猫々サマータイムマシン 12

 家の手伝いと言うものはやってみると案外気持ちの良いものである。例えば掃除であれば単純に綺麗になっていくのがまず気持ちが良いし、それが自分も日常的に使うようなものであるなら猶更だろう。やってやったぞと言う達成感もある。大抵は普段はあまり気乗りのしない作業でもあるので、終わったあとの達成感はひとしおだったりする。それに加えて承認欲求なんてのも意外と満たされる。


「ありがとうね、助かるわ」


 そんな母親からの簡単なお礼の言葉だったりするのだが、普段叱られてばかりの身近な人に感謝されるってのも悪くない。


「ん」


 虎太郎こたろうは風呂場に顔を出した母、玲奈れいなに必要最小限の返事をすると、シャワーで浴槽の洗剤の泡を流し始めた。ちょうど風呂掃除を終えるところだった。


「ところで虎太郎、何か欲しいものでもあるの?」


 玲奈が言った。

 虎太郎は彼女の方を一瞥もしないで返事をする。


「別に無いけど」


 それから一拍置いて。


「それより他に何か無い?」


 そんな息子の反応に玲奈が聞き返す。


「何かって、お手伝い?」


「うん」


 玲奈は頭をかいた。


「んー、まあ、手伝ってくれるのはありがたいんだけどさあ」


 玲奈と話しながらも洗剤を流し終え、シャワーを戻す虎太郎。


「ああ、そうだ、草むしりするよ。庭の」


 彼はそう言いながら浴室を出て顔も見ないで玲奈の横を通り抜けようとした。


「待った待った、今は暑いから草むしりは駄目。それにコタ、あんたちょっと働き過ぎ」


 玲奈がそれを止めた。


「休憩休憩、休憩しなさい。夏休みなんだし働いてばっかりいないで、ほら、スイカ切ってあげるから」


 あまり休みたい気分ではなかったが、言われてみれば少々疲れも感じていた。

 確かに虎太郎は玲奈の言う通り働き通しだったのだ。床の掃除に始まり、トイレや水回りの掃除、洗濯や皿洗いもした。客観的に見てもそろそろ休憩するべき時だった。


「……分かった」


 少し不満気ではあったが、虎太郎は母親の言葉に従うことにした。






 キッチンのテーブルに着いて空を見上げる。夏の青空は窓の向こうにあって、涼しい部屋の中からそれを見ていると何処かよそよそしく感じた。同じ夏なのに。


「はい、スイカ」


 そう言って玲奈が持ってきたスイカは丸々一個を半分に切っただけのものだった。それが皿に乗っていてスプーンが添えられている。


「でかくね」


「切るのめんどくさくなっちゃって」


 それから自分の分も持ってきた玲奈はテーブルを挟んで虎太郎の向かいに座った。

 スイカを食べ初めて少しして彼女が聞いた。


「何かあった?」


「……別に」


 あのお祭りの日からここ数日、虎太郎はこんな状態が続いていたのだ。

 突然手伝いを申し出て張り切ってやっているかと思えば、今度は電池が切れたようにボーッとしていたり、ところが急にまた何かやることは無いかと聞いてみたり、と確かに彼にしては少し異常な状態だった。


 最初こそは玲奈も面白がったり有り難がったりしていたが、段々と心配する気持ちが強くなってきたようだった。


「別に、か。ま、良いけどね、健康なら。どこか体の調子が悪い訳じゃないんでしょ?」


「ん、それは大丈夫」


「そ、じゃ、良いよ」


 大丈夫なのは強がりではなく本当だった。本当に体の調子が悪かったりする訳ではないのだ。


 ただ、何もしないでいるとどうしても考えてしまうのだ。祭りの夜の莉子りこの告白のことを。莉子が智孝ともたかを好きと言ったことを。


 だけど虎太郎は自分がどうしてそればかりを考えてしまうのかも分からなかった。分からないまま悩んでしまって、結果何も出来なくなってしまうのだった。


 だから虎太郎はなるべくそのことを考えないようにするために、とにかく何か行動しようと思ったのだった。そして一番身近で出来るそれが家の手伝いだったのだ。少なくとも手伝いをしている間は余計なことを考えないでいられたのだ。


 玲奈は再びスイカに取り掛かった。

 虎太郎も止めていた手を動かし始める。


 スプーンでスイカをすくって口に運ぶ。元々が大きいせいか何口かそれを繰り返してもあまり減った感じがしなかった。

 しばらくして玲奈が再び口を開いた。


「虎太郎、あんたが何に悩んでいるかは分からないし、これ以上詮索するつもりも無いんだけどさ、そうだな、事情が分からないから具体的なことは言えないけど、未練を残すようなことだけはするんじゃないよ」


「未練?」


「失敗したり上手くいかなかったりは良いんだ、何かあったら助けてもやる。だけど、何もしないで、あとになってあの時ああしていれば良かったなんてことにはなるなよ。そう言う想いは最悪自分を腐らせる」


 そのあと玲奈は付け加えた。


「どんなに頑張っても、時間は戻らないからね」


 時間は、戻らない……。


「そか」


「あー、もちろんそれが人様に迷惑かけるようなことだったりするんなら、私は止めるけどね。ま、その点は我が息子を信じてるよ」


 母からのそんな言葉は少し照れくさかった。


「あんがと」


「いーえ。じゃ、食べ終わったら皿洗っといてね」


 そう言って玲奈は自分の皿を持って立ち上がった。


「あれ? 食べ終わったの?」


 虎太郎の問いに何処か不思議そうな顔を見せる玲奈。


「食べ終わったけど」


 ちなみに虎太郎のスイカはまだ半分も減っていない。


「食べるの早くね」


「そう? んー、ほら、スイカは飲み物って言うじゃない」


 言わない。


「ま、ゆっくり食べなよ。せっかくの夏休みなんだからさ」


 そう言って自分の分を片付けた玲奈は台所を出て行った。

 その背中を見送って虎太郎は小さく呟いた。


「せっかくの夏休み、か……」


 けれど虎太郎にとっては三回目の夏休みだ。

 スイカをまたすくって口に運ぶ。

 美味しい。だけど……。


「全然減らねえ」


 そんなスイカと同じだ。今回の夏休みは何故かちっとも減らない。今までよりもずと長く感じていた。

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