サンダーボルト棘ネズミ 5

 針音はりねのメッセージが続く。


『あのおじさん昔刺太とげたが見せてくれた絵にそっくりなんだよ』


『子供の頃に』


『刺太が私に見せてくれた絵』


 絵?

 俺が描いた絵。

 昔針音に見せた。

 そんなの……。

 覚えてる訳……。


 気付けば眠気が訪れていて、鬱々とした気持ちを抱えていたせいか、それ以上深く考えたいとは思わなかった刺太はそのまま床で眠ってしまった。




 真夜中、眠りの中で棘太が夢として思い出したのは子供の頃の針音との他愛のないやり取りだった。




 教室の隅だったか何処だったかシチュエーションは定かじゃない。だけど俺は自慢気で。何故ならそれはクラスで大人気になった自分のキャラクターだったから。


「これ俺が描いたんだ、すげーだろ」

「何これ? 気持ち悪い絵」

「俺のオリジナルキャラクターだぜ」

「変なの」

「このまま行けば俺漫画家になれるかもな」

「ふーん漫画家になって何かいいことあるの?」

「あるよ、皆をもっと、ううん、それどころじゃない、沢山の人を絶対笑わせられる」

「へー、私は?」

「針音? そうだな、じゃあ俺が漫画家になって金持ちになったら結婚してあげてもいーぜ」

「本当?」

「ああ」

「じゃあ応援してあげる、頑張ってね、約束だよ」

「おっけー、約束な」


 その時針音に見せた紙に描かれていたのは――。




 飛び起きた刺太。電気が走ったように背中の毛は立ち上がり、目は見開かれ、小さくだが瞳には活力の光が再び灯っていた。


「今の、まさか……」


 すぐに棘太は押入れを漁り一番奥にしまいこんでいた段ボール箱を取り出した。実家から持って来たまま開けないでいた膝の上に載るほどの小さな段ボール箱だ。


 その箱の封を開ける。中から出てきたのは何冊もの使い古された教科書やノート。少し捲るとどれにも落書きや漫画が描かれていた。いつか何かのネタになるかもと取って置いた物だ。その中で一つ、確信を持って一つを選ぶ。


 取れかけたページに気を付けて選んだノートを捲る。

 そこにはぎっしりと落書きがしてあって、それは当時流行っていた漫画のイラストや学校の先生や友達の顔、はたまた何てことのない四コマ漫画で、どれもが下手くそでとても人に見せられたものじゃないが、迷いがなく力強く生き生きとしていて、見ていると自然と笑顔になってしまうような不思議な魅力を持っていた。


 ページを捲っていた棘太はノートの最後に挟まっていた一枚のルーズリーフを見つけた。四つ折りに畳んだボロボロの紙だ。

 その紙を手に取りゆっくりと開く。

 するとそこに出て来たのはおっさんそのままの気持ちの悪い絵だった。




『妖怪毛取りじじぃ』

 ハゲたハダカデバネズミのおっさん(なぜか一本だけ毛が残っている)

 毛をひろって集める

 毛を自由にあやつれる

 家事がうまい(とくに料理)

 カツラをみやぶれる




 真ん中に大きくおっさんの絵があり、周りに細かい設定がびっしりと書き込まれている。

 その絵を前にして刺太は思い出した。おっさんを描いた時の楽しさを、皆に喜んでもらえた嬉しさを、それが紛れもなく自分自身が創り出したキャラクターだと言うことを。


「おっさん……」


 その時突然部屋が大きく揺れた。


「地震!?」


 しかし地震の揺れとは少し違った。地響きと共にもう一度、それから二回、三回と、それも一定の間隔で揺れたのだ。まるで巨大な何かがゆっくりと歩いてこちらに向かって来ているように。


 訝しんだ刺太は窓を開けて外を見た。不思議と明るい夜だった。目を凝らすと夜の薄闇の中に巨大な黒いシルエットが動いているのがわかった。遠目に見てもその大きさは刺太のアパートを悠に超えている。そいつの動きに合わせて地響きが起こっているようだった。


「何だあれ……」


 部屋に吹き込んだ風が漫画の原稿を散らした。


「あれは行き場をなくして暴走した俺の姿だ」


 風の音に紛れて急に聞こえた知っている声に刺太は慌てて振り返った。


「おっさん!?」


 聞こえたのは確かにおっさんの声だった。しかし振り返ってみても部屋におっさんの姿はない。


「こっちだこっち」


 声は刺太の目線よりだいぶ下の方から聞こえて来ていた。

 刺太がそちらを見ると床に置いたルーズリーフの上に小っちゃいおっさんが胡坐をかいていた。ミニハダカデバネズミだ。


「よお」

「おっさん!」

「やっと俺を見つけたか、遅すぎんだよ」

「何で、こんな……」

「ああ? お前のせーだろ」

「え、あ、俺の……」

「はあ、ま、いいけどよ」

「ごめん、良くわかんなくて……、あ、それに、おっさん……、あのさ、ごめん、あんなこと言って」

「ああ、いいんだよ、どうせお前自身に帰ってくる言葉だ。痛みを一番感じているのはお前だろ? それよりだ、あいつをどうにかしなくちゃな」


 おっさんは窓の外を見た。


「え、あ、ああ、でもどうにかって、おっさんあれは」

「ああ、さっきも言ったが、あれは俺のもう一つの姿だ、お前が考えた毛取りじじぃの成れの果てだよ。縮んじまった俺とは逆に、負の感情が誇大化して暴走しているんだ。辺り構わず毛を吸い取りまくってる。あいつの歩いたあとには毛一本残っていない。それに今はまだ毛を吸い取る程度で済んでいるがそのうちあいつは物理的な力を持ち始める。触れる物全部壊し始めるぜ。このままだとお前の毛も引っこ抜いて丸裸にしちまうかもな。そうしたらお前はハダカハリネズミだ。いや、それだけじゃない、いずれお前の大切な人も傷つけることになるかも知れない。だからなんとしてもここで食止めなくちゃいけねえ」

「で、でもあんなでかいのどうやって」


 おっさんは不敵に笑った。


「俺がいるだろ」


 そう言うとおっさんはノートに視線を落とした。するとノートに描かれた絵が浮き上がりおっさんの肌に吸い込まれておっさんが一回りでかくなった。コビトハダカデバネズミだ。


「俺の力は毛だけじゃねえ。俺はお前の夢だ。一番無邪気でガキだった頃のな。だからお前の描く絵が俺の力になるんだ。お前が絵を描いた分だけ、イメージを膨らませた分だけ俺は強くなれる」

「俺の夢……」

「ああ、信じてる奴にだけ見えるダッセーお前の夢さ、やっと思い出したぜ。お前があんまりにもしょぼくれてるんで自分でも思い出せなくなっちまってたよ」

「ごめん」

「いいんだ。人間誰だってそんな時はある。それより今は」

「ああ、そうだよな。あいつを……。おっさん、ここにあるノートと原稿全部使ってくれ」

「そう来なくっちゃな、さあやってやるぜ、決戦だ。〆切デッドエンドはすぐそこだ!」




 夜の街、部屋にあるだけの絵を吸収しドデカハダカデバネズミになったおっさんは毛取りじじぃの前に立ち塞った。


「うはは、俺もでかくなったぜえ、お前の好きにはさせねーぞ」


 そんなおっさんに毛取りじじぃは威嚇をするように叫び声をあげた。全身に纏わりついている黒い毛が一瞬震え体表から離れたところで針のようにビンと伸び、隙間から僅かにハダカデバネズミの原型が見える。しかしすぐに毛が元に戻り毛むくじゃらに戻った。そのあとゆったりと背を伸ばしたじじぃは巨大化したおっさんよりもさらに大きくなっていた。


「ははは、これはちょっとやべーかな」


 瞬間、じじぃから鞭のように毛の触手が伸びおっさんの体を捕らえる。


「あらら、やる気満々みたいね。だったらこっちも! ほっ!」


 おっさんが気合いを入れると触手は鋭い刃物で切られたようにバラバラになって消滅した。

 いつの間にかおっさんが刀を手に持っていた。それは昔刺太が漫画の中で描いた刀だった。夜の闇に月の光を煌めかせ刀身が光る。カタナハダカデバネズミ。


「へへ、どーよ」


 しかし本体にダメージは無いようですぐさま次の毛が勢い良く伸びてくる。


「はいはい、だったらこれはどうですか!」


 そう言うとおっさんの正面に防弾シールドが現れ触手を防いだ。同時におっさんが構えたマシンガンの銃身がシールドの隙間から狙いを定める。ミリタリーハダカデバネズミ。


「おらよ!」


 轟音と共に無数の弾丸が触手を貫通しじじぃをも貫く。


「続きましてはこちらですよ!」


 マシンガンによって原型が無くなる程ボロボロになったじじぃに向かいおっさんが手をかざす。いつの間にかマシンガンとシールドは消えその手には包帯が巻かれていた。マジカルクロレキシハダカデバネズミ。


「俺の右腕に封印された闇の力が、えーと、何だっけ……、まあいいか!」


 すると突然、じじぃを爆炎が包み込んだ。


「いいんじゃないのお!」


 轟々とじじぃを燃やす炎が笑うおっさんを照らし街に巨大な影を伸ばした。




 棘太は窓からその戦いを呆然と見ていた。


「すげえ……、けどちょっと……」


 何となく恥ずかしかった。


「ま、まあとにかくこれもうおっさんの勝ちなんじゃ……」


 しかし次の瞬間棘太の見つめる先でじじぃが咆哮を上げ炎を散らして復活した。そしてさっき以上の黒い渦をその身に纏い始めた。良く見ると辺り一帯からじじぃに向かって黒い毛の塊が舞い上がっている。周囲の人はもう全て剥げてしまっているのかも知れない。


 棘太の耳におっさんが呟くのが聞こえた。


「うわぁ……、復活しちゃったよ……」


 頼りない声だ。

 一方じじぃは心なしかさっきより一回り大きくなっているようだった。ハダカデバネズミと言うよりかはもう完全に毛むくじゃらの化け物だ。


「おいおっさん大丈夫なんだよな!?」


 棘太の呼びかけにおっさんが首を捻る。


「いやあどうだろう」

「どうだろうっておっさん!」

「だってな、正直有効そうな攻撃はもう全部しちゃったと言うか、ほら、ネタ切れって言うかな」


 おっさんの力は棘太の漫画だ。


「あ……、ごめん……」

「まあなんとかやるさ気にすんな」

「おっさん」

「あ、でも、駄目だったら骨は海に撒いてくれると嬉しい」

「おっさん!?」


 棘太は焦って部屋を見渡した。


「くそ、何かないのか」


 しかし今まで描いた漫画の原稿はあらかた吸収済みだった。


「これ以上もう何も……」


 その時棘太はおっさんの言葉を思い出した。


『お前が絵を描いた分だけ、イメージを膨らませた分だけ俺は強くなれる』


「そうだ……」


 棘太は机に向かい、パソコンを起動する時間も惜しんで、原稿用紙に直接素早く絵を描いた。筋骨隆々なマッスルハダカデバネズミの絵だ。するとそれが紙の上から滑るように飛び立ち窓から部屋を出ておっさんに向かい飛んで行った。




 一方夜の街。

「お!」

 体が急に膨らみマッチョになったおっさん、振り返り棘太が机に向かっていることに気が付いた。

「そうか! よし棘太! もっと描け!」




「良し行ける!」

 マッチョになったおっさんを見届けると棘太は再び原稿用紙に向かった。

「何にもねーなら描いてやる」

 とにかく絵を、おっさんの力になるような絵を、新しい絵を。

 またじじぃの咆哮が聞こえた。

 迷っている時間はない。棘太は余計なことは考えないようにしながら一心不乱に描き始めた。その手元から次々に線が浮かびおっさんの元に飛んでいく。




「いいぜいいぜ棘太!」

 マッスルボディをさらにデカくしたおっさんがじじぃの元へ向かう。ゆっくり数歩近付いてから走り出し衝突するように組み合った。

 しかし未だじじぃの方がデカい。

「くそ! こんなに育ちやがって!」

 じりじりとおっさんは力負けをして次第にじじぃの黒い靄に飲み込まれそうになる。

「棘太! 足りねーぞ! もっと描けえ!」

 おっさんが叫んだ。




「分かってるよ!」

 棘太は原稿用紙に向かい必死に描いた。

「描いてやるよ!」

 脇目も振らず無我夢中で描いた。

「いくらだって描いてやるよおおお!」

 刺太の背中の毛針がビンと立ち、輝き、バチバチと音を立て始める。やがて線が手元だけからではなく棘太の体中から溢れ出した。




 棘太の描いた線を吸収したおっさんの体が輝き出し黒い靄ごとじじぃを弾き飛ばす。じじぃの目の前、そこに現れたのは金色ハダカデバネズミだった。


「いいねえ!」


 たじろいだじじぃがそこからさらに大きく後ろに飛び退る。しかしそれで終わる訳もなくまた雄たけびを上げた。すると次の瞬間、じじぃの体を覆う毛と周囲の全ての毛が巻きあがり重なり黒い津波のようになっておっさんに向かって襲い掛かった。

 黒い巨大な壁が迫る、けれどそれを前にしてもおっさんは少しも引かなかった、それどころか不敵に笑い呟いた。


「いいか棘太」


 その声が棘太に届いているかは分からない。棘太は今も夢中で絵を描いている。

 おっさんが強く口を閉じた。出っ歯が引っ込み頭の一本残った毛が直立し棘に変わり天に長く伸びる。ハダカ一本棘ネズミ。

 その時眼前に迫っていた毛の津波がおっさんを飲み込んだ。

 しかしその波間からおっさんの棘が変わらず天を差していた。

 おっさんの声が響く。


避雷針アンテナ伸ばせ!」


 それまで明るかった空に急に暗雲が立ち込めた。まるでおっさんが呼んだように。


アイデアつかまえろ!」


 急速に発達した雷雲が光り、おっさんの棘に向かい雷が落ちた。

 雷がおっさんの体中を走る。

 おっさんが笑う。


稲妻パッションぶちかませえ!」


 瞬間、おっさんの体からハリネズミのように幾つもの棘が生えた、そしておっさんを中心に辺り一帯に稲妻を撒き散らし輝きと共にじじぃ諸共全ての毛を一瞬にして燃やし尽くした。サンダーボルト刺ネズミ。


「おらあああああ!」


 放電を終えたおっさんは天を仰ぎ勝利の声を上げる。




 おっさんの声に棘太は手を止め窓の外を見た。

 いつの間にか明けた空が太陽を迎えハリネズミに似たおっさんのその姿を照らしていた。






 あれからおっさんには会っていない。あの決戦を最後におっさんは俺の前には現れていないのだ。正直に言えばあの夜のことは全部夢だったんじゃないかとも思っている。それでも、もう、自分は大丈夫だと思えた。何故なら今の俺はおっさんの正体をちゃんと知っているから。忘れなければきっと、いや、もしまた辛くなって忘れてしまったとしても、あのおっさんはまた素知らぬ顔で俺の前に現れるのだろう。きっとまた部屋のドアを開ければそこに。


「よう、俺は何度でも蘇るんだぜ」


 俺は今日も漫画を描いている。

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