猫々サマータイムマシン 8

 図書館からの帰り、虎太郎こたろうは混乱したまま博士の家に向かった。


 結果は分かっているが、玄関で一応インターフォンを押してみる、しかし案の定応答は無い。


 トボトボと歩いてガレージのシャッターの前へ。タイムマシンで戻って来た時のようにまたガンガンと叩こうと思っていたけれど、いざ目の前に来ると何故かその気力は湧いてこなかった。


 結局、虎太郎はシャッターを背にその場に座り込んだ。


 目に入る外の景色はいつの間にか夕暮れのものへと変わっていた。薄い青空が朱色に染まる。落ちる陽に焦るように蝉が鳴いている。


『へー、いつから?』


 あのあと虎太郎は内心動揺しながらも平静を装い聞いた。


『八月最初の夏祭りの時に』


 智孝ともたかはそんな風に答えた。


『へー』


 そのあとはすぐに莉子りこが戻って来て、三人でもう少しだけ話をして解散となった。

 虎太郎は図書館での最後はもうずっと上の空だった。何とか二人に動揺していることが悟られないように出来たのは良くやったものだ。だってそれから今までずっとその状態が続いていたのだから。


 虎太郎は自分でもどうしてこんなに動揺してしまっているのか良く分かっていなかった。


 頭の中ではグルグルと考えが巡る。


 付き合い始めたって何だ? また阻止できなかったじゃんか。でもどうしてこんなにショックを受けてんだ? 失敗したから? 何で? あれ? そもそも何のために夏休みに戻って来たんだっけ? これじゃあ前と一緒じゃん。でも、だけど、どうすればいいんだっけ。


 もちろん答えは出ない。まるで自分の尻尾を追いかけているみたいだ。


 その時、声をかけられた。


「あら、虎太郎じゃない、何してるの、こんなところで?」


 顔を上げると博士が立っていた。手には買い物袋を提げている。


「何だよ、買い物行ってたのかよ」


「そうよ、悪い?」


 丸々膨らんだ袋、中身の縞模様が透けている。


「スイカ。半分こ、する?」


 スイカは好きだったけれど今の気持ち的に素直に食べたいとは言えなかった。


「……なあ、博士、俺何で戻って来たんだ?」


「何でって……、ああ、タイムリープのことね。それは、夏休みをエンジョイするためなんじゃなかったかしら?」


「それは、そうなんだけど……」


「あら? もしかして分からなくなっちゃったの?」


「何て言うか、何か、上手く行かなくて、あんまり楽しくなくて」


「あらあら、そんなのまたやり直せば良いじゃない? だってタイムマシンがあるんだから」


「またやり直す?」


 そんな考えは虎太郎の中には無かった。


「そうよー。だってあなた今何回目? まだ夏休み二回目じゃないの? そんなの序の口よ」


「序の口」


 だけど言われてみればその通りだと思った。


「失敗したって当たり前、それに上手く行かないことがあったらまたやり直せばいいの。何度でもね」


 だってタイムマシンがあるのだから。


「……そっか。そう、だよな」


 疲れていたせいもあるのだろうが、虎太郎は考えるのを止めた。そして一番簡単そうな答えに縋った。


「うん、やり直そう、また。こんな訳の分からないことにならないように。やり直してとにかく全部無かったことにすればいいんだ」


 そうとなればと意気込んで彼は博士に聞いた。


「なあ博士、タイムマシンは」


「あら駄目よ。だってまだ完成してないもの」


「あ、そっか……」


 そう言えばそうだ、完成は九月一日なのだ。


「でも順調よ、予定通り完成すると思うわ」


「そっか、じゃあ……」


「そうね、とりあえず残りの夏休みをエンジョイしたらどうかしら」


「残りの夏休みを……。そうだよな、そうだ、良し! そうする!」


 虎太郎は立ち上がった。耳も尻尾も元気を取り戻していた。単純なのが彼の取り柄だ。


「博士ありがとう!」


 そして自分の家に向け走り出した。


 その背に向かって博士が呟く。


「虎太郎、頑張んなさい」


 しかし虎太郎の耳にその声は届いていなかった。


「そうだった、やり直せばいいんだった。そっかそっか。よしよし。それで解決だ。そうとなったら、とりあえずあいつらのことなんかほっといて残りの夏休みをエンジョイするぜー!」


 その日、考えることを放棄した虎太郎は、結局残りの夏休みも無為に過ごすのだった。






 再びの九月一日。


 この日はこれが二回目の九月一日だと言うのに虎太郎の身には前回と同じようなことばかりが起こった。その一番の理由は、しっかりやったはずの宿題をまるまる家に忘れて来たからだった。完全に人よりも長い夏休みによる副作用が虎太郎に生じていた。要するに夏休み大ボケである。


 机に突っ伏している虎太郎の元に智孝と莉子がやって来て、宿題のことを言うとやっぱり驚かれた。


「せっかく一緒に頑張ったのに」


 そう言う莉子と、頷く智孝に、内心悔しくもあり情けなくもあり、お前らのせいでもあるんだぞなんて勝手に思ったりもして、拗ねた虎太郎は口を尖らせて黙り込んだ。


 それから放課後にはまた山根先生に呼び出されて、一頻り似たような説教を受けた。


「随分長い夏休みだな」


 近くに居た獅子丸先生の言葉に前と同じように答える。


「はい! まだ夏休みです(何故ならタイムマシンで戻るから)!」


「元気で結構!」


 相変わらず獅子丸先生は豪快に笑って山根先生の肩を叩いた。一瞬二回も叩かれて大丈夫なのかと思ったが、先生たちにとってはこれが一回目だった。


 さらにそのあとの下校途中には、会話の中でだが改めて智孝と莉子の二人から付き合い始めたとの報告をされた。

 虎太郎は若干神妙な面持ちにはなったものの、今回はそんなにショックは受けなかった。何故なら今日タイムマシンで戻ることを決めていたからだ。


「ふん、今に見てろよ」


 虎太郎は二人と別れて夏の名残の中を一人走った。

 そして家に荷物だけ置いてすぐに博士の元に向かった。


 博士は居なかった。前回と比べ早く来過ぎたのだ。だけど虎太郎はこのあと博士がシャッターに衝突することを知っている。


 虎太郎はシャッターの前でその時を待った。暑くても蚊が飛んできても構わない。


 やがてその時がやって来た。


 稲光ような強い光のあと、内側からシャッターに自転車に乗った博士が衝突した。相変わらず凄い音だった。間近にいて改めてとんでもない勢いで衝突したのだと分かった。


「博士ー!」


 だけど虎太郎はすぐさま博士を呼んだ。驚いている場合ではない。


 程なくして煙の中から「やだっ! もう、何これ!? すっごい!」などとぼやきながら姿を現した博士。


「あら、やっぱり来たわね」


 虎太郎の姿を見てそう言った。






 八月一日。


「なあああああああ!」


 田園風景の中、緑の自転車が疾走する。


「なあろお、くそおおお!」


 虎太郎はこれから田んぼに突っ込むことを知っている、だからとにかく遮二無二急ブレーキをかけた。


 そのおかげで自転車はギリギリ田んぼの手前で止まった。が、急停車した自転車は勢いよく虎太郎を放り出した。


 宙を舞う虎太郎。


「うわあああ!」


 何とか体を捻って上手いこと着地しようとするも、そもそも下は田んぼ。


 こうして虎太郎は今度はアクロバティックに泥の中に突っ込んだのだった。


 しばらくして顔についた泥を拭って虎太郎は仰向けに寝転んだ。

 そこには前も見た夏の空が広がっていた。


「戻って来たぞ」


 虎太郎の三回目の夏休みが始まる。

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