猫々サマータイムマシン 11

 石垣の上、三人は目の前で上がる花火を見上げていた。夜空一面を染める火花と胸を震わす振動、神社の裏にある広場で上げているので距離が近く、音も光も大きく迫力があった。


 莉子りこが真ん中で左右に智孝ともたか虎太郎こたろう。三人の横には焼きそばとたこ焼き、その他色々な空き容器、射的で貰った小さな猫人形三体が置かれている。


 三人は一通り祭りを見て回ったあと、花火を見るためこの場所に落ち着いたのだった。


 夜の闇の中、赤や緑、青や黄色とカラフルな光が三人を照らす。


「綺麗だね」


「そうだね」


 莉子の声に智孝が返事をする。


 地域の小さなお祭りだったけれど、確かに花火のクオリティは中々のものだった。


「……そう言うことか」


 虎太郎は手に持っていたうちわを見ながら小さく呟いた。祭で配っていたうちわだ。そこには協賛、製作協力、猫宮ねこみや研究所と書かれている。猫宮研究所、それは紛れもない博士の家のことだった。


 これまで知らなかったのだけれど、博士はどうやらこの祭りのスポンサーになっているようだ。しかも花火製作にも関わっているらしかった。


『うふ、大丈夫よ、そこのところは上手くやっているから』


 ご近所から苦情は来ないのかと言う質問に対して博士がいつか言っていた言葉を思い出した。


「ん、どうしたの?」


 うちわを見つめながら神妙な面持ちをしている虎太郎に気付いて、莉子が小首を傾げた。


「あ、いや、何でもない何でもない、なはは」


 虎太郎は笑って誤魔化した。


 花火がまた打ち上がる。今度は何発も連続して上がった。夜空に朝顔やひまわりのような花火が連続して花開く。続いて何やら文字を型取った花火。その文字はあちこち回転していたけれど、どうやら『Lab.NEKO』と描かれているらしいことは判別できた。そして最後に少々派手目なピンク色のハートマークの花火。しかしハートマークは完全に逆向きになってしまっていた。


「ん、何今の、なんて書いてあったんだろ」


「何だろ? 最後のは、ハートかな?」


 莉子と智孝が笑いながら言ったのを隣で聞いていて、虎太郎は何だか恥ずかしさを覚えていた。


(ハートとかやめろよな……)


 虎太郎にとって博士は身内感覚なのだった。






 それからしばらくして、続く打ち上げ花火を見ている時、不意に莉子が口にする。


「また来年もさ、三人一緒に花火見れるといいね」


 花火が夜空に消えても莉子は視線をそちらに向けたままだ。


「うん」


 同じ空を見て智孝が頷く。


「まあ、そだな、でもお前らが……」


 真面目な雰囲気に少し照れて、適当なことを言って茶化そうとした虎太郎は、返事をすると同時に二人の方を向いた。彼の視界に莉子の横顔が入る。


 その時、一際大きな花火が上がった。


「わあ!」


 歓声を上げる莉子の顔にまるで花火を映したかのような笑顔が広がる。


 瞬間、時が止まった気がした。


 急に訪れた一瞬。莉子の瞳の中で輝く花火。それが辺り一面に広がって、いつの間にか虎太郎は屋台の並ぶ参道に居た。あちこちに花火の欠片が浮かんでいて小さな星のように輝いている。誰もかれもが止まっていて音も聞こえない。動けるのは虎太郎だけだ。彼はその中を歩いて行く。導かれるように足が向かうのは花火を見ていたはずの石垣の方。やがてそこに夜空を見上げ座っている莉子の姿が見え、彼女は近付く虎太郎に気が付くと彼の方を向いて、夜空に大きく花開いたままの花火を背に、優しく微笑んだ。


 突然、虎太郎は胸が締め付けられるような感覚を覚える。


「今の花火凄かったね」


 莉子のその声を合図に虎太郎の中で止まっていた時が動き出した。彼の感覚がイメージの中から目の前の現実に戻って来た。


「え、あ、うん、そ、そだな」


 何故かしどろもどろな虎太郎に莉子は訝しげに言う。


「ねえ、ちゃんと見てた?」


「え、み、見てねーよ」


「見てなかったの? 花火。奇麗だったのに」


「花火? あ、いや、見てた、見てた見てた。あは、あはは」


 虎太郎は最初、莉子のことを見てたかどうか聞かれたと思ったのだった。


 虎太郎の反応に莉子は眉根を寄せた。上手く誤魔化せなかったみたいでしっかりと変な印象を与えたようだった。


 莉子は隣の智孝に言った。


「やっぱり今日の虎太郎、何か変だよ」


「うん、そうだね……」


 智孝は莉子に相槌を打つと、一人真剣な表情になって虎太郎の顔を見た。

 しかし虎太郎はそんな彼の視線には気が付いていなかった。自分自身の知らない胸の苦しさと不思議と高鳴ったままの鼓動に戸惑い、いっぱいいっぱいになっていたのだった。






 花火が終わった後の帰り道。一人方向の違う智孝と別れ、虎太郎と莉子は二人で夜道を歩いていた。


 浴衣姿の莉子の歩幅に合わせ隣でゆっくりと歩く虎太郎。来る時に乗って来た自転車を回収したのでそれも押しながら。


 しばらく歩くと人通りも疎らになった。さっきまでお祭りの賑わいの中に居たせいか、夏の夜の静けさがいつもよりも寂しく感じる。


「あーあ、明日も夏期講習か」


 何処か投げやりに莉子が言った。


「お前ら本当に良く勉強するよな」


 虎太郎が返す。


「えー、虎太郎もしなよ。やれば出来るんだし。それに勉強も出来るようになると意外と楽しいんじゃない?」


「楽しいって言ってもなあ……、でも莉子も夏期講習は嫌なんだろ?」


「別に嫌じゃないよ。ただ夏期講習があると去年みたいに三人で遊べないなあって」


「んー、じゃあ、休んじゃえばいいじゃん?」


「そう言うわけには行かないでしょ。もう。あ、じゃあさ、逆転の発想。虎太郎が勉強するってどう? 夏期講習申し込んでさ」


「うぇー、いやぁ、それはなあ」


「今度さ塾で合宿があるんだよね」


「合宿? ……って勉強の?」


「そ」


「げえ、お前らそんなことまでしてたのかよ」


「え?」


 おっと、この夏休みだと合宿はまだ行ってないか。


「いや、そんなことまですんのかよって。俺は合宿にまで行って勉強したくねーよ」


「そっか。じゃあ今年はやっぱりあんまり三人で会えないかもね」


 莉子のしょげた感じの言い方を聞いて虎太郎はフォローするように言った。


「んん、あ、あれだ、図書館くらいなら付き合ってやらんでもない」


「え? 虎太郎が図書館?」


 それを聞いてクスクスと笑う莉子。


「お、俺だって図書館ぐらい行くって」


 一応実績もあるし。


「あはは、ごめん、そうだよね。じゃあ、今度会うのは図書館かな」


「まあな、気が向いたらな」


 前回のことを考えると正直気乗りはしない。けれど今回の夏休みだとまだ宿題は終わっていないから実際図書館に行くのはありかも知れない。二人にも会えるわけだし。


 そこで一旦会話が途切れた。

 耳に届く二人の足音と自転車を押す音。静かな夜だった。


 少しして夜の静けさの上にそっと乗せるように莉子が言った。


「来年も三人で一緒に居られたらいいね」


「何だよ、別に大丈夫だろ、何にも変わんねえよ」


「うん、でも、智孝、別の学校に行っちゃうじゃん」


「ん、ああ、まあ、な」


 智孝は虎太郎と莉子とは別の学校に進学する。

 三人の小学校は学区の関係で進学する際に半分ずつ別の中学校に振り分けられる。その影響で智孝だけが別の中学校になるのだ。


「別の学校になったら、そっちで新しい友達が出来たりしてさ、それは悪いことじゃないんだけど、そっちの方が楽しくなっちゃって、私たちのことなんか忘れちゃったりして」


「智孝はそんなやつじゃないだろ」


「でも……」


 言い淀んだ莉子は、そのあと小さな声で言った。


「彼女とか出来るかも知れないし」


 虎太郎の方を見ないで少し俯く莉子。


「あ……」


 虎太郎の口から声が漏れた。

 気が付いたのだ。その時になって初めて。莉子の気持ちに。莉子の智孝に対する気持ちに。一番最初の夏休みに知った、だから知っているはずだった。知っているはずだったのに、どうしてか今になってそのことが初めて理解出来たのだった。


 虎太郎は内心狼狽えて思わず口を滑らせた。


「大丈夫だって、だってお前らは……」


 智孝と莉子は付き合い始めるはずだったから。


「え?」


 今日のお祭りがきっかけで本当はそうなるはずだったから。


「あ、いや、ほら、智孝は、その、莉子のことが……」


 最後の方は莉子に届いているのかも分からない程の小声になっていた。


「智孝が、どうしたの?」


「な、何でもない」


 二人は再び静けさに包まれた。


 会話もなくまたしばらく歩いたあと、


「ねえ虎太郎」


 と莉子が口を開いた。

 彼女の方を向いた虎太郎、上手く声が出せなくて、それが返事のようになった。

 莉子は虎太郎の顔を一度見ると、視線を外して、そして言った。


「私、智孝のことが好きなんだ」


 阻止したはずの告白を、本当は智孝にするはずの告白を、莉子は虎太郎にしたのだった。

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