猫々サマータイムマシン 10

 山陰に沈んだ陽が淡い青空を照らし、橙色の中、風に散らされた雲がピンクに燃えている。穏やかに吹く風は昼間の暑さを幾分さらって、影の中で揺れる木々の間からはもう蝉の声は聞こえない。けれど夕暮れに静けさはなく、代わりに人々の賑わいがこの場所を満たしていた。


 普段は何の変哲もない田舎の神社の参道に今夜は所狭しと出店が並んでいる。


 夏祭りだ。


 陽が落ち人出は増え、集う人々は皆どこか楽しげな表情をしている。

 それは告白の阻止と言う邪な計画のために来た虎太郎こたろうも例外ではなく、彼自身もまた非日常の雰囲気に当てられて思わず心が弾むのを感じていた。


(そう言えばお祭って久々だな)


 通算三回目の夏休み。最初の夏休みでも祭りには行かなかったので、最後に行ってからはかれこれ一年と夏休み二回分。


 今、虎太郎は神社の入り口の前で智孝ともたかが来るのを待っていた。作戦を成功させるために早めに到着していたのだが退屈はしなかった。この場所に居るだけでなんだか楽しかったのだ。


「虎太郎」


 程なくして待ち合わせ時間の五分前、智孝がやって来た。約束の時間の少し前に来るあたりやっぱり真面目だ。


「よ、智孝。……あれ? 莉子りこは?」


 莉子ともここで待ち合わせをしている。てっきり二人一緒に来るものだと思っていた。


「一応聞いたんだけど、少し遅れるかもしれないから先に行って虎太郎に伝えておいてって」


「ふーん、そか」


 莉子が待ち合わせ時間に遅れるなんて珍しいこともあるもんだ。まあ別に、時間はあるし特に問題はないけれど。


 そのあと虎太郎は何気なく言った。


「智孝、今日は誘ってくれてありがとうな」


「え、何急に」


 実はこれは告白阻止の件とは別に、虎太郎の素直な気持ちであった。


 今回分かったことだったけれど、初めから智孝は虎太郎のことを蔑ろになんかしていなかった。寧ろ虎太郎の方がいい加減すぎただけだった。だから、三回も誘ってくれてありがとう。そして二回も断ってごめん。軽い感じで言った虎太郎ではあったが言葉の裏にはそんな気持ちがあった。


 ちなみに素直に言えたのは祭りの雰囲気のおかげだ。心が高揚していたから、邪悪な虎太郎が顔を潜め、少しポジティブになっていたのだ。


「べ、別に深い意味はねーよ」


 でも結局少し照れた。

 すると今度は智孝が言った。


「あのさ、さっきも電話で言ったけど、やっぱりごめんね。その、昼間遊べなくて」


「え、あ、ああ、いいよ」


「実は莉子とも話してたんだけどさ、今年の夏休みは虎太郎とあんまり遊べないかも知れないねって。俺も莉子も塾で夏期講習があるし。それでそのお詫びも兼ねてってことで三人でお祭りに行こうって話になったんだよ」


 初耳だった。

 とは言え、それもそうかと思う。三回目の夏休みだけれど、祭りに来るのは初めてなのだから。


「塾の帰りにお祭りのお知らせを見つけてさ、今日これからなら行けるねってなって」


「へー、そっか」


 聞いていて虎太郎は思った。


 あれ、なんか、なんか……。なんか結局二人ともいいやつじゃん。


 それまで虎太郎は、どこか自分だけ仲間外れにされているような感覚を覚えていた。誘いを断ってきたり、智孝と莉子の二人だけで夏祭りに行ったり、図書館で勉強したり、自分のことなんか少しも考えてくれていないのかと思っていた。ところがだ、本当のところは全然違った。二人は自分のことをちゃんと考えてくれていた。実際一緒に勉強しようと誘ってくれてもいたし。むしろ自分こそが、自分の行動こそが二人と距離を作ってしまっていたのだ。


 虎太郎はやっと己の愚かさが身に染みた。


「智孝、ごめんな」


「え? 何?」


「いや何でもない」


 つまり二人が付き合い始めたのだって結局は自分が二人からの誘いを断ったせいだったのだ。自分の付き合いが悪かったからこそ二人は付き合い始めたのだ。

 智孝の話を聞いて、虎太郎はそんな風にも考えたのだった。


(何だよ、俺がしっかりしてれば良かっただけの話じゃんか)


 安心した虎太郎は、さっきよりもずっとお祭りが楽しく思えてきていた。


「なあ、祭り、エンジョイしようぜ!」


「え、あ、ああ、うん」


 虎太郎の妙なテンションの起伏に少し驚きながらも智孝は笑顔で頷いた。


 その時花火が上がった。まだ僅かに明るさの残る空に向かって数回、運動会の朝に上げる合図のような花火だった。


「花火?」


「あ、今日花火大会もあるんだって。その合図だと思う」


「ほえー、そうなんだ」


 二人が空に浮かんだ煙を目で追っていると知っている声が二人の名前を呼んだ。


「虎太郎、智孝」


 二人がちょうど声のした方を向いた時だった。参道に沿って連なるように架けられている提灯に明かり灯った。薄闇を祓うような柔らかい光が祭りの会場を彩る。


「わっ。凄い、タイミング良いね」


 莉子が神社の方を見ながら笑顔を浮かべている。


 その横顔に虎太郎は視線を奪われた。そしてそれは智孝も同じだった。


 莉子は浴衣姿だ。白い生地に鮮やかな朝顔が咲いている。手には小さな巾着を提げ、メイクをしているのか雰囲気もいつもとは違う。それに夕暮れ時に提灯の明かりに照らされて立つ、そんな莉子の姿はいつもよりもずっと大人びていて綺麗だった。


「ね、どうかな?」


 二人の視線に気が付いた莉子が聞いた。


「え、あ……」


 虎太郎は上手く言葉が出て来なかった。


「う、うん、いつもより大人っぽくて、綺麗、だと思う」


 ぎこちなくも智孝が言う。


「……ありがとう」


 莉子は照れたように少し俯いて微笑んだ。


「あ、あ、あのさっ」


 虎太郎は咄嗟に声を出した。

 二人の間の雰囲気と何も言えなかった自分に対して何故か焦ったのだ。


「きょ、今日は誘ってくれてありがとな」


「え? どうしたの虎太郎? そんなこと言って、珍しい」


 莉子が驚く。


「そうなんだよ。さっき俺も言われてさ」


 智孝が同意する。


「い、いいだろたまにはお礼を言ったって。それに夏休み中お前らに会えなくて本当につまんなかったんだから」


 二人がキョトンとした顔をした。


「夏休み中って、虎太郎」


 莉子。


「そうだよ、七月は何回か会ったし、それにまだ八月一日だよ」


 智孝。


「あ、あー、そっか、そうだよな、あは、あはは」


 タイムマシンに乗っていない二人からすれば全くその通りだ。


「ま、まあいいじゃん! そんな気持ちだったんだよ! だって今年は色々忙しいんだろ?」


「ん-まあ、そうだけど」


 智孝がなんか納得できないといった様子で頷いた。


「だったら、今日くらいは三人で祭りをエンジョイしようぜ! ってことだ」


 虎太郎は強引に仕切り直した。


「なーんか変」


「そうなんだよ」


 怪しむ莉子と智孝。


「ほ、ほら、行こうぜ。行こう。祭りが俺たちを待ってるぜ!」


 これ以上ボロを出す前にと歩き出す虎太郎。

 智孝と莉子の二人は一度顔を見合わせて首を傾げるも、まあいいかと、それ以上追求はせずそんな虎太郎のあとに続いた。

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