溶けている。俺の肩に触れたゴードンの手に火傷の跡がついて煙が上がった。


「神よ、我らに癒しを与え給え。光の祝福ライトヒーリング! ……ダメだ、治癒魔法が全く効かない!」

 ランダンが必死に唱える治癒魔法の甲斐もなく、肌色の皮膚がスライムのようにズルリと身体から流れ落ちて、紅色のゴツゴツした分厚いものに変わっていく。

 顔が熱を帯びて、身体中の血が沸騰してしまうのではないかとすら思った。喉が焼け声が出せない。否応無しに身体が組み変わっていく。目の前が真っ白になって、覚えのない記憶が駆け巡る。


 川沿いの草むらで、誰かと遊んでいる自分がいる。幸せな小さい頃の記憶だ。木の枝を振るって何かの真似事をして、隣にいる誰かに窘められている。


 場面が飛んで、臣下たちには見つからないよう作った秘密基地で、大事な約束を誰かとしている。いつか二人で一緒にこの世界を良くしていこうと。大切な家族……。


「…………ソウマ?」

 熱で朦朧とした意識の中で、俺は名を呼んだ。遥か昔に離れ離れになった、魔王として目の前に立つ兄弟の名を。


 兄弟は無言で頷き、優しく手を差し出す。縋り付いて手を取ると、記憶が流れ込んでくる。双子の魔王は不吉とされ、約束の次の日に俺は記憶を消され人間の赤子に変えられて川に流された。それを防具屋の夫妻に橋の下で拾われていた。実の子ではなかったのだ。


 それならばここまでの冒険は、人生は、全部虚構で塗り固められていたのか。神は長きに渡り兄弟を殺せと言っていたのか。許さない。神を、それに付き従う人間を。


「ゆ、勇者様!? 嘘ですよね、あなたは魔王を倒し世界に平和をもた」

 言葉を最後まで聞かずに、仲間だった人間の首をはねた。剣を持つのが煩わしくて、右腕でなぎ払っただけで紙細工のように飛んでいった。残った体が血を吹きながら膝をつく。


「い、イヤーーーーッ!!! 勇者、あなた何をしているのかわかってるの??? ランダンはあなたのこ」

 わかっている。憎き神を信仰する愚かな人間を潰しただけだ。首無しの死体に縋って何やら喚いている女も、握り潰すと大人しくなった。


「目を覚ませ勇者! そんなの魔王のおかしな魔法攻撃に決まっ」

 筋骨隆々の男も煩かった。手で包み、爪で内臓をひと突きにしてやった。あんなに強く見えていた戦士は、ただ図体が並の人間よりも大きかっただけなのかと落胆した。


 勇者の剣は輝きを失い、ただの鋼の剣になった。拾い上げて力を込めただけで、割れて灰と化す。そう時間は掛からなかった。


「兄弟よ、この日をどれだけ待ち焦がれていたことか。これからは共に過ごそう」

「ああ、約束を果たそう。二人で魔物にとって良い世界にしよう」

 変わり果てた姿になった俺を抱きしめたソウマの冷たい体が、熱を奪っていく。それがどれほど心地よかったか、言葉では表すことはできないだろう。



 俺は今、魔王城にいる。二人の魔王の世界征服が、始まろうとしている。

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