サンダーボルト棘ネズミ 4

 それからまた数日後のバイト終わり。駅に向かいおっさんと歩いていると誰かが棘太とげたを呼び止めた。


針山はりやま!」


 振り返るとそこには知っている顔があった。


「あ……」

「あん?」


 同時におっさんも振り返る。


「針山じゃん! 久しぶり!」


 そう言って近付く彼は棘太のハリネズミ学校時代の級友だった。ワックスで撫でつけたような髪型に仕事帰りだろうかスーツを着ている。


「あ、お、おう、久しぶり」


 明るく遠慮のない様子の級友に対して棘太の表情はぎこちなかった。正直今の棘太にとって特別会いたい存在でもなかったからだ。ちなみにおっさんは何故か級友に向かってしきりにガンを飛ばしている。けれどその姿は見えないようで何も反応はなかった。

 メンチ切ったおっさんが目の前でうろうろしている状態のまま級友が話す。


「何? 仕事帰り?」

「あ、ああ、まあ」

「ちょうど良かった、これから皆と飲みに行くんだけど一緒に行かね?」

「え? 飲み?」

「そうそう、いいじゃんたまには旧交を温めよーぜ。お前誘っても全然予定合わないし、仕事終わりなら丁度いいじゃん」

「え、まあ……」

「あれ? 何か予定ある?」

「いや、特には……」


 そう言った棘太におっさんが言う。


「あ? 昨日の続き描くんじゃなかったか?」


 しかしおっさんの姿が見えていないらしい級友の前で反応することは出来ない。

 結局、最後まで煮え切らない態度の棘太だったが、そのまま相手の勢いに押され、断ることも出来ないまま飲み会に参加することになった。


「まじか、食材余っちまうぜ」


 考えていた夕食の計画が変更を余儀なくされたせいかおっさんの機嫌も良くなかった。




 大衆居酒屋の座敷席で行われた飲み会はちょっとした同窓会の様相を呈していた。それは棘太の予想を上回る規模で、級友たちが言うには元々仲間内だけでちょっと飲みに行くつもりが誘って行くうちにどんどん集まって、どうせなら来られる人皆呼ぼうと言う事になりさらに人が増えて、結果こうなってしまったらしい。そこにタイミング良く棘太も捕まってここぞとばかりに連れて来られたのだった。


「針山君じゃーん、久しぶりー!」

「あ、ああ、うん、久しぶり……」


 昔からあまり話したことが無い人に話し掛けられて困惑した。ここには全く同窓会と同じような独特な雰囲気があった。温かく気安いだけどどうしてもまだ自分には馴染めない空気。

 棘太は今まで同窓会と言うものをなるべく避けて来ていた。もちろん今日だって電話とかメールで誘われたのならば断わっていただろう。それが今回は突発的にしかも直接会ってしまった。それも確かに時間のある時にだ。咄嗟に上手い断り文句も浮かばなかった。

 それに棘太は元々酒の席が苦手だった。酒が飲める年齢になってからはほとんどその時間を漫画に費やしていたから友達同士の飲み会に参加することもあまりなかった。そのせいかこういう時の振舞い方が上手くないのだ。


 それともう一つ棘太が同窓会を避けていた大きな理由があった。


「針山君今何してんの?」


 それがこの質問だ。


「へ、え、ああ、い、飲食関係の仕事してる」

「へー、てっきり漫画家にでもなってるのかと思った」

「え? あ、ああ」

「針山君絵上手かったじゃんね」

「ま、まあ」


 今もまだ、漫画家を目指しているとは言えなかった。


「ま、そりゃそうか、もう大人だしね。何時までも子供の頃の夢見てる場合じゃないか」


 楽しそうに思い出話に花を咲かせている級友たちの中、棘太は少しも笑えなかった。

 そんな棘太を尻目に誰にも認識されないおっさんはつまらなそうに座敷の端っこに座っていた。




 飲み会帰りの道、棘太とおっさんは言葉も無く歩いていた。線路沿いとは言え終電が終った街は静かだ。雲が出ているからか夜もいつも以上に暗い。


 二次会への参加は断わってこうして帰って来たものの、途中で退出することは出来なかった棘太、飲み会の後半はただひたすらに時が過ぎるのを待っていた。そんな中で聞こえて来る級友たちの会話。その内容が積み重なって行くたびに棘太は自分と級友たちとのズレを実感するのだった。それはどうしようもない程孤独を感じさせる時間だった。


 夜道の沈黙を破ったのはおっさんだった。少し後ろを歩くおっさんが棘太の背中に話しかけた。


「なあ、棘太」

「何だよ」

「どうして今も漫画描いてること言わなかったんだ?」

「そんなの、言う訳ないだろ」

「何でだよ」


 おっさんの声はいつもより真剣で何処か棘太を責めるような強さがあった。


「何でって言える訳ねーだろ」

「つまんねー漫画描いてるからか?」

「違えよ」

「くだらねー漫画描いてるからか?」

「違えよ」

「じゃあ何で……」


 棘太は立ち止まり振り返った。いつの間にかその手は強く握りしめられていた。


「あいつらにこの年にもなって漫画描いてて夢追いかけてるなんて言えるか!?」

「いいじゃねえかそれでも」

「皆ちゃんと就職して真面目に働いてんだ! 非常識な俺とは違うんだよ! 俺はおかしいんだよ!」

「そんなの人それぞれだろ」

「わかってるよそれは俺だって、あいつらにそう言えるならそう言ってるよ。言えないんだ。そうだよ何より言えない自分に腹が立ってるんだ! 恥ずかしいと思ってるんだ! 漫画描いてるのが! 自分の実力の無さが! 足りないのが! こんな年にもなってって俺が一番思ってるんだ!」


 アルコールが入っているせいもあってか棘太の感情の吐露は止まらなかった。


「怖いんだよ! 結局! 口にするのが! 自信が無いんだ! 叶わないかもしれないって思うのが怖いんだよ! 全部無駄だったって気付くのが! とにかく怖いんだ何もかも全部!」

「棘太……」


 しかしおっさんはそれ以上何も言わなかった。


「学校行って、遊んで、飲んで、就活して、就職して、普通に生活できれば、本当はそれで良かったんだ!」


 投げつけられる言葉もそのままに立ち尽くしたままのおっさん。


「全部、俺が漫画なんか描き続けてたから! 真面目にやればやるほど全部遠くなっていく、何でこんなバカなこと! 無駄なこと! 子供のころの夢は諦める為の夢だ、何時までもこんな夢なんか持ってなけりゃ良かった!」


 棘太が勢いのまま叫び終わるとそこには静かな夜の闇だけがあっておっさんの姿はなくなっていた。まるでおっさんのいた空間に闇が滑り込んで来てその姿を溶かし飲み込んでしまったかのように音もなくおっさんは消えていた。


「……おっさん?」


 その日、その時からおっさんは棘太の日常から姿を消した。




 棘太はおっさんが居なくなったことで自分でも意外な程活力をなくしていた。日々の大切な部分にぽっかりと穴が開いてしまったかのようだった。最初はあんなに面倒くさい存在だったおっさんが妙に懐かしかった。漫画を描く手も止まってしまった。


「先輩元気ないですね」

「ん、ああ」


 仕事中も様子が変わったのはわかるようで後輩や店長も棘太を心配していた。


「先輩何て言うかいつも元気がないときより元気がないと言うか、魂が抜けたみたいな感じですね。本当に大丈夫かな」


 派手な失敗こそはしないものの後輩の言う通りだった。




 一人で歩く帰り道、おっさんがいた景色をつい振り返ってしまう。しかし駅前のガードレールにも電車の中にも線路脇の並木道にもおっさんの姿はなかった。気持ち悪いハダカデバネズミは何処にも居ない。


「ただいま」


 おっさんが来てから習慣になっていた挨拶にも返事が無い。部屋はおっさん一人居なくなっただけなのにがらんどうになってしまったようだった。

 机に向かってパソコンの電源を入れようとする。しかしやっぱり描く気力は湧かなかった。仕方がないので重い体を雑に床に転がした。


「迷惑なおっさんが居なくなっただけだ」


 呟いて寝返りを打つ。横を向いた目線の先におっさんの読んでいた棘太の漫画があった。それを手に取り寝転んだままパラパラとめくる。


「はは、つまんねー」


 力なく言葉を零す。すると頭にいつかのおっさんの言葉が蘇った。


『だが、何か来るものがあるな。こう、熱い、何だろうな、下手だが情熱は感じる』


 思えば棘太はあの言葉に救われていた。


「何だよ、元気出ねーよこんなの、なあ、いきなり居なくなるなんて反則だろ」


 自分の夢を肯定してくれる存在に救われていたのだ。


「結局何だったんだよおっさん。正体ぐらい教えろよ」


 その時、棘太の携帯が鳴った。

 確認すると針音はりねからのメッセージだった。ポンポンと連続して送られてくる。


『棘太、大丈夫?』


『今日また顔出すから』


『あとそれとさ、あのおじさんのことなんだけど』


『何となく今伝えなきゃいけない気がして』


『私、思い出したの』

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