猫々サマータイムマシン 7
木漏れ日の中、目の前の大きな建造物を
緑に囲まれた敷地の中に武骨なコンクリート造りの建物が立っている。大きな木が多いからか蝉の声が降り注いで来るようでうるさいくらいだった。
「ここか」
虎太郎がやって来たのは町の図書館だった。
敷地内はキチンと整備されていて、人の出入りもそこそこあり、近くに商店もある。ここが利用者に重宝されているであろうことが見て取れた。
なるほど学生が暑い中わざわざ勉強しに来るのも頷ける。もちろん虎太郎は図書館に来るのは初めてだったけれど。
「んん、何か少し緊張するな」
母に借りたトートバックを持つ手が汗ばんでいるのを感じる。と言ってもそれは夏の暑さが主な原因であるとは思うが。
あのあと虎太郎は
そこで虎太郎は二人に会うために、宿題を教えて欲しいと言う理由をでっちあげて、二人に了承を貰いこの場にやって来たのだった。
だからトートバックの中身は一応、筆記用具と宿題一式だ。だけど虎太郎の頭の中には宿題をやると言うプランは無い。考えていることは一つ、二人が付き合い始めるのを阻止すること。それだけだった。
「よし、行くぞ」
一人場違いな目的のため意気込んだあと、虎太郎は図書館の中に踏み込んで行った。
館内は涼しく静かで、独特な本の匂いと雰囲気に満たされている。ここも夏なのに別世界に来たようだった。
利用者は沢山いるようで用意されている机はあらかた埋まっている。書架の間でも大抵誰かが本を物色していた。
虎太郎は図書館が少し嫌いだ。人が沢山居るのに、皆静かにしていると言う特殊な空間に緊張感を覚えてしまうのだ。それに、以前学校の図書室で遊んでいて怒られた経験もあり、そのせいで苦手意識もあるのだろう。
自然と息を殺し少々こわばった表情で図書館の中を移動し二階に向かう。二人は、そこにある自習スペースに居ると言っていた。
二階は凡そ半分が書架でもう半分が自習スペースになっているようだった。
自習スペースは一人用の机のエリアと、数人で座れる長机のエリアがあり、凡そスペースいっぱいに机が置かれていて、利用者の多さをうかがわせた。
実際どの机にも人が居て混み合っている。けれどここもまるでテスト中のように静かだ。聞こえて来るのは紙を捲る音とペンで何かを書く音くらい。時折囁くような声で喋っている人達も居たが、その内容は勉強に関する内容であろうことは言わずもがなと言った感じだった。
(う、うわあ……)
自習スペースの入り口で圧倒されて突っ立っていると、奥の方で誰かが手を上げた。見知ったその姿は莉子のものだった。長机に座っていて、隣には智孝もいる。
彼女は背筋を伸ばしこちらに向かって手を振った。声を出しはしないが、その口が虎太郎の名前を呼ぶように動いた。目が合うと智孝も小さく手を振ってくれた。
素直に嬉しかった。久しぶりの友達二人の顔が輝いて見えた。
「おっ……!」
おーい! 莉子、智孝ー!
何かそんな風に、まるで砂浜を駆けながら大きな声で仲間を呼ぶように、自然と声を出しそうになった。けれど、ギリギリのところで踏み止まった。近くの人が数人きつい視線で虎太郎の方を見たのだ。それはそれは凄い反応の速さで。
(んぐ……!)
危ない所だった。
虎太郎は苦笑いをするように誤魔化して笑い、改めて小さく手を上げ二人の所へ急いだ。
二人は長机の席を一つ虎太郎用にキープしてくれていた。
その席に座って小さな声で話しかける。
「よう、久しぶり」
「うん、久しぶり」
「久しぶりー」
智孝と莉子が同時に返事をして、それから莉子が続けた。
「まさか虎太郎が自分から図書館に来るなんて言うと思わなかったよ」
それに対して智孝が相槌を打つ。
「そうだね」
「いや、まあ、ね、俺もそろそろ真面目に勉強しなくちゃなと思ってさ」
本当はそんなことこれっぽっちも思っていなかったがここは合わせる。
智孝と莉子はそんな虎太郎の言葉に顔を見合わせ可笑しそうに笑った。
「本当に? 偉いじゃん」
と莉子。
「虎太郎もいろいろ考えてるんだね」
と智孝。
「ふふん、まあな」
何故かちょっと得意げな虎太郎であった。
そのあと智孝が仕切りなおすように言った。
「じゃあ、続きやろっか」
「うん」
「え?」
早々に会話を切り上げた智孝と簡単にそれに同意した莉子に、虎太郎が小さく驚きの声を出す。
そんな彼に智孝が加えて言う。
「虎太郎も分からないところあったら遠慮なく聞いてね」
「え、あ……」
何でもないところで変な反応を示した虎太郎の顔を、ん? と二人が見る。
「あ、ああ、いや、うん、何でもない、しようしよう、勉強しよう、うん」
虎太郎はこの時やっとしまったと思った。そう言えば今いる場所は図書館だ。しかも自習室。自分からここに来てしまっている時点でもう勉強するしかないではないか。しかも二人の手前逃げ出すことも出来ない。
実は虎太郎、二人が付き合い始めるのを阻止しようと思っていながら、とりあえず二人と会うと言うところまでしか考えていなかった。
(くそう、仕方ない。こうなったらやるしかないか。それにもう目的は達成したようなもんだしな)
しかし彼は存外満足していた。これでもう二人が付き合い始めるのを阻止出来た気になっていたのだ。つまり結局あまり深く考えてはいなかったのだった。
「よーし、勉強だー」
抑揚のない声で言って、虎太郎は渋々テキストを取り出しそのページを捲った。
数時間後。図書館のロビー。ここは休憩できるようになっていてお喋りも大丈夫な空間だ。虎太郎はここのベンチでへたり込んでいた。
「にゃは、にゃはは、やってやったぜ……。にゃははは……」
完全に燃え尽きていた。
「おーい、大丈夫かー?」
虎太郎の正面で莉子がしゃがんで彼の顔をつついた。しかし反応は無い。
「あー、駄目ですねこれは」
そう言って莉子が笑う。
「でも凄いよ、ちゃんとテキストの宿題終わらせたんだから」
虎太郎の隣に座る智孝が莉子に言った。
「うん、だよね。あの勉強嫌いの虎太郎が良くやったよ。よし、それじゃあ、ご褒美に私が何か飲み物を奢ってあげよう。智孝も何かいる?」
「いいの? じゃあ、うーん、麦茶をお願いしようかな」
「おっけー」
「ありがとう」
智孝のお礼に手を振って、莉子は一人自販機に向かった。
あとに残された虎太郎と智孝。
莉子の姿が見えなくなってから智孝が口を開く。
「やっぱり虎太郎って凄いよね、一日で宿題終わらせちゃうんだから。勉強だってやればできちゃうんだもん。莉子がさ、虎太郎のことだから夏休み終わってもまだ宿題終わってないなんて言うんじゃないかって心配してたんだよ」
「お前な、いくらなんでもそれは……」
上体を起こしつつ返事をするも、身に覚えがあるのでそれ以上は何も言えない。
「虎太郎は夏休み何してたの?」
「ん、うーんまあ、色々? てかまだ夏休みじゃん」
本当はもう一回終わっているけれど。
「ああ、そうだね」
そう返事をして智孝は笑った。
「今年は虎太郎とあんまり遊べなかったなー」
「まあ、しょうがないんじゃね? 塾の勉強とか忙しいんだろ?」
「うーん、まあね。それに虎太郎とはタイミングも合わなかったよね」
たぶん八月一日のことだろう。
「本当はもっと一緒に勉強したり出来たらって思ってたんだけどさ、色々あって、何か連絡出来なくて。だから今日虎太郎から連絡くれて嬉しかったよ」
「あー、そ、そっか」
悪い気はしなかった。
「また一緒に勉強する?」
「んー、それはまあ、そうだな、考えとくよ」
「あはは、よろしく」
ロビーは静かだった。虎太郎たちの他にはほとんど人も居ない。閉館時間も近付いていると言うこともあって時折退館する人が通過するくらいだ。
ガラス張りの壁の向こうでは夏の影が揺れている。
二人、会話が途切れて少し黙ったあと、智孝が不意にもう一度口を開いた。
「あのさ、虎太郎」
「ん?」
虎太郎も何気なく返事をした。疲れていたせいもあってもう本当に何も考えていなかった。
「俺、莉子と付き合い始めたんだ」
「……え?」
無防備な心のど真ん中を叩かれたような感覚だった。
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