猫々サマータイムマシン 20

 二人の目の前を青く輝く蝶が横切る。


「オオムラサキ? こんなところに」


 博士が呟く。

 虎太郎こたろうにはその蝶に見覚えがあった。


「え、あ! そうだ、タイムマシン!」


 反射的に腕を掴むもそこに装置はない、思えばさっき外してそのままにしていた。


「あれ、どうしたっけ、さっき、えっと……」


 体の周りを探すも見当たらない。


「嘘だ、なんで……」


 血の気の引く感覚。同時に思い出す、タイムマシンに乗る前の博士とのやりとり。


『虎太郎、最後に注意点を言うわ、よく聞いて』

『うん』

『腕の装置を絶対に無くさないこと。それが無くなるとこの時間に戻って来られなくなる』

『戻って来られないって、もしもそうなったらどうなるんだ?』

『悪くて消滅、良くて記憶喪失ね』


 ヤバい。

 神妙な面持ちで黙り込んだ虎太郎。


「どうしたの?」


 若い博士が心配そうに尋ねる。


「……ないんだ、タイムマシンの装置が」


「え?」


「それにさっき蝶が」


 あの蝶はいつも時のトンネルの中で飛んでいた。だからきっとあれが飛んでいたと言うことは時間制限が迫っていると言うことだ。


「蝶? 蝶ならあっちに飛んで行ったけど」


「え」


 博士が示した方を見ると確かにそこに蝶はいた。


「あ」


 さらに装置もあった。あったのだが……。


「あー!」


 ひらひらと蝶が舞う少し離れた土手の上、あろうことかその場所でカラスが装置を突いていた。しかも案の定装置は光を発している。いつも時を越える前に見るあの光だった。


「あのカラスいつの間に! しかも光ってる!」


 装置に触れているからかカラスが光って見えた。このままだと虎太郎の代わりにカラスが現代に行ってしまうのかもしれない。


 虎太郎は飛び起きた。


「虎太郎君!」


 博士も慌ててそれに続く。


「博士、あれ、あれがないと俺帰れないんだ!」


 カラスがついばんでいるあれだ。


「え!?」


「時間もたぶんもうなくて早くしないと俺、消滅か記憶喪失って博士が!」


「消滅か記憶喪失!? 大変だ!」


「大変なんだよ!」


 二人して土手を駆け上がろうとすると、殺気が伝わったのかカラスが装置を咥えて持ち上げた。

 二人の足がピタリと止まる。

 その様子を見てカラスが心なしかニヤリと笑ったように見えた。

 虎太郎の脳裏に最悪の展開が浮かぶ。


「まさか……」


 次の瞬間カラスが大きく羽を広げた。


「ちょ、ちょっと待てー!」


 叫び、なりふり構わず四肢を使い全力で土手を駆け上がり、カラスに向かって飛び付く虎太郎。しかし僅差でカラスが早く、彼の手を掠めて空に飛び立った。嘴にはしっかりと装置を咥えている。


「だあああー! 装置があああー!」


 飛び去るカラスを転んだまま見上げる虎太郎、その横を博士が駆け抜け、今度は博士がカラスに向かって手を伸ばし跳んだ。


 博士の手がカラスに触れる。


 グァ!


 カラスの口から洩れる声、けれどそれだけだった、装置は咥えたままだ。


「くそっ!」


 博士の悪態を後ろにカラスが羽ばたき離れていく。


『悪くて消滅、良くて記憶喪失ね』


 瞬間、虎太郎は走馬灯のように夏の日々を思い出した。


 タイムマシンに驚いた、自転車で田んぼを疾走した、母親に怒られた、飽きるくらい部屋でダラダラ過ごした、初めて図書館に行った、三人で勉強をした。そしてそれと、告白と、あの夏祭りの夜のことも。


 上手くいかないことばかりだったけれど、でも、でも……。智孝ともたか莉子りこと過ごせた夏を俺は……。


「嫌だ! 俺、忘れたくない!」


「まだよ!」


 博士は諦めていなかった。手が届かないことを悟るとすぐに足元の石を拾ってカラスに向かって投げつけた。


 真っ直ぐ命中コース。


 けれどカラスはそれも躱してしまった。

 しかしそれで体勢を崩したカラスはついに咥えていた装置を取り落とした。


「落ちた!」


 博士が叫び走り出す。

 煌めき落ちる装置の向かう先は田んぼだ。装置が落ちて大丈夫かは分からない。


「博士!」


 虎太郎も叫ぶ。


「任せて!」


 土手を駆け下り装置に向かって走る博士、田んぼの泥の手前、思い切り地面を蹴って飛んだ。

 博士が伸ばす手の先で装置の光はさっきよりも強くなっているように見える。

 そして博士は勢いよく泥の中に突っ込んだ。


「……博士?」


 博士のダイブの結果は虎太郎のところからでは見えない。装置の光も見えなくなっている。もしかしたら泥の中に落ちてしまっているのかもしれない。


 しかし次の瞬間、博士が掲げた手の中に輝く装置があった。


「取った! 虎太郎君!」


 それから博士はすぐさま上体を起こし虎太郎に向かって装置を投げた。

 虎太郎がそれをキャッチする。

 その瞬間、装置は一際強く輝きだし、虎太郎の体は光に包まれた。その光の中に舞っていた蝶も消えていく。いよいよ本当にタイムリミットが来たのだ。


 虎太郎が田んぼの中に居る博士に叫ぶ。


「博士! ありがとう! これで俺、ちゃんと帰れるよ!」


「良かった虎太郎君!」


「博士ごめん! 俺、なんか、ウジウジしてただけで!」


「そんなことないよ! 誰だって同じだよ、でも一つだけ約束して、ちゃんと自分の気持ちに向き合うって!」


「自分の気持ち?」


「そう、僕もちゃんと自分と向き合うから!」


「分かった! 頑張ってみる! 博士も獅子丸君に……」


 その時虎太郎は急に思い出した。


「獅子丸先生……」


「え? 獅子丸、先生?」


「あー--! し、獅子丸君って、獅子丸先生のことか――!」


 そんな驚きの声を上げている途中で虎太郎の体は完全に光の中へ飲み込まれ、若い博士の前から消えてしまった。


 虎太郎の消えた土手には若い博士と自転車。それと秋風にそよぐハンカチ。

 博士はしばらく虎太郎が居た方を見ていたが、やがて田んぼの泥の中に倒れこんでこらえきれないと言った様子で一人笑いだした。


 目の前には落ちて行ってしまいそうなくらい青く高い秋の空が広がる。


「獅子丸君、先生になるんだ……、僕も……」


 そこで博士は一度言葉を切って強く微笑み言い直した。


「私も頑張らなくちゃ」

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