猫々サマータイムマシン 16

 虎太郎こたろうは家から持って来た自分の自転車に跨がり博士の説明を聞いていた。場所は研究室のローラー台、タイムマシンの上だ。


 頭には自転車用ヘルメット、肘、膝にはプロテクター、尻尾にリボン、それと手首には腕時計のような装置を装着していた。手首の装置は今までのタイムリープでは使ったことのないものだった。


「いいわね虎太郎、あなたがこれまでして来たのはタイムリープ。恐らく以前私にそう説明されているわよね。でも今回あなたにして貰うのはタイムトラベルよ」


「タイム、トラベル?」


「そう、この装置においてタイムリープとタイムトラベルは違うものなの。タイムリープは戻ったらそれっきり、過去のある地点から自分をやり直すもの、一方、タイムトラベルはそうでは無くて、その名の通り、時間旅行、あなたが今のあなたのまま時間を越えて、行って帰って来るの」


「帰って来る? またここに?」


「そうよ、その為に必要なのが手首に付けている腕時計型の装置よ。その装置は過去に行ったあなたが過去の時間の流れに飲み込まれないようにするための装置であり、今この時間と過去に行ったあなたを繋ぐ為の装置なの。だからその装置を使用すれば過去に行き、そして戻って来ることが出来るわ。さらに言えば、タイムリープの限度だった一ヶ月を越えて過去に行くことも出来るようになるの」


「す、すげーじゃんこれ……」


「まあそれでも限度はあるわ。残念だけれど恐竜を見に行けるほどではないの」


「あ、そうなんだ、それは確かにちょっと残念な気もするけど、でもこれを使うってことはそれなりに過去に行くってことなんだよな?」


「ええ、凡そ三十年前ね」


「三十年前? そこで誰に会うんだ?」


「若い雄猫があなたが来るのを待っているわ」


「え、俺を待ってる?」


「ええ、実は私もさっき会って来たのよ。一足先にね。私がタイムマシンで何処かから帰って来たこと気にならなかった? ただ単にシャッターに衝突していた訳ではないのよ」


 そう言えばそうだ、博士はいつも自転車でシャッターに激突していた。それはつまりタイムマシンを使っていたと言うことか。


「ちなみに、帰ってくる時は自動で帰って来られるわ。タイムリミットが来るとあなたはこの時間に引き寄せられて戻って来るから。そうね、三十年前だと過去に居られる時間は大体三十分くらいかしら」


「分かった。とにかくその間にそいつに会えばいいんだな。あ、でも会ってどうするんだ?」


「特別なことはしなくていいの、ただ話をするだけで」


「そっか、とにかく話を聞けば良いんだな」


「ええ。さあ虎太郎、最後に注意点を言うわ、よく聞いて」


「うん」


「腕の装置を絶対に無くさないこと。それが無くなるとこの時間に戻って来られなくなる」


「戻って来られないって、もしもそうなったらどうなるんだ?」


「悪くて消滅、良くて記憶喪失ね」


 内容の割に博士はさらりと言った。


「え、ちょっと、恐すぎない? 本当に過去に戻って大丈夫なのかよ?」


「ふふ、大丈夫よ。絶対にそうはならないことを知っているから。安心して」


 博士はそう言い切った。


「んー、……分かった。躊躇ったって今更だもんな」


 タイムリープならもう二回もしたし、それにこの期に及んで博士の言葉を疑ったってしょうがない。


「行くよ」


 虎太郎の言葉に博士は微笑んで頷いた。


「良し、それじゃあ始めるわよ」






 タイムマシンの最終調整が終わって、博士からのゴーサイン、それを見て虎太郎は自転車を漕ぎだした。


 ペダルの踏み込みと共に車輪がローラーの上で回り、徐々に回転数が上がっていく。機械音が虎太郎と自転車を中心に唸りを上げ部屋中に広がる。


「なろおおおおお……!」


 このマシンの大変さを経験している虎太郎は最初から全開でペダルを踏み込む力を少しも緩めることなく漕ぎ続けた。


 何故か頭に浮かんでくるのは莉子りこの悲しそうな笑顔。こんな時ぐらい忘れられたらよかったのに。


「くそおおおおお……!」


 だけどその顔を思い出すと自分の内側に怒りに似た感情が湧き上がってくる。その感情は莉子や智孝ともたかに向けたものでは無くて自分に対しての感情だ。『何で俺は……』『どうして俺は……』、この際だからそんな感情すら自転車を漕ぐ力に変える。


「おおおおお!」


 尻尾のリボンが煌めき、虎太郎が光に包まれ始めた。


「頑張って! もうちょっとよ!」


 博士の声にも気を散らすことなく一心不乱に漕ぎ続ける虎太郎。実際聞こえていたのかは分からない。彼は今それくらい必死だった。


「おおおおおあああああ!」


 ギュンギュンギュンと回るローラー、その回転数が最大を迎えた時、虎太郎は一際大きな光に包まれた。それは外から見ていると虎太郎自身が強く発光したかのようにさえ見えた。


 次の瞬間、虎太郎は自転車の上から姿を消した。


 後にはバランスを失い止まる自転車と、虎太郎が装着していたプロテクター各種。

 こうしてまた虎太郎は時のトンネルへと向かったのだった。


 彼を見送り、あとに残った博士は、晩夏の夕べのように静かになった研究室の中で、小さく呟いた。


「私をよろしくね、虎太郎」






 蝶に導かれ時のトンネルを抜けた先、虎太郎はまたいつものように自転車に乗っていた。しかしそのいつもが、いつもとは違うことにも直ぐに気が付いた。


 握っているハンドルがいつもの自分の緑色の自転車とは違う。サドルもペダルの感覚もだ。


 要するに虎太郎は全く知らない自転車に乗っていたのだ。だけどそれらのことよりも彼に違和感を与えたことがあった。

 凄い勢いでペダルを漕いでいるはずなのに目の前の風景が全く変化しない。

 あれ? あれ? と頭にいくつも疑問符が浮かぶもペダルを蹴る足は急には止められなかった。


「なあああああ……!?」


 虎太郎はしばらくそのままタイムトラベルの勢いのままに自転車を漕いでいた。


 主観的に見れば理解できない状況も客観的に見れば簡単に理解出来たりすることがある。今まさに彼もそんな状況だった。


 虎太郎はスタンドで後輪を浮かせ止まっている自転車に乗っていたのだ。後輪が浮いているのでいくら漕いでももちろん前には進まない。車体を揺らして車輪が回るだけだ。


 自転車は河原の土手に止められていて、辺りにはのどかな川沿いの景色が広がっている。向こうには田んぼも見える。

 時間は昼過ぎ、時を越える前と一緒だろうと思えた。

 そんな風景の中で虎太郎は普通じゃない様子で空回りする自転車をひたすら漕いでいた。


「なあああぁぁ……、はあ、はあ、はあ……」


 そんな客観的な状況も時間が経つことで虎太郎自身にも見えて来ていた。

 少し恥ずかしさを覚えた虎太郎は、何気なくペダルを漕ぐ力を緩めていって足を止めた。


「ここが、三十年前……?」


 誰に聞かせるわけでもないのに声を出す。


「本当に来た……」


 不意に声が聞こえて、心臓に何かをぶつけられたのかと思うくらい驚いた。

 そのせいで虎太郎はバランスを失い自転車ごと倒れそうになった。


「わ、危ない!」


 虎太郎に声をかけた人物が倒れそうになった自転車に駆け寄り支えてくれた。


「大丈夫ですか?」


「あ、ありがとう、ございます」


 何処かの学校の制服を着た男子学生だった。ひょろっと背が高く虎太郎には高校生くらいに見えた。


『若い雄猫があなたが来るのを待っているわ』


 博士の言葉を思い出した。


「あ、あんたが、俺を待ってるって言う奴か?」


「え? あ、えと、そうなのかな、あ、いえ、そうですたぶん」


 それから彼はモジモジとしながら付け加えるように言った。


「あ、あなたが猫の天使様……なんですよね」


 天使様。


「何それ」


 虎太郎は困惑した表情を浮かべた。

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