猫々サマータイムマシン 17

 虎太郎こたろうがやって来る凡そ一時間ほど前のこと、若い雄猫こと彼がこの土手で一人黄昏ていると突然背後から強い光を感じたと言う。一瞬雷かとも思ったそうだが、どうにもそんな気配ではない。不思議に思った彼が後ろを振り向くと、奇声を上げ全力で自転車を漕ぐ、フリルの付いた白衣を着たでかい中年猫が。


「いぃやぁあああああ!」


 しかもそいつがガシャガシャ思い切り漕いでいる自転車は、さっきまで自分が乗っていたママチャリだ。

 訳の分からない光景に驚いた彼は直ぐに声を出すことも出来ず、しばらく黙って中年大猫が全力で自転車を漕ぐ姿を見ていたと言う。




「博士だ……」


 話を聞いていて思わず声を漏らした虎太郎、横に座る彼は何のことかと小首を傾げた。

 二人は今、並んで河原の土手に座っている。虎太郎の尻の下には綺麗な花柄のハンカチ。虎太郎は彼に促されてここに腰を下ろしたのだった。


「あ、いや、何でもない。それで?」


 虎太郎は続きを促した。

 彼が続きを話す。


 しばらくして、虎太郎がそうだったように、自転車を漕ぎ終えて博士はやっと彼のことに気が付いたらしい。とにかくそれで二人は目が合った。


「あの時、不思議だったんだけど、何て言うか全然怖く無かったんだ。それどころか、慣れた感じと言うか、安心感と言うか、何かとても良く知っている人と会っている時のような感覚だったんだ」


 だから彼は荒い呼吸のまま近付いて来る突然現れた中年大猫にも怯まず逃げ出さなかったのだろう。


 博士は目の前に来ると彼の両肩をバシッと掴んだ。彼よりも博士の方が背が高く体格も良かったらしい、そして間近に迫った博士の表情はあまりに真剣だったと言う。


「いい、良く聞いて、このあと、私が居なくなったあと、ここにある男の子が現れるわ。今私がそうだったように、あの自転車の上に、突然。あなたはその時までここで待っているの。いいわね」


「え、あ、は、はい……」


 博士の迫力故に否定の返事など出来なかったとか。


「男の子はそうね、天使、天使よ。猫の天使。だからちなみにそう、私は大天使。そう言うことにしておいて」


「て、天使?」


「そう、その天使が来たらあなたの悩みを相談しなさい。そうすればきっと悩みは解消されるわ」


「え」


「いえ、正確に言えば、解消はされないかもしれない、でも折り合いをつけることはできる、きっと未来に希望を持つことができる」


 博士はそれだけ言うと掴んだ手を放し、すれ違うように彼を置いて歩き出した。


「あの、天使、あ、大天使様、一体これはどう言う……」


 そんな彼の言葉を遮り、足を止め振り向いた博士は言った。


「あなたは大丈夫。大丈夫だから。それだけは覚えておいて欲しい。それじゃあ、私は行くところがあるから。さよなら、もう二度と、いえ、違うわね。きっとまた私達は会うことになるわ。そうね、三十年後に、きっと鏡の前でね。その時まではさよなら」


 博士はそう言うと今度こそ、その場をあとにした。本当に急いでいたようでとても奇麗なフォームで全力疾走を始めたそうだ。彼はその背中を呆然と見ている事しか出来なかったと言う。


 虎太郎はその話を聞き終えると深く眉根を寄せた。


 三十年後にまた会うことになる?


 その部分が妙に引っ掛かったのだ。


「あの人、あ、ううん、あの大天使様の顔、何だか他人のような気がしなかったんです。きっと天使ってそう言うものなんでしょうね」


 そう言った彼の顔を見ていて虎太郎は閃くようにある可能性に辿り着いた。

 面影があったのだ。良く見知った人の。


「な、なあ、名前、名前は、あんたの名前は何て言うんだ?」


「え、僕の名前? えと、猫宮博士ねこみやひろし、ですけど」


 答えだった。


 猫宮博士、それは紛れもない博士の本名だ。

 つまり目の前に居たのは三十年前の博士だったのだ。虎太郎は若い頃の博士に会いに来たのだった。


「ま、まじかよ」


「どうしたんですか?」


 一瞬全て説明してしまおうかと思った。だけれど直ぐにそれはやめておこうと思い直した。


 過去に居られる時間は凡そ三十分。

 時間が無い。もしも今ここでタイムマシンのことを話してめんどくさいことになったら肝心の話が出来なくなってしまう。だったらもう今は天使でもなんでもいいや。


「あ、いや、なんでもないなんでもない」


「そう、ですか。それで、あの、その、天使様、相談なんですが」


「え、ああ、相談ね、それは、うん……」


 本当は虎太郎がしたいはずだった相談を何故か若い博士にされそうになっている。とは言え無下にする訳にもいかない。目の前にいるのは紛れもない博士であり、しかもその博士と話をしろと言ったのも博士だ。ついでに言えば虎太郎をこの時代のこの場所に送り込んだのも博士なのだ。正直ぐちゃぐちゃに混乱してしまいそうだったけれど、今ここに居る以上とにかく話を聞くしかないのだろうことだけは確かだった。


 虎太郎は何とか気持ちを整え若い博士に聞く。


「な、何?」


 そんな虎太郎に、若い博士は何回か深呼吸をして思い切った様子で言った。


「僕、好きな人がいるんです」


「へ?」


 虎太郎は三十年前に来てもまた、自分以外に向けられた好意を告白されたのだった。

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