猫々サマータイムマシン 2
時間は戻ることなく順当にカレンダーを捲った。
九月一日。
教室は長期休暇明け特有の賑わいで溢れていた。
日焼け自慢をする子。旅行の土産話をする子。劇的なイメチェンに成功した子。様々な夏の経験を持ち寄って終わってしまった夏休みに思いを馳せる。だけど皆、夏休みを惜しみつつも新しく始まった季節に期待を秘めたようなどこかキラキラとした表情をしていた。
しかしそんな中、その賑わいと輝きをどこか他人事のように見ている子がいた。
「なあああ……」
キジトラ猫の
彼は深い溜息を吐いて机に突っ伏した。ちょっとキラキラも敬遠してしまうような雰囲気を漂わせて。
「おいどうしたんだよ初日から」
「完全に死んでるね」
ピクリと耳がとらえた二つの声に虎太郎は器用に顔だけを向ける。
「ええ、気持ち悪っ」
「せめて体動かそうよ」
そこには良く知った友達の顔が二つ。
最近虎太郎より背が高くなった智孝と、元々虎太郎より背の高い莉子。こうして並んでいるのを見ると智孝の方が少し背が高くなっている。ちょっと前までは莉子が一番だったのに。ちなみに虎太郎は現状維持を絶賛継続中だ。
智孝成長したなあ……。去年は同じくらいだったのに……。
何も言わず横になったままぼんやりと二人を眺めていた虎太郎だったが、やがて何かを思い出したように起き上がった。
去年……。
「お前ら」
そうだ、去年は良かった。良かったんだ。それに比べて今年は……。
虎太郎にとってその理由は明白だった。
「お前ら何で全然居ないんだよ!」
今年の夏休み、虎太郎は二人に全然会えなかったのだ。夏休みの前半、七月中に少し遊んだのが最後、それからはどうにもタイミングが合わず結局そのまま夏休みを終えてしまったのだった。
去年の夏、三人は色々な所に一緒に行った。海へ山へ川へ、様々な場所へ冒険に繰り出した。虎太郎史上最高の夏、それが去年の夏だ。そしてその夏が最高の夏になったのはこの二人の友達の存在が大きかった。
だから虎太郎は今年もその夏をモデルに夏休みを過ごそうと思っていた。そして最高の夏を超える本当に最高の夏を過ごそうと思っていた。なのに、それなのに、蓋を開けてみれば二人と遊ぶどころか、ほとんど会えもしなかったのだ。
「あー、そう言われてもなあ。うーん、まあ、その、ごめん」
智孝が少し気まずそうに、それでも軽い感じで言った。
「でも私達も何回か虎太郎に連絡したんだよ」
莉子が言う通り確かに二人からの連絡はあった。しかしそのどれもがたまたま虎太郎にとって都合の悪い時だったのだ。まあその実態は観たいテレビがあるとか、好きなニャーチューバーの生配信があるとか、楽しみにしていたゲームの発売日だったとか、そんな感じのことだったのだけれど。
「タイミング悪いんだよ」
「それはお互い様でしょ」
と莉子。
お互い様と言われればそうなのだが、虎太郎にはもう一つ気になる点があった。
『私達も何回か虎太郎に連絡したんだよ』
『私達も……』
『私達……』
「お前ら二人だけでどっか行ったんだろ」
二人からすぐに返事が返ってこない。智孝と莉子がそれぞれ瞳を彷徨わせ不自然な間が空いた。
やっぱりな。
「あのさ虎太郎……」
智孝が何かを言おうとした。
しかし虎太郎はそれには気が付かず、それどころかさっきの間に我が意を得たりと言った感じでまくし立てた。
「やっぱりなやっぱりなやっぱりな! どうせ二人だけで夏休みを楽しんだんだろ! 俺のことなんかほったらかしでさ!」
虎太郎の言葉に智孝は何故か反論しなかった。その代わり莉子が対抗するように言った。
「しょうがないでしょ! 夏期講習とかもあったんだから! 一緒に勉強しようって誘っても断ったの虎太郎じゃない!」
これもまた確かにその通りだった。虎太郎は二人から図書館で一緒に勉強しようと誘われていた。
「何で夏休みに勉強しなくちゃいけないんだよ!」
「いや、少しはしなさいよ!」
六年生に進級する少し前からだっただろうか、智孝と莉子は塾に通い始めた。しかも二人とも同じ塾だ。
今年の夏も二人はその塾の夏期講習と宿題で忙しかったようで度々勉強が理由で虎太郎は誘いを断られていた。
「だから何で夏休みに勉強しなくちゃいけないんだよ!」
「二回も言うな!」
莉子はそう言うと少しだけ乱れた毛を整えた。
そう言えば莉子が変に見た目を気にするようになったのも塾に通うようになってからだった気がする。
ふん、気取りやがって。
「で、でも虎太郎も宿題はやったんだろ?」
智孝がその場を仕切り直すように言った。
虎太郎は自分に向けられたその問いに暫く沈黙したあとニヤリと笑った。
「宿題? ふふ、ふふふ……」
「え、え、何? え?」
不穏な気配に智孝が少し不安そうな表情を浮かべた。
「虎太郎、あんたまさか……」
不敵な笑みに莉子は何かを察したようだった。
そして恐らく彼女が察したであろうことと同じ答えを虎太郎は口に出した。
「まだ終わってない!」
その言葉に智孝は驚き、莉子は呆れたように溜め息を吐いた。
放課後。と言っても今日は始業式とホームルームだけなのでまだ昼前だ。
虎太郎は担任の
「はい! すみませんでした!」
「虎太郎、お前、返事だけは良いよなあ。それでいつまでにならやって来られるんだ?」
「えーと、そうですね、今度の三連休のあととか?」
山根先生が項垂れ頭を抱えた。隣に居た他のクラスの先生が微かに笑いながら言った。
「随分長い夏休みだな」
「はい! 心はまだ夏休みです!」
虎太郎がそう言うと今度はハッキリと笑い声が上がった。さっきの先生だった。その先生は席を立ち山根先生の肩をバシッと叩いて、
「元気で結構!」
と言って、それから虎太郎にも「頑張れよ」と笑いかけ職員室を出て行った。
「はー、格好いいっすね、あの先生」
体育会系のイケメンオジサンと言った感じの印象で、虎太郎の担任の山根先生とは正反対の印象だった。ちなみに山根先生は間違っても体育会系とは言われないような見た目で、強い風が吹けば飛ばされていってしまいそうな、マッチョなネズミに負けてしまいそうな、そんな線の細い人だった。まあ、優しくて良い先生ではあるのだけれど。
山根先生は叩かれた肩に手をあてさっきの先生の背中を見送りながら、
獅子丸先生は違う学年の先生なので、今まで虎太郎は直接関わったことはなかった。
山根先生は改めて虎太郎の方に体を向け言った。
「あのな、虎太郎、お前も来年は中学生なんだ。勉強もそうだが、物事に関してもう少し真面目に取り組まないと駄目だぞ。もちろん宿題はちゃんとやる。提出期限も守る。計画性を持って行動出来るようにならないとな。時間は無限じゃないんだ。うかうかしているとあっという間に過ぎて行ってしまう。心はまだ夏休みかも知れないが、今はもう九月、夏休みは終わったんだぞ」
夏休みは終わった。
「それは……、分かってますけど……」
分かっているけれど、そう言われても、心は本当にまだ夏休みのままだ。きっとそれは今年の夏休みが特に未消化な部分が大きいものになってしまったせいなのかも知れない。夏の色々なイベント然り、宿題然り。
それに来年は中学生だと言われても正直ピンと来ない。だって今はまだ小学生だ。
「来週までだ。来週の月曜日までにキチンと終わらせて提出すること。いいな?」
「はーい」
我ながら呑気な返事だった。まるで夏休みの気怠い午後みたいな。
「ちゃんとやって来るんだぞ」
「はーい」
「分かってるのか?」
「はーい」
山根先生は何とも手応えの無い虎太郎の反応を見て小さく溜め息を吐いた。
「じゃあ、まあ、帰って良いぞ」
「やった! じゃなかった、はい! 分かりました!」
急に元気になった虎太郎のその返事に山根先生はがっくりと肩を落とした。
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