猫々サマータイムマシン 23
そこは神社に続く道の途中、近所の商店の前、去年三人で待ち合わせをした場所。
陽はまだ暮れていない。今は前回の夏休みに神社で待ち合わせをした時間の少し前だ。
虎太郎と莉子は二人で合流して神社で待っている
彼女を待つ時間は静かな時間だった。
直射日光はもうあたらない。それでも夏の暑さは空気に溶けて辺りを汗ばむ気配で満たしている。
少しして莉子がやって来た。
「お待たせ。ごめん時間かかっちゃった」
彼女は前回と同じで浴衣を着ていた。白い生地に朝顔の浴衣だ。青や赤色の花が花火のように咲いている。
「へへ、どうかな?」
簡単にポーズをとる莉子。メイクをしていつもより大人びた顔で子供らしく笑った。
「うん、良いと思う似合ってる」
正直に言う。
「お、なんだなんだ? 虎太郎が褒めてくれるなんて珍しいじゃん」
「本当にそう思ってるんだよ」
「ふーん、ありがとね」
照れのない素直な笑顔だった。
そんな笑顔が虎太郎には嬉しくて、それでいて少し寂しかった。
「じゃあ行こっか、智孝は神社で待ってるんでしょ? 準備遅くなっちゃったし、それにこれ可愛いけど歩くの時間かかるんだよね、自転車乗れないし」
そう言って早速行こうとする莉子を虎太郎が止める。
「あ、莉子、それなんだけどさ、俺、急用でお祭り行けなくなっちゃって、これから家に帰らなくちゃいけないんだ。ごめんな」
「え、そうなの?」
「だからお祭りには智孝と二人で行って来て」
それが元々の二人の夏休みだったはずだ。
「あ、そっか、智孝と二人、か、うん、分かった。虎太郎は残念だけど、また今度だね。お土産買ってくるよ」
「うん、ありがとう、また今度な。あ、それで、あのさ……」
「ん? 何?」
「帰る前に、最後に、一個だけ良いかな?」
「え? うん、何? 良いけど」
「俺さ」
「うん」
「莉子が好きなんだ」
「ん、え、何? 冗談?」
気心の知れた関係が二人の間にどうしても気持ちの溝を生む。きっと繰り返した夏休みの分だけ空いた溝だ。
それでも虎太郎は真っ直ぐに向き合って彼女の気持ちを引き寄せた。
「冗談じゃないんだ」
「え? 何? どうしたの急に、え……、本当に冗談……、とかじゃなくて?」
莉子も気が付いたようだった。
「うん、本気」
「え、あ、あれ、その……」
急な告白に戸惑っている莉子に向けて虎太郎は強気な笑顔を見せた。彼女を困らせたい訳じゃなかった。
「でもさ俺、ごめんだけど、莉子が智孝を好きなこと知ってるんだ」
「え?」
「見てて分かっちゃったって言うかな」
「あ……」
「それに俺も二人が上手く行ったら良いなって思ってる。本当だよ。智孝が本当に格好いいやつなの俺も知ってるし。だけどさ、どうしても気持ちだけは伝えておきたくてさ、だから言った」
「虎太郎……」
莉子の目が泳いでいる。緊張している、緊張させてしまっているのが虎太郎にも分かった。虎太郎はそんな莉子の緊張を少しでも和らげられればいいと、ただ笑顔を作った。明るい顔で、優しい顔で、何でもないように笑えてたら良いと心から思った。
小さな声で莉子が言う。
「ごめんなさい」
分かってた。
「うん、ありがとう。これで踏ん切りがついた。良いよ。気にしないで。分かってたし。それに俺、二人のことが好きだし。本当に」
会話が途切れた時、まだ明るい空に花火が上がった。前回智孝と二人で見た花火大会が行われる合図の花火だ。
「ほら、早くしないと約束の時間になっちゃう。じゃあ、俺は帰るから、莉子はお祭りに行って。智孝が待ってるよ」
なるべく平静を装ってそう言って、虎太郎は自転車を押し帰ろうとした。
「あ、虎太郎……」
そんな彼に莉子が呼びかける。
しかし虎太郎はそれ以上話そうとはしなかった。ただ笑って、
「頑張れよ、俺、本当に応援してるから」
最後にそれだけ言って、そのあとは振り返ることなくその場を後にした。
気が付くとすっかり日が暮れていた。虎太郎はあの後、家には帰らず自転車を押しながら街を彷徨っていた。どこをどう歩いて来たのかは分からないが、今は、この繰り返した夏休みの間、何度も通った田んぼの道を歩いている。
やけに見晴らしのいい景色も闇の中に沈んで、星や月が明るい訳でもなく、辺りは静かで暗い。祭りの賑わいも聞こえない。
虎太郎は何も考えてはいなかった。智孝のことも、莉子のことも。ただ足を動かしているだけだ。
その時、微かに低い太鼓のような音が聞こえた。思わず足を止め振り向くと遠い夜空に花火が上がっていた。あの三人で過ごした祭りの夜と同じように。
途端に目の前が滲んだ。勝手に涙が零れていた。
「……ぁれ、泣いてんの? ぁはは、かっこわりぃなあ」
声が掠れている。漏れる息は熱く、体は汗でべたついて気持ち悪い。おまけに涙は全然止まらない。それはもう次々上がる花火みたいに。
「俺、なんか、言い訳みたいなことばっかり言ってたかな、言いたいことちゃんと言えてたかな。柄にもなく応援してるとか、言っちゃってさ、あーあ。あー……。本当に、かっこ悪いなあ。べらべら一人で喋ってさ、俺、ただ迷惑かけただけなんじゃないかな、困らせただけなんじゃないかなぁ」
考えたくないのに前回過ごした祭りがどうしても頭に浮かんでしまう。莉子と一緒に居た時間は今はどうしようもなく遠くにあるはずなのに。元々は無かったはずの思い出なのに、それが胸をえぐる。
きっと一番最初の夏と同じように智孝と莉子は一緒に花火を見上げている。
「告白するってすげえな。二人とも本当にすげえなあ」
思い出すと今も心臓が強く胸を叩く。声も体も笑えるくらいに震える。
「俺なんかやっと、やっとだよ……」
繰り返した夏休みを思い出す。二人が付き合うのを阻止しようとしていた自分。馬鹿みたいに。結果、何回も、何回も勝手に失恋して。
虎太郎は花火を背にしてまた少しづつ歩き出した。
「俺さあ、本当に、馬鹿だなあ」
自分の行動に、言葉に、後悔が湧き上がってくる。だけど不思議とやり直したいとは思わなかった。もうこの夏をなかったことにはしたくなかった。
「かっこ悪いし、馬鹿だし、最悪じゃんかなあ、何回もさあ……」
誰もいない夜をいいことに、涙も言葉もだらしなく零しながら、虎太郎は自転車を押して一人歩いた。耳も尻尾も後ろを向くけれど、それでも、振り返らずに。
そんな虎太郎の背後ではもう戻れないあの夏の花火が美しく夜空を彩っていた。
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